占いの結果は、使いこなせば吉、ひるんでしまえば凶

占いの結果は、使いこなせば吉、ひるんでしまえば凶

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ご多分にもれず、占いは西洋占星術から興味を持った。

小学生の頃だったと思う。

12星座に当てはめて、性格、相性、それまでの過去、その後の運勢を鑑定する。抽象的な文言に「当たっている」と喜ぶ。

たいていは二律背反する文言に彩られていて「明るい反面、落ち込むと手がつけられないほどに自分を否定する」性格だとか「一目ぼれもするけれど、本来はじっくりと相手を見定める慎重な恋愛観を持つ」とか「八方塞がりなら、思い切って旅に発つのもあり」などと、まぁどうにでも受け取れるレトリックが使われている。

そのことに気がついて、西洋占星術に飽きてしまえば、それきりだったものを、高校生の頃に「算命学」という占星術にはまってしまった。

天中殺という恐ろしげな概念を探究するようになった。

学んでしまえば、時間(人生、年齢)と時代(年代、社会の機運)とのねじれを指摘するものであり、もっと探究すると、どうやってそのねじれを解消するか、もっと探究すると、どうやってそのねじれを活用するかまでが鑑定できる。

天中殺は誰にでもあって、私は寅卯天中殺。

天中殺は、運勢の逆行のようなもので、この時期には「運が味方しない」「何をやっても上手くいかない」「力を蓄え、人に従って我慢するべき」時期だと広く解釈されている。

大運天中殺は120年に1回だけなので、人生において遭遇しない人もいるが、私はその大運天中殺を人生のなかで経験する運勢だった。

20年間続くのが大運天中殺だ。

私の場合は25~45歳までだった。

社会に出て働き盛りの20年間である。

では私がこの20年間、不遇だったのかと問われると答えはNOだった。

運勢はむしろ味方してくれるかのように、縁ある人たちと出会い、子どもの頃からの夢であった取材記者にもなれたし、数冊の書籍も刊行された、作家と呼ばれるようにもなった。

私が遭遇した大運天中殺は、無風というよりは暴風雨のような逆境だったのである。

その暴風雨を乗り切るには、がむしゃらに仕事をこなすことが求められる。

なるほど徹夜で原稿を書いた翌朝に飛行機に乗って海外取材に向かうことなどざらにあった。他人の3倍は働かないと、有能な人には追いつけない。それが信条だった。

心がけたのは「求められたら、どんなに難題であっても必ず引き受け、それからそのジャンルについて猛勉強して、その仕事を完遂する」という姿勢だった。これが大運天中殺を味方につける方法だと意識していた。

自分から名乗り出るのではなく、求められたら応える。

他人から与えられる試練をこそ仕事にする。

天の求めに応えるのであれば、天と逆らうことにはならない。

天中殺は天が味方しないのだから、何をやっても無駄だと解説する、算命学の書籍も存在する。

私はもとより学問にのめり込み深掘りするタイプだったので、算命学の基礎となっている陰陽説にまで研究の手を伸ばしたのである。

運命とは面白いもので、大学では神道を学ぶことになった。

大学で神道を学ぶうちに、陰陽道の暦法や呪法や占術などにのめり込んで、書籍をあさってはむさぼり読み、実践を繰り返した。

神道は厳密には陰陽五行説とは、それほど密接な関係にはない。

しかし歴法はいわゆる旧暦で行事、祭事、忌日などが決まっている。

神職(神主)と同様の格好をしている陰陽師は、時代装束としての衣冠、束帯、狩衣が一致しているだけだ。神職=陰陽師ではない。

しかし陰陽道が神道のノウハウも仏法のノウハウも、オールマイティーに駆使していることには、心も身体も動かされた。

こうして暦法から陰陽気学を学ぶことになる。

日時決め、方位取り、人と人との相性、土地と人との相性などを頼まれるままに鑑定すると、これが「当たる」と評判になった。

算命学、陰陽気学、宿曜学あたりが私の得意とする占術になった。

陰陽五行説を学ぶと、その源泉となっている易経を学ばなければならない。

こうして筮竹でおなじみの周易もたしなむことになった。

当たるも八卦、当たらぬも八卦だが、50年以上も占術と向き合っていると、けっこう当たるものなのである。
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