先日、京都である茶道の家元とお話をし、その茶室にお邪魔する貴重な機会に恵まれました。
かねてより自分が生きる世界と照らし合わせて「どこか違和感があるな」「本当はこうなのではないか」と抱いていた疑問や仮説がありました。それらを茶道史の見地から紐解いていただいたとき、日本古来の価値観と自分の中の問いがすっと重なり、まるで憑き物が落ちたかのように心が晴れ渡っていくのを感じました。
その私の晴れやかな様子をご覧になって、家元は優しくこう仰いました。
「疑問を持つということは、自分の中に芽生えた気が少し停滞している状態、いわばモヤモヤとした曇りのようなものです。それを人に問いかけ、答えへと導く手助けを得たとき、その人の気はすっと晴れていきます。つまり、疑問を解き明かすプロセスそのものが、自分の中をきれいに清める『祓い(はらい)』と同じなのです。
日本人は昔から、この『清め祓う』という感覚を大切にして生きてきました。『疑うな、思考を止めて型にはまっておれ』というのは茶道の本質ではありません。もちろん、最初は理屈抜きに型をなぞるのも一つの学びの姿です。けれど、疑問を抱くこと自体を否定しているわけではありません。むしろ私たちの流祖たちも、問いを持つこと、自ら思考することを重んじていたのです」
その言葉にふれたとき、人間として、生き物として、なんと自然で美しい姿だろうと胸が温かくなりました。
振り返ってみれば、世の中には時に「問いかけること」を嫌い、型や権威に当てはめることだけで人を導こうとする場もあります。疑問を持った人の声を遮り、自身の立場を守るために言葉を重ねるような指導のもとでは、教わる側もまた傷つくことを恐れて黙り込んでしまいがちです。けれど、どれほど知識や技術を切り売りして受け取ったとしても、自分自身の中で咀嚼し、真に納得できなければ、深い理解へ至ることはできません。
いま、AI(人工知能)が急速に発達する時代を迎えています。
過去の膨大なデータを解析し、分類し、人間の傾向やパターンを瞬時にフィードバックしてくれる技術は極めて優秀です。かつて「当てること」や「一時的な気休め」を目的としていたような占いやアドバイスの多くは、すでにAIが無料で、冷静に、いつでも提供してくれるようになりました。
しかし、どれほど優れたデータであっても、それ単体では情報を整理した「記録」に過ぎず、人を根本から変容させる力までは持っていません。
人が本当の意味で運命を切り拓き、変容していくための力は、データではなく「人との対話」や「心の繋がり」から生まれます。そしてその対話の質は、導く側がどれほど人間的な深みを持ち、本物の教養と正しい知恵を蓄えているか、という器の深さに委ねられているのです。
かつて僧侶や茶人たちが、自らの得を顧みず知恵を遺してくれた先人たちに深く頭を下げたのは、形としての信仰のためだけではありません。「手がかりのない自分たちに、目覚めのきっかけを与えてくれた」ということに対する、心の底からの感謝のあらわれでした。その謙虚な姿勢と敬意を持った者だけが、次の新しい知恵の扉を開くことを許されてきたのだと感じます。
文字に書き残さなかった伝授の世界、答えを単に暗記させなかった禅問答——。
日本の古来の伝統の中には、「本当の学びとは何か」「知恵とはどう受け継がれるものか」という問いに対する美しい答えが満ちています。
効率や資本の論理だけで知識と知識を等価交換しようとすると、学びの最も大切な部分(上澄み)だけが消費され、やがて消えていってしまいます。
AIという技術が私たちの目の前に提示されている今だからこそ、私たちは「ただの情報の消費」から一歩抜け出し、実際の社会に目を向け、真摯に学び続ける姿勢と、本質を見抜く直感とのバランスを取り戻していく必要があるのではないでしょうか。
雑多な情報が削ぎ落とされていく時代の中で、本当に価値ある「真の対話」と「受け継がれる知恵」の価値が、いま再び静かに輝き始めているのを感じています。
今日は鑑定学校で教えられる、純濁法について、実学算命学のバージョンで語ってみたいと思います。
そもそも、純濁法は、宿命の中で、純に属する星を持っているのか、濁に属する星を多く持っているのか、で自分が馴染みやすい環境を図るものです。
純星→鳳閣星、禄存星、司禄星、牽牛星、玉堂星
濁星→貫索星、石門星、調舒星、車騎星、龍高星
純星は、安定した平和な時代にその資質を光らせやすく、動乱期にはその役割を担う環境に恵まれにくいといわれます。
しかし、あるものを継承するとか、誰かの下について何かをするということにも才能を発揮することができるので、組織や企業の中でもストレスなく生きることができます。
一方で、濁星は、動乱期に活躍し、激動の環境にあってその才能が光ります。
戦って勝ち取るとか、新たに何かを築くとか創るということに長けていて、組織企業の歯車になると機能しにくく、困難があってもそれを乗り越えて新たな城をつくる方が向きます。
というのが定型の説明になります。
そういう内容そのままで意味を把握している「占い師」が、宿命を見てクライエントさんに言えることは「あなたは整った安定した環境向の方ですね」「あなたは冒険があった方が良い環境に馴染みますね」というようなアドバイス以上のことは出てきません。
実学算命学では、それが一体何を意味しているのかということを理解し、その人の精神構造を把握しようとするところにこの技法の意味があると考えます。
なので、そのセリフそのままの程度で依頼人を見ているわけではありません。
心理学的に解説するとわかりやすいと思いますが、要するに純濁法というのは、依頼人が社会の環境に対して、どのように適応して対処しようとするのか、という本能的な特性を見ているのですよね。
「順応」を選ぶか、「違和感(反立)」を選ぶかを見ているのです。
人間というのは、幼少期から青年期にかけて社会(まずは家庭や世間)に適応しようとするとき、二つの戦略に分かれます。
大衆迎合(順応型):純
家庭内のルール、学校の評価、世間の「正解」に自分を合わせることで、摩擦を避け、安全や肯定を得ようとする生き方です。「保身」や「世間体」を第一優先にする姿勢は、環境の求める型に素直に自分をはめ込んで、外側の環境という自分でないものとうまくやろうとするのです。
独自の軸(内省・反立型):濁
環境から与えられる「型」や「空気」に対して「本当にそうだろうか?」という強い違和感を覚えるタイプです。ご自身のように、与えられた価値観をそのまま飲み込めず、自分の感覚で確かめようとする性質を持つ人間は、周囲の理不尽さや型にはまった浅さに対して早熟な批評眼を持ちます。
これが意味を持ってくるのは、同じ環境に置かれた場合の仲間の反応を計算するときです。「あの先生のいうこと、おかしくない?」と、濁の人は思います。「先生のやり方が間違っている可能性があるか確かめてみよう。」
しかし、純の人は、「そうかしら、先生がいうことだから何か正しいに違いないわ。トラブルになっても困るから、言われた通りに、規範にとりあえず従いましょう。」となります。純と濁はこのように、違和感があった時の反応性が違います。これは家庭という単位でも起こります。
例えば、親が親の役割を果たさず、家庭機能が正常に動いていなかった、と感じられるような環境で育ったクライエントさんがいます。
ところが、同じ親のもとで育って、同じ学校へ行き、同じような習い事をして、ほとんど年齢も近いにも関わらず、かたや、暴走族になりました、という弟がいて、かたや優秀な成績を収めて会社員をやっています、というような兄がいたりします。
同じ環境にいながら、病んでしまい、ドロップアウトする子供がいる一方で、家庭環境など意に介さないかのように結果を出していく子供もいるわけです。
そういうのを見ると、宿命の星というものが関係していることが読み取れるわけなんですね。
社会(親)というものは、自分の意にならないものです。また一貫性もありません。その異質なものとどうしたらうまくやれるか、という社会対応法を見ると、その後の育ち方の方向性がある程度予測できてくるのです。
例えば、牽牛星二つ、玉堂星二つ、司禄星一つであった姉がいるとします。つまり、全てが純の宿命の人です。特に牽牛星は社会の秩序や役割の中に自らを正しく収めようとする性質を強めます。たとえ家庭環境が一貫性を欠き不全であったとしても、彼女は心身に痛みを抱えながらも、正面から反抗することなくその環境で最良とされる価値観に応えることで、外側の世界に適応しようとします。それが彼女の生き抜くための処世術となります。
一方で、同じ環境に育った妹の宿命が、調舒星や車騎星、石門星、龍高星といった「濁」の星ばかりで構成されていたとします。
濁の宿命を持つ者は、外側の環境に対して常に疑問を持ち、その矛盾に対立し、一定の距離感を取り続けることによって自らの安定を図ります。不誠実さや不正に対して敏感なアンテナを持ち、波風を立ててでも独自路線を選択していく強靭なメンタリティを刺激して生きていくことが処世術となります。
二人の姉妹を見てみたとき、よその人たちは、不思議に思うでしょう。
一見姉は親の言うことを聞いてその要求に応えようとしながら、うまく社会対応したかのように見えると思います。
一方で波風立てて、対立し問題を起こすのは、妹の方でしょう。そして納得いかない環境であるほど、独自路線に進路を図ります。
一見すると、親の要求に応えて順応した「純」の姉の方がうまく社会適応し、反発して問題を起こす「濁」の妹の方が問題を抱えているように映るかもしれません。しかし、時間の経過とともにその評価は反転することがあります。
不全な家庭とは、いわば「動乱と矛盾(濁)」の環境です。
濁の宿命を持つ子は、その厳しい環境の中で葛藤し、激しい反発や葛藤を経ることで、自らの持てるすべての星を活性化させていきます。その経験が人としての器を広げ、過去の葛藤を乗り越えたとき、かえって健全でたくましい精神へと成長していくのです。
真に深い課題を抱えるのは、実は「濁(動乱)」の環境に置かれた「純」の宿命の子です。
純の子は、置かれた環境に一生懸命馴染もうとします。しかし、馴染もうとする対象そのものが異常である場合、自らもまたその歪みを引き受けざるを得ません。そうして育まれた処世術は、やがて真っ当な社会に出たときに行き場を失い、大人になってから原因不明の心身の調子や生きづらさとなって表出することがあります。
純の宿命の子は、アウトローな世界には向きません。
染まりすぎて転落が止まりません。
整った良い環境、公正なやり方で落ち着きます。
そのまま素直に受け止めることが吉と出るような、安定したところにご縁を結ぶように導いてあげたらいいと思います。
余談ですが、この純濁法の視点から、久しぶりにポイント鑑定をしたくなったので、書いてみましょう。
まずは、こちら誰の宿命だと思いますか?
ちょっと薄くてすいませんが、こちら、左が愛子様。右が悠仁様になります。
お二人とも辰巳天誅殺なので、基本的にはストレートな後継者運ではありません。なので、たとえ天地逆さまになって、女性天皇が成立したとて、どちらとも天皇になったところで結局は、在位期間が短いか、中継として存在する立場になられるのではないかと思います。
そして二人とも、ほぼ濁!の宿命の方なんですよね。
普通、皇室のようなところは、独自性を出すところではありませんので、求められた公のお仕事に勤しむ純の宿命の方の方が馴染みます。
ということは、つまりどちらとも笑顔でご公務に携わっておられますが、本質的にはともに、周りから与えられた規範に黙って応えて生きる方ではないんです。笑顔はふんわりの愛子さまにしても宿命は濁なので、乱暴な男子がいたために不登校になった、とかいうような理由で心身不調で適応障害、不登校といったようなことにはなりません。
しかし、その前提は仕方ないとした上で、この宿命を見たときに、皇室の世界に馴染みやすいのはどちらなのか、というようなことで見ますと、何といっても悠仁様なのですよね。
なぜかというと、まずこの宿命で見る限り、愛子さまは生年中殺の方です。自分の生まれ育った環境がそもそも好きではありません。というのも、父親の日干(辛巳)が常にそばにあり、中殺されていますので、変人です。また母親の位置にある龍高星が中殺されているので、母親も知恵のない母で変人です。それを見せられて育っているはずのお立場ですので、この変な両親に対して、強烈に違和感を覚えています。しかし、そのパパはいつも離れてくれない。父が気に掛かって(このまま、結婚できそうにない。)
(不敬ですみません。)
そしてその両親を通したフィルターから見る社会に対して、矛盾を常に感じ取られています。自分とは、本質的に合わない…常にこの思いを感じたまま、親の庇護の環境から出られないでいます。
ですから、どんなに親がああしろ、こうしろと愛子さまにものを申したところで、干渉したところで、うんとは言えない。愛子さまは、嘘をついてまで自分の生き方をやすやすと変えることなどできないのです。
愛子さまが、自分らしく生きるためには、兎にも角にも、この違和感のある祖先(皇室)両親、母方の祖父母、から距離を取る必要があります。
従順に要求に応える生き方はできませんので、愛子さまは自分の幸せを得るためには、生年中殺、辰巳天誅殺かつ濁の人生を歩み、独自路線をとることが必要なのです。
ですから、自分と価値観が合い、よく似た育ち方をした人の元にお嫁さんにいき、皇室を離れることで自分らしさが発揮されていきます。良い王子様が現れてくれるといいですね!
そうした宿命から見る限り、愛子さまの不登校の原因は、社会ではなく、はなれたくともはなれてくれない両親や皇室が自分の性質と合わない、という矛盾が溜まりすぎたところに、不調の理由があります。
おそらく、本当はなりたいものややりたいことがあったのに、親に反対されて希望を通せなかったといったことがたくさんあるはずです。こういう方の場合は、もしかしたら、昔の武将のように養父母の代わりをした家臣のもとで育てられた方が健全な育ち方をしたのかもしれません。
一方、同じ辰巳天誅殺の悠仁様はどうかというと、悠仁様も悠仁様で独自路線を取る人です。皇室の求めるものに素直に応えようと努力する人ではないですが、あれだけの公務を正しく行えているにはその理由があります。
それは、ご両親の存在です。悠仁様とご両親は、ある意味で、自分の影分身のような存在です。悠仁様は、親の完全コピーをして生きることも、苦ではない宿命です。
生き方を決めるキーワードになっているのが、やはり紀子様です。
宿命を眺めますと、母親が一生懸命に悠仁様に尽くしているので、このようなことが成り立っているということがわかります。もし、母親がグータラで、判断力のない女性だった場合は、おそらく、こうはなりません。息子もグータラで終わります。
また、きちんとその大役を果たして皇室に収まっているということは、逆説的ですが、実際に秋篠宮家に常にリスクや動乱の環境があったためではないかと思われます。悠仁様が持つ天庫星二つとは、祖先の恩恵も受ける方ですが、人生が2度運の人ですから、一旦、そこで死んでいてもおかしくないような出来事を通して、2度目の人生が始まるといった形で出ることがあり得ます。
悠仁様の主星は、未来の星、まさに鳳閣星ですが、日本の未来の象徴でもありますので、御命を狙われてもおかしくない環境があったとしたら…そこでも自分の星を刺激する動乱によって、濁の宿命を活かされている可能性があります。
家庭環境に濁、もしくは皇室という完成された世界での濁の環境がなかったとしたら、悠仁様自身が不良皇族になる可能性はありますが、それがなく順調に御育ちのご様子ということは、自分の置かれた環境で常に何らかの動乱がある、ということです。
秋篠宮に近い人が情報を抜く目的で海外のハニートラップにあっていたことや、車の追突や、刃物を持った男の侵入など、色々過去にもありました。週刊誌の攻撃も、Youtubeでの一方的なレビューの投稿も他国の情報操作がわかってきています。
紀子様は戌亥天誅殺ですので、前にも書いたように、普通のご家庭にいれば辰巳天誅殺の息子の発展を止めてしまう関係性ですが、なにぶん皇室は普通の家庭ではありません。
息子の暗殺の危機が起こりかねないような環境では、戌亥天誅殺の判断力が辰巳天誅殺の悪運を止めている関係で働いているのも不思議な親子のご縁の組み合わせだと思います。そして、皇室という閉じられた安定した公の世界の中では、そもそも私欲に基づく個人の飛躍や発展はいりません。
ですから、逆の天誅殺の親子であっても、目の上のたんこぶ的に指導されることは嫌だなぁと思いつつも、悠仁様は紀子様に押さえ込まれているとは感じていないでしょう。鳳閣星が生かされて、男児とのご縁ができますよう、そしてそれが日本の未来につながっていきますよう、国民としてお祈りしております。
一方、ご成人された愛子さまに置かれては、ご自分の濁の宿命を信じて、今の環境に対してご自分の感じるまま、思う通り、反抗してみてはいかがでしょうか。と思います。本来は、このまま役割をおとなしく果たせる自分ではないのですから。
これまでの適応がうまくいかなかった過去は、愛子さまの濁の部分を刺激してくれる何か、パパやママから温室で大切にされることとは違う、もっと違う何かが欲しかったからなのではないでしょうか。
雑草魂が光る辰巳天誅殺ですから、そのような何かが。
ともあれ、お二人ともが「純(順応)」の型ではなく、「濁(変革・独自性)」の宿命をもってこの時代にお生まれになったことは、現代の皇室が直面する様々な問いや変化に対して、新しい風や手応えをもたらすための自然な配置です。
ご自身の内面にある違和感や独自性を無理に抑え込むのではなく、宿命の示すままに「自分自身の言葉と足取り」で歩まれること。
そして、宿命を生き切った時、あちこちの収まるべきところに収まりがつき、最良のバランスが生まれていきます。
陰陽、プラスとマイナスによって、リニアモーターカーが進んでいくように、お二人が常に比べられる陰陽の双対の龍であることが、皇室を前に進ませてもいるのです。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで
天皇の宿命は、日本国の宿命です。
宿命は、宇宙の摂理がその一族、家系そのものに裁決を下しているのと同じような意味合いもあります。この系統に跡を継がせてはならない、この系統で行きなさい、といったように、夫婦の組み合わせから出たもっとも世界が調和するための判断でもあります。その自然な流れに従うことで、永続性というものが出てきます。
続けることに意味がない一般大衆と違い、公家や皇族の世界は、続くことに意味がありますので、天皇の御妃選びというのは、相手のスペックだけの問題ではなく、しっかりと相手の宿命を吟味する必要性があります。
気の世界は、その場で表向きの見栄えをいくら誤魔化したところで、お子様でその答えが出るという世界なのです。
高貴な一族の後継を決めるときには、是非ともご相談いただきたいところです。w