対象なき無限に、本来名前はないが、
言い表せない点でサムシング・グレート。
自分なき自己、selfless Self という点で、真我。
今、こうして個人として、無限なるものを忘れていると思っているが、
この文字の下にスクリーンがあるように、それは在る。
確かに、”それは在る”という文字は、液晶、スクリーンという物質ではあろう。
私たちは、同じものに別々のものを脳内世界で見ますが、
別々のものを見る存在全てを含めないと、
分離した自分という点を守るべく、線引きを見ることになる。
しかし、そうした線引きの”液晶”があろうとも、
スクリーンなる、不生であった真我は、無傷で無実なのだろう。