中学校生活11

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私は、おばさんに、今の学校でイジメられているとは、到底言えなかった。

自分で決めてココにきたんだ

文句もなにも言わないし言えない。

おばさんの家には、息子と娘二人が一緒に住んでいたが、よくは思われていないのは、知っていた。
もう車を持っていたから18歳にはなっていたと思う。

それでも私とはあまり顔を合せなかった。
ご飯の時も別々に食べていたと思う。
一緒に食べた記憶はない。

どこにいっても
「自分は嫌われ者」
だった。

好かれようとして、話しかけたりももちろんした。
みんなの持っているものは持てなかったけど話にはついていこうとネットのない時代に必死についていこうともした。

身なりは制服だったからさほど変わりはないと思う。

髪型だけは、変えられなかったが…。

それから高校進学の話がでた

が、私はこれ以上迷惑は掛けられないと思った。

私が高校に行くという選択肢はなかった。

おばさんもあからさまに嫌な顔をしたものある。

だから私は「就職」を選んだ。

出来れば「寮」のある仕事がよかった。

そして県外に行きたかった。

学校の先生は、ここぞとばかりに就職の資料を持たせた。
おばさんと話し合うように、と

私は県外の寮付きの仕事をなんでもいいから探した。

そうしたら。おばさんが
「県外はだめだ」
と言ってきた。

あんまり離れるとさすがに心配なのかな、と思って、秋田市内の寮がある美容院に決めた。

そして、卒業式を終え、私は当然のごとく空気のような存在で、流れるように式が終わり、感動もなにもないまま、ただ就職したら「別の世界があるはず!」
という希望だけが私を支えていた。

就職の面接が終わり、美容師になりたいと告げると、その店長さんは
「美容師、もう埋まってしまったんだよね、理容さんはどう?美容師は後からでも取れるから」
というので、私は理容師の方へ回された。

どっちも免許が取れるならそれはそれでいいかも

そう思った。

春から寮生活が始まるにあたって、部屋の場所や持っていくものなどを整理したり、仕事の服などを買ったりしていた。

そして、いよいよ、おばさんの家から離れるときにあいさつをした
「お世話になりました」と
おばさんは「頑張りなさいよ」と言ってくれた。

寮まではおじさんの持つ車で運んでもらった。

給与をもらうまでの生活費は5000円くれた。

ご飯も、朝昼夕出るのであまりお金は使わないかな、と思っていたが、
何もないでは、急な時に困るのでもらった。

寮に着くと、いわゆる「同期」と呼ばれる人たちが荷物を運んだり、先輩方と話しをしていたりしていた。

部屋は二人で1つの部屋を与えられた。
もう一人は先輩だった。

イメージでいうと、二段ベットの上下が自分のスペース
という感じだった。両脇に二段ベットがあり、縦に自分のスペースだった。

もう社会人になったので、もう明日から仕事!
ということもあり「歓迎会」は後日行うということになった。

その寮は就寝時間も決まっており、10時には就寝だった。

九時にはみんなが集まるスペースの電気は消されていた。

朝6時には起きて、朝食を食べる、掃除をする(当番制)、身支度をする、出勤という流れだったと思う。

社会人になって、初めて「人間扱い」をされたと思う。

同期の人達や先輩方も丁寧に教えてくれたり、教えあったりしていた。

そんな毎日でとても充実していた。

もちろんお昼ご飯の当番や、仕事で使うタオルの洗濯など当番はあったが苦痛ではなかった。
仕事後の練習も楽しかった。

そして、初めての「給料日」

現実を見せつけられた…

高校卒業の人と中学卒業では給料が3万くらい違ったのだ。

今では、当然、と思えることも当時は衝撃だった。

中卒で入社した人がもう一人いたので、「こんなに違うんだねー」などと話していた。

おばさんの家にはしばらく帰っていなかった。

仕事で疲れているのと、仕事場からおばさんの家までの行き方が分からなかったのもあるが、仕事が終わってからの先輩たちとの付き合い?という買い物が多かった。出費が多かったのだ。

強制的にみんなからお金を出し合って買う「ピザ」…

食べても食べなくてもお金は出さなければいけなかった。

それも一枚や二枚の数ではなかった。

もちろん女性しかいない寮だったが、女性が十何人もいたら、結構苦しい状況になることもしばしばあった。

そこに「姉御」と呼ばれる人がいた。
とても面倒見のいい人だと思っていた。

その人が突然、私に
「あんた、お金の管理できないから、私がしてあげる!」と言い出したのだ。
管理もなにも…

考える、答える隙もなく
「はい!通帳と現金今いくらあるの」
と…

みんなのいる前で…

みんなが注目している。

私は、渋々通帳と現金を出した

「はい!じゃぁ3万と通帳は預かっておくね」
と、そそくさと自分の部屋に行ってどこかにしまってしまった…
「お金が必要な時は言ってね」と…

私が「中卒だからか…」
と、その時は思った。

幾度となく、高卒、中卒の差別のようなことはあった。

練習、給与、先生の態度、いろいろ…
けれど、それが中卒ということなんだ、と思った。

初めての給与をもらったので、おばさんの家に帰る方法を電話で教えてもらい、帰ることにした。

電話といっても、今のように携帯電話があるわけでもなく、寮にある、公衆電話から電話をした。

そして、店が休みの日におばさんの家に帰った。


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