前回、私はブログを書きながら一つの思い付きをした。
それは、茶室柄のカーペットがあれば、どこでも茶室、場所を選ばずお茶道ができるではないか!というよい思い付きであった。
私、超庶民出身のビンボー人くせに茶道教室に通っていたことがあるんですね、実は実は(笑)
お免状とかそういうのまでは熱心ではないし、お点前もお薄、難しいやつでなければ、なんとかなるかな?程度、お茶会にお招きされたら、恥をかかない程度くらいにはこなせる(かもしれない)程度です。
それでも、「小賢しさ」感がありますよねー。・・・分かります。
自分で言うのもなんですが、このご時世、お茶道する人ってヤな人います・・・(体感です)
権威主義的な人、頭でっかちで知識をひけらかすようなタイプ、階級差別(知性や学歴、肩書、家柄などなども含む)、前世、大奥だった?みたいなイケズさんたちですね。
物質主義的な人。お道具にこだわったり、着物や持ち物といった物質的なものに執着する人。偉い人に取り入ろうとする努力は凄まじいものがあります。熱心な信者みたいな人、敵対する人を蹴落とすような嫉妬と嫌がらせ、悪口を言いふらす・・・んで「あんなの茶人じゃない」というまた悪口の応酬・・・。
あ、もちろん、みんながみんなそうというわけではないですからね?
私の体感、妄想です。
水屋話は、OLの給湯室のレベルの悪口大会、噂話が繰り広げられていたりするわけです。「あの人の所作、なーんか下品よね」「お里が知れるわよねぇ~」「見た?あの人の着物、あんな派手なのお茶室には合わないわよ」「あの人のウンチク、受け売りばっかりクスクス―」等々。
関西方面ではもっと高度なトンチの効いた悪口や嫌み、そして金にモノを言わせた壮絶戦が繰り広げられていると想像します。
また逆に、ものすごく純真な人もいます。
たいてい、由緒正しきお家柄という人。それか、すごくちゃんとしたおうちの人、お父さんやお母さん、祖父母の教養が高く、気持ちが気高い性質のおうちの人ですね。
子どものころから、自然に茶の湯とかが教養の一部として身についてたり、実家にお茶室があるとか、代々受け継いでいる茶道用具があるような、昔の貴族の血統とか、武家のお家柄だったり、色々習い事に熱心、知的好奇心が旺盛に育つよう親が上手に誘導してあげられるくらいの高い教養と知性と資金力。その親の意識にまっすぐついて行ける子どももまた頭がいいし、素直。
こういう方は、その辺の茶道教室に行ったくらいではお目にかかれません。
そして。そういう人の周りには高い確率で、権威主義的イジメっこタイプが取り巻きになっているもので、普通の人がその由緒正しき人に気軽に近づけないようにガードしているのです。
普通の茶道教室に行けば、ヤな人に出くわす確率が高いです。もっと本格的な家元とかになったら、すごい確率で出くわすんじゃないかなぁと想像します。
普通の茶道教室で先生している方の中にも、権威主義的なものが大好きなタイプが、努力と根性と修練、そして執着と野心・・・で、お茶の先生をしていたりする場合があるので、気を付けてください。
お茶やってみたいな!と思う方がいたら、まずは先生がどういう人なのか、お弟子さんたちの雰囲気もリサーチしてからお教室を選ぶといいと思います。
そして、違和感があったら、何か嫌な目に合う前に、即逃げる方が身のためです。
それでも、頑張る!という根性のある人もいらっしゃるし、逆にここで「テッペン取る」という野心のある方もいるでしょう。もともと「大奥」気質だったら、大変楽しいかもしれません。
先生からお弟子さんまでみんないい人!なーんてことはない。それは茶道に限らず、どの分野でも同じでしょうから、ある程度までだったら許容範囲、想定内ですけどね。
ヤなタイプの先生だったら、なかなか茶道教室、長続きしない人が多いのではないかなという気がします。
先生がものすごくいい人でも、その取り巻きのお弟子さんたちが権威主義的なイジメっ子タイプだったら、お稽古続けるのは難しい。
お稽古の後「ちょっと顔貸しな」とシメられる・・・ということがあると、私は噂で耳にしたことがあります。あぁ、怖い。イジメのつもりでやっているのではない、というところが恐いんです。
「こういう決まりは守ってもらわないと」「初心者だから知らないかもしれないけど」と親切のつもりなんですよ・・・。
せっかくの伝統文化だけど、排他的になっている部分があるので、もったいないです。
いや、だけど、この権威主義、そしてそこからのイジメというのも一種の伝統文化であるという楽しみ方もできるかもですね!!
もちろん、普通の、ごくごく普通の茶道教室もたくさんあると思います!みんなで和気あいあいして、素敵な上品で清楚な方々が、日常の喧騒を離れて素敵な空間を作っていらっしゃるお教室もたくさんあると・・・信じています!
それはそれとしておいておき、やっぱり茶道というのは、考え抜かれた形式美であるというのは万人が認めるところであります。
お茶室は宇宙である、とか、お茶室の中は別世界、などと言います。
決まりがたくさんあるので、いちいちめんどくさいと思うでしょう。
だがしかし、その決まりの一つ一つにちゃんと合理的な理由があるので、分かるとなるほど、と思います。
お茶を頂く時に、茶碗の正面を避けて二回回してから飲む、という謎ルールがあります。これ、一瞬「どっちまわりだっけ?」と飲むとき混乱しちゃう人、いませんか?
正面が、時計の6の方向だとしたら、飲み口が4~3の位置になるでしょうか。
正面を避けるというだけならば、別に4時の方向でなくてもいいだろ、8時の方向でもいいし、何なら2時、10時の方向から飲んだっていいだろ!そんな厳密に左に二回回すとか、なんだよ、その謎ルール!金庫の暗証番号かよ?!と思う方もいるのでは?
左方向でなければならない理由、4時から3時方向でなければならない理由を、合理的、実際的に説明することができます。
これを知ったからには、金輪際、お茶をいただく時に「どっちまわりだっけ?」と迷うことはなくなるでしょう。
お茶を頂いた後のカラの茶碗に注目してください。
茶碗の4時方向のフチが汚れています。
それを指でぬぐいますが、口を付けたのがどの当たりかということは、茶碗をのぞき込めば分かる。
その状態の茶碗が亭主、お点前をしている人のところに戻ってきます。
亭主に向かって正面が来るような形で戻されます。
亭主は戻ってきた茶碗をゆすぎます。
そして、濯ぎ水を建水に捨てます。
はい、そこでストップ。
想像してみてください。
6時の位置が正面としたら、茶碗の中の水を捨てる時に、8時か9時の位置に左手の親指がかかります。
そして、そこから茶碗を傾けて、中の水を捨てると・・・
ちょうど4時から3時の方向から水が流れていく。
飲み口だった場所がちょうどピッタリ濯ぎの時に洗われる仕組みになっているんです。
もちろん、その後、茶巾で拭き上げますので、どこから飲もうとも清められはするんですが。そこを重点的に流したいじゃないですか。
正面を避ける、茶碗の模様や柄に触れないようにという配慮だけではなくて、ちょうど濯ぐ時に洗われる角度で飲んであげると、ちょうどビッタリだよね!という具合になっているわけですよ。
一見、謎ルールに見えることでも、合点がくると、「そうでなければならぬ」という意味が分かってきます。
ということがあるので、私は基本的に自由を愛する人間ですが、何が何でも全部自由でいい!とは言い切れない部分がある。
昔の謎ルール、理不尽な風習なんて因習だ、迷信だと一概には言えない。
合理的に納得できる理由があれば、私は一見理不尽な謎ルールであっても、従う準備はできています。
だが、現代社会では意味のない理不尽な決まりが多い。ソンタクとか暗黙の了解とか、まったく合理的理由からではない謎ルールがたくさんある。そしてそこに地雷が仕掛けてある。
そして、一方で「自由だ」「平等だ」「公平だ」といって伝統的、合理的に意味のある(かもしれない)決まりが簡単に、検証されもせず、欧米に合わせる形で撤廃されたりする。
昔は、理不尽で納得できないことでも「神様」のせいにすれば、「それじゃーしょーがないねー」でみんな納得していたのでしょうけど、現代ではそうはいかない。
思うままにはならない世の中、せめてお茶室の中だけは上手くコントロールされ、制御されているという幻想を演じたい。自然や身分制度の理不尽に翻弄されていた昔の人たちにとって、茶室の中は非現実、癒しとなっていたはずです。それはもちろん、現代人にとっても、同じだと思います。
現代社会の癒しにこそ、茶道や伝統芸能は助けになるのではないか?と私は思います。
そういうメルヒェンとして茶道を楽しむ場があればいいのですが・・・私は茶道教室恐怖症なので、もっとフラットにお茶道を楽しめる場所があればいいなぁって思っています。
「そうでなければならぬ」という謎ルール、意味が分かると面白いというところでは、タロットカードも同じです。
一見訳が分からなく思えることでも、一つのその場の法則「それでなければならぬ」という線が見えてくると、「なるほど、そうか」と納得し、受け入れるしかないのです。
メルヒェンですからね。メルヒェンを支配する謎ルールに従うしかないのですよ。
そういうもろもろを含めて、色々楽しんでみたいですね♡