ワイ「昨日は台風がすごかったです。」
助手「あぁ、大阪あたり上陸したもんね。」
ワイ「近づくにつれて雨風が強くなりますからね。」
助手「台風過ぎ去ったら穏やかな感じになるのにね。」
ワイ「幸い私には何事もなかったのでよかったです。」
助手「そのセリフは良くないよ。被害受けた人もいるのに。」
ワイ「とは言え、人間には”自分が良ければいい”と言う思考はあるものです。」
助手「そんなことないと思うけど。」
ワイ「自分よりも他人優先というマインドを持った人もいますが少数派です。」
助手「世知辛い。」
ワイ「口では被害者に寄り添うことができても、行動で示せる人は僅かなのが証明になります。」
助手「そうかな?」
ワイ「例を出すと、自分が乗っている船が沈没の危機に直面したとしましょう。」
助手「そんな出来事滅多にないけどまぁいいわ。」
ワイ「救命胴衣は全員分揃ってなくて、早い者勝ち状態だとすると我先にとゲットしようとしませんか?」
助手「うーん、なってみないと分からない。」
ワイ「よくある事例だと火災事故が分かりやすいかもしれません。非常口目掛けて小さい入り口に避難者が殺到して、結局誰も出ることができずその付近で倒れていると言うケース。」
助手「それはニュースでも見たことあるかも。」
ワイ「自分の命に危機が迫っている時、人は本性を表します。」
助手「それは確かに。」
ワイ「それを善悪で裁く話ではないと思います。それぞれが生存のために冷静な判断ができなくなっただけなので。」
助手「パニックになると判断が正しくできなくなるのね。」
ワイ「そうです。話を戻すと基本的に自分が良ければ問題ないと考えるのが生物として当たり前の本能なのです。」
助手「しかし人間は社会性があるから被害者にも寄り添う姿勢を見せることができる、と。」
ワイ「そうです。どれだけ社会を震撼させる問題が起こったとして、それを防ぐための行動・・・例えば法制化や社会的に意義ある行動を起こせる人もわずかです。」
助手「確かに。被害者かその家族か同じ境遇の人たちだもんね。」
ワイ「どれだけ被害者に寄り添った言葉を発しようが、行動が伴わなければなんの意味も持ちません。」
助手「だからアナタはその見せかけさえもしない、と。」
ワイ「無意味ですからね。最初はその言葉が相手の気持ちを落ち着かせることに繋がりますが、その後は現実の行動として共にしてくれる人物の存在が大きくなってきます。」
助手「被害者も時と共にニーズが変わるってことね。」
ワイ「そうです。通り一辺倒の寄り添いよりも、共に闘う・共に行動する人の存在が必要となるシーンに移行します。」
助手「なるほど。」
ワイ「だから私は相談を受けても、ただ寄り添うだけの形は取りません。」
助手「どうするの?」
ワイ「相談者自身が自分で考え、答えや方向性を導き出すことがゴールです。」
助手「相談する意味ないじゃん。」
ワイ「違いますよ。相談者はそのきっかけが日常に無いから相談してくるんです。ならば私がそのきっかけになれば良いと思っています。」
助手「具体的には?」
ワイ「例を出しながら問いかけを繰り返す。そして相談者が考えてアウトプットしてくれることを待ちます。」
助手「それしんどくない?」
ワイ「しんどいでしょうね。私もかつて相談側になった時にされた方法です。」
助手「やっぱり。」
ワイ「しかし自分の言葉で方向性を打ち出せたことは、今の自分を形作っていると確信できます。」
助手「そうなんだ。」
ワイ「辛抱強く時間を問わず付き合ってくれた、その時の相手にはいまだに感謝していますよ。」
助手「アナタにも感謝する心はあったのね。」
ワイ「もちろんです。そんな私が提供するサービスはいかがですか?」
助手「宣伝だね。」
ワイ「そうですね。優しく寄り添いながらお話しします。」
助手「ここまでの話だと信憑性薄いよ。」
ワイ「しかし、相談者のことを第一に考えて対応します。」
助手「それは間違いないね。」