あぶりだしの結論

あぶりだしの結論

記事
コラム
ちょっと前に書いた記事、結論書こうと思って書けてなかったので書こうと思う。

読んだ本・旧友からの連絡・好きだったアーティストの曲
それら3つのところで感じた違和感は、全て一つのものであった。

その違和感の正体は「絶望」だった。

人生はつらいものである
楽しい事より苦しい事の方が多い
他人から否定されないように予防線を張った喋り方をする
この世の中はろくなもんじゃないけど頑張ろう

そういった論調は、根底に絶望をはらんでいる。
それは教育や恐れからくる警鐘、自分の経験など様々な出来事で植え付けられた、この世界に対する不信だ。
そういった考え方が蔓延している。
メディアで話される言葉も、流れる歌も、書かれる本も、教育の場だってそうだ。
ある種の厭世が、好まれていると言い切ってもいい。

今の時代はどうかわからないが、自分が学生時代には、斜に構えたシニカルな態度がカッコいい的な風潮があり、真剣な態度がバカにされる事が多々あった。
それも確実に絶望の為せる業だ。
真剣に取り組んで傷つくのが怖いからだ。それで真剣にやっている他者の足まで引っ張る。
自分が諦めたものに真摯な姿勢が鼻につくからだ。
そんな事すら自覚していないだろうが。

それに類するものがこの世界に対する絶望だと感じる。
なんだか合言葉のように世を嘆く人種も、周りにはあまりいないが確実に存在している。
それで互いに足を引っ張り合って安心しているのだろうか。

でもさ、このnoteで書いてきた記事たちの中で何度も言ってる事だけど、自分自身の認識で世界はいくらでも形を変える。
つまり世界を作っているのは自分で、どんな形にでも出来るのだ。
であるなら、世界を疎ましいものにしているのも、自分なのだ。
自分に価値がないと思っているから、価値がない自分にふさわしい世界を作っているのだ。
なんて…なんて悲しい事だろう。
かつての自分も自分自身に絶望していたから、世界にも絶望していた。
やりたい事なんて何もないし、仕事はつまらないし、家族とはケンカばかり、もう生きてる意味あるのかな、ってなってた。

自分は幸いにも、たくさんの存在の助けを借りて、自分から愛が溢れて他人にも分け与えたいと思えるくらいにまで、本来の姿に戻ってこられた。
このあふれる感謝と愛で、まだ苦しみの中にいる人が、自分らしく、自由に愛にあふれた形に戻るための手助けが出来たらどんなに幸せだろうか。

苦しくて足りる事はないという幻想を、有り余る愛と豊かさで包み込めるような、そんな形を作れたらいいなぁ。
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