絶対音感を乗り越えた、その先にあったもの。

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音声・音楽
皆さんこんにちは、音楽クリエイターのMasakiです。

最近はクリエイターよりミュージシャンの投稿が多くて恐縮ですが、僕がなぜ音楽のお仕事をさせていただいているのか、自分自身の身の上話も絡めて紹介させていただきます。自分の話ばかりになってしまうこと、悪しからずご了承くださいませ。。

最後にはコラボレーションソングのリンク貼っておきますので、ぜひ聴いていただけると嬉しいです。

僕は音楽が嫌いでした。

ミュージシャン、クリエイター、表現者、とにかく全てのアーティストは、距離を超えたメッセージを常に持ち合わせていると思っています。僕は祖母が琴や三味線の先生だったこと、母親がピアノの先生だったこと、父親がインディーズとして活動していたこと、など幼い時から音楽に囲まれて育ってきました。

そのため、小さい時からピアノを習わされ、嫌いになり、あまり音楽に対してポジティブな感情を抱いたことはありませんでした。特に、絶対音感から生まれる弊害は計り知れないものでした。

絶対音感を持ち合わせたことによる弊害

あまり語ることのないトピックですし触れたいと思うことも正直なかったのですが、僕は生まれてから絶対音感を持ち合わせ生まれてきました。それに気づいたのは割と遅く、小学校後半ぐらいだった気がします。

僕の場合は、音楽が色に見えたり数字に見えたりするわけではなく、逆に全ての音が音楽に聴こえていました。それは本当に辛かったです。

例えば、学校で勉強しているときにみんなが書くペンの音、先生の声、時には誰かのあくびでさえも全て一つ一つ”音”として認識してしまい、音で溢れた生活を送っていました。テストの時も気になって仕方がないし、集中できないし、その時の気持ちは今でも忘れられません。感覚で言うと、5曲ほどの音楽を一気に流している状態で授業を受けているような感じでしょうか。。ちょっと大袈裟かもしれませんが、似ている感覚だったように思います。

それを治すべく、中学になってとにかく自分を音の環境で一つのことに集中できるようにし、高校受験の頃には人並みに集中できるまでになりました。

ネックなことが仕事になれる幸せ

インターネットの普及した、ダイバーシティを重んじる今の時代に生きていることに本当に感謝しきれません。僕は絶対音感をネックに生きていた時期は小学校までで、中学に入りバンドを組んだ頃から、「今ベースの4弦のチューニングが1度ずれてる」「スネアの音程が低い」「ノイズが入り込んでいる」など細かい点を把握できることが分かりました。それがあったおかげで、日々行う練習も短時間で終わらせることができ、有効的にメンバーと時間を過ごせたんじゃないかと思っています。

ピアノは7年やりましたが、その後ギターを始め、いろんなチューニングで耳コピを行うようになりました。楽譜は読めますがほとんど読んだことがなく、ドラム以外のパートは自分でコピーしていました。それが結局今のお仕事にも繋がっていて、楽譜がない音源をご提供したり、雰囲気を伝えていただければそれに沿った音源を制作したりすることができています。

いちクリエイターであり、いち表現者であること

僕が今ココナラで他の皆さんと良くも悪くも違っていると思える点は、自分はクリエイターという裏舞台を支える存在である一方、音源を表現する表舞台の仕事もしていることにあると感じています。

毎回音源を作る時、とにかく受け取る方の気持ちを最優先して制作しています。自分がこれを受け取った時、本当に満足するのか、このクオリティで大丈夫なのか。

それぞれ依頼内容が異なっても”音”を求めている方と提供する側がいるのは共通しています。完全にご要望通りに行かない時ももちろんありますし、自分が完璧と思っても相手からすると5点の時もあります。そんな時、5点の音源をもらった人はどんな気持ちになっているか痛いほど分かります。だから、5点を一緒に100点まで持っていきたいし、持っていけたときにどれだけ100点になった音源を大切にしていくか、その時の経験がどれだけ今後大切になるか、少しでもその方々の今後の音楽の一部になれればと思って制作しています。

離れていても一緒にいられる、それが音楽

綺麗事みたいなことを徒然と書いてしまいましたが、結局アーティストとして活動するとき、そんなことばかり考えています。国内ではあまりミュージシャン活動をしていないので日本ではクリエイター、海外ではミュージシャンと割り切っているからかもしれませんが、同じ音楽に携わる職業として、できる限り自分という一人の人間で向き合っていくようにしています。

昨年5月、新型コロナウイルスが猛威を奮い、世の中に緊急事態宣言が出ていた頃。

僕は、少し前に知り合ったラトビアで有名なドイツ人ミュージシャンとコラボソングを制作することにしました。それは、同じ外国人がラトビアという一つの国が大好きで音楽によって気持ちを届けていること、そして大変な情勢でも少しでも音楽によって励ましたかったことから始まりました。

時差もあるし、距離もあるし、言語も違うし、単純にコラボといっても道のりはとても長かったです。結局曲ができてからリリースするまでは1ヶ月ほどでしたが、その道中には多くの壁があり、ただそれがあったからこそ満足のいく音源ができたと思っています。

ラトビア語だけでなく、英語、そして日本人として決して妥協できなかった日本語の訳の挿入をし完成となりました。


今もパンデミックが続いています。

そんな中、少しでも皆さんにこの曲で感じていただけることがあれば嬉しいです。離れていても一緒にいられる幸せ。結局距離よりも時間よりも、一つになって乗り越えていくことが一番大切なことだと思います。

日本語訳をご参考に、ぜひ聴いてみていただけると嬉しいです。

Kopā tomēr jautrāk - Jöran Steinhauer&Masaki Nakagawa

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