【こんなの買っていいのかしら?~自己肯定感の欠如~】

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コラム
中学生頃の私は、自分の欲しい物や、やりたいことについて、「自分がそれを望んではいけない」「他人からどう思われるかな?」と考え込み、世間に対して遠慮していた。

高校の入学祝いに母がアナデジ(シチズン製)の腕時計を買ってくれた時でさえ、「こんなのしてて学校で目をつけられないかな?」と本気で心配し、本当は舞台人を志していたのに、自分には場違いな気がする、と気後れし、兄の自分がふらふらしていては妹の結婚にも差し支えるからと自分に言い訳して一般企業に就職した。

これらは、「自己肯定感(自分の価値を評価する感情)」の欠如によるものでR。

馬鹿馬鹿しい話だ。

現実には、高校で他人の腕時計なんぞ気にする生徒は一人もいなかったし、犯罪にでも手を染めているというなら話は別だが、本来、兄の生き方と妹の結婚は何の関係もない(現に、妹は兄のことなどお構いなしに音大卒業後二年でさっさと結婚してしまった)ことだ。

何かにつけていちいち、「自分にそれだけの価値があるのか」「他人からどう思われるか」を気にしているようでは、心の状態が正常であるとは言えない。

私は子供の頃から、父に「お前は、バカだ」と蔑まれ、母には悪いところを叱られるだけで、誰一人肯定してくれる人もなく、自己肯定感を著しく喪失したまま成長した。

子供の頃に親にありのままの自分を愛されるという体験をしていないと、「自分は自分でいい」という正常な自己愛を培うことができなくなるので、自己肯定感を高めるために、大人になった自分が、社会の中で学んでいくうちに気づいた子供の頃の親のあり方への疑問や湧き出してきた怒りを親にぶつけてみるのもよかろう。

これは、心理カウンセラー養成学校のカリキュラムにも実際に含まれていることで、涙ながらに気持ちを吐き出す人もいれば、何も言えない人もいる。言えない人は無理に言う必要はなく、ただ、両親役の受講生の前で、恰も両親と向き合っている気持ちになり、今の自分をさらけ出す。言葉が出てこないのもそれはそれで今の正直な自分の姿なのだ。

自己肯定感は、子供の頃からの親との関わりの中で高めてこられなかったというケースが多く、子供の頃からの環境によって形成された考え方を変えるのは大変で、本人がよほどに意識をし、現状の自分や失敗する自分を受け入れ、気持ちのリフレッシュやポジティブな言動を心がけていかないと自己肯定感はなかなか高まり難い。

それだけに、世の親御さん方には、子供が自己肯定感を喪失せずに成長できるよう、受容と理解をもって温かく接してあげていただきたいと願っている。

私は、このまま一生親にはなりそうもないが。

駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
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