誰でもなさnobodiness

誰でもなさnobodiness

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占い
表面的には

あなたは

誰かであるかもしれない



しかし

私はあなたの表面になど関心はない



最も深い核心において

あなたはただひとつの

"誰でもなさnobodiness"だ

誰でもないばかりじゃない

”誰でもなさ”なのだ



インドの神秘家OSHO講話集

TAO:The Three Treasures (TAO 永遠の大河 1)より







メタファー解説



「私」とは

誰なのか?

この答えを知っていれば

このメタファーは

いとも簡単に解読できる



表面的な”あなた”とは

”自我/エゴ”のことだ

それを、あなたは

”私”と呼んでいるだけだ



だが

その”私”は

あなたの本質ではない

それは二元性だ

それはマインドの

妄想による産物だ



だから

あなたが眠りに落ち

意識を失ったとたん

”私”は消え失せる



麻酔であろうが

気絶であろうが

意識と共に

”私”というあなたは

消えてなくなる



”私”≒”意識”

脳科学の世界では

もはや常識的な事実だ



自我/エゴには

人格がある

感情があり

性格があり

思考があり

計算がある

そして何より

それは”二元性”だ



”誰でもなさnobodiness”



それは

本性/真我だ

そこに人格はない

そこに感情はない

そこには性格もなく

思考も計算もない



なぜならば

そこは”一元性”なのだ



あらゆるものを内包し

あらゆるものを受容し

あらゆるものを手放す



それがOSHOの言う

”誰でもなさnobodiness”だ







それは

見ることが出来ない

それは

触れることが出来ない

そして、それは

語ることすら出来ない



そこへたどり着くには

あなたではない”私”を

除外し続けるしかない



その唯一の方法こそ

”瞑想” なのだ



もし

あなたに観ることが

出来たならば

それすべてを

本性/真我の候補から

除外するといい



そして

ありとあらゆる

観えるものを

除外し続けると

最期に”観照者”が残る



その”観照者”こそ

最期の最後に

除外すべき”自我/エゴ”だ



ブッダは

弟子にこう説いた

「修行の道に

 もし私が現れたら

 その私を殺して

 屍を乗り越えて行きなさい」と



そのブッダこそ

あなたの中にいる

”観照者”そのものだ



だが

多くの人々は

そこに安住する

観照者が

彼らのゴールだ



ブッダになることが

ゴールであったように

観照者がゴールになってしまう



その観照者を

殺しなさい

その観照者が

あなたにとって

道をふさぐブッダだ



その屍を

乗り越えて進みなさい

そこにあるものこそ



”誰でもなさnobodiness”

なのだから



LOVE Charam



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