こんにちは皆様。
子供の頃に勉強と言えば、記憶することで、それさえできればテストでいい点が取れて、誰もが羨む学校に進めて、いい仕事に就ける。
そんな風に教えられていた。
私は覚えるのが嫌いで、例えば応仁の乱がいつあったのかなんて、調べれば済む事象をわざわざ覚える必要が見当たらない。
国文の事を記憶していたのは、純粋に好きで何度も読んでいたら、覚えてしまっていた、ここで大事なのは覚えさせられたのではなく、覚えてしまった事実。
今、いい学校に行けばいい仕事に就くとは限らないご時世で、ましてや上の学校に行く為に借金をして、仕事に就いてもその借金が付いて回る時代、覚えて学校を出ること自体が、疑問視され始めていると思う。
人間は生まれた端から何かを背負って生きている、人によって違うが、それは自分の障害かもしれない、それは自分の弱い精神なのかもしれない、それは親だったり、祖父母だったり、するかも知れない、自分では選べない何かを背負っている。
その背負っている背中に勉強をしろ、いい学校が自分の為になるなんて誰が言えるのかな。
人は自分の背中は見えない、背負っている物は自分では分かっていないのだ。
周りから見て、そんなものを背負っているのちょっと下ろせないのと言われても、そもそも生れた時から背負っている物は、下ろしようがない。
誰かが下せるようにしてやらないと、背負っている物は下ろしたりは出来ないのだ。
記憶をさせたり、型にはめようとしたり、人間の多様性ってどこまでも無視されてしまう。
出来ればそこは柔軟に見ていけたらいいんじゃ無いかと思う私は、間違っているのかな。
誰もが背負った物を下せる社会が自分の理想だと切に思う。
いつも、有難うございます。