生き続けているあの頃の子供

生き続けているあの頃の子供

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 皆様ご無沙汰しております!
 Raulaです。

「インナーチャイルド👧」
 って、最近では知っている方も珍しくない単語ですね。

 実は私は生い立ちが結構ヤバい人で、家の中で親兄弟の手によって絶命するんじゃないかと中学生の頃から考え始めており(意味もない暴力や虐待がすごかったので)世の中で一番キライなのが「家」でした。

 幼い頃のことはあまり覚えていないのですが、親に相手にされないことや、相手にされたと思ったら平手打ちが飛んできたりするのは「怖い」や「悲しい」というよりも「謎」でした。

 今思えば、単身赴任中、長きにわたって父親が不倫をしていて、そんな父が実家に帰ってきたのは小学生低学年の頃だったのですが、日常的に絶叫して怒り狂ったりする母親の存在は幼いなりに脅威でしたので、単身赴任中、時たま実家に帰って来る父の存在というのは私にとっては救世主のようにも感じられました。(当時は不倫云々を知らなかったので)

 単身赴任中、給料の10%ほどしか実家に仕送りしていないことも知ったのも随分大きくなってからで、今振り返ってみれば
「だからあんなに貧しかったんだ」
 と大きく納得しますが、当時は雨漏りのしまくる団地で暮らしていて

(二階建ての家が区切られて連なっている長屋のような団地。一階なのに雨漏りするという謎すぎる老朽ぶりでした。しかも最低収入の審査があったようです。審査に通ったことがすごい)
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 明らかに「私の家にはお金がないんだな」と理解してはいましたが、父親が給料の殆どを不倫相手や仕事仲間との遊興費に費やしていたかと思うと、特に怒りなどはありませんが、呆れという感情は湧きます。
 ため息しか出ないというか。

 そんな中、母親は父親の所業から蓄積されるストレスを常に中間子の私で発散していて、怒鳴り散らしたり叩いたりと、まぁホント、身体も小さかったのでビンタでよく吹っ飛ばされていました。ちなみに兄と弟は可愛かったようで、私以外の兄弟に母が手を上げている、或いは暴言を吐いているところは見たことがありませんでした。

 友人の中にも「Raulaちゃんの家は変だから遊ばない(要約)」的なことを親御さんから言われている子もいたようで、勿論仲良くしてくれる子もいたのですが「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだろ」と、そこは寂しい思いを抱いていました。

 でもまぁ、そんな中でも結構私は能天気に過ごしていたと思います。
 幼稚園や小学校での友人や先生からも
「Raulaちゃんは自由すぎる! 落ち着きがない!」
 というようなことを言われていましたし、歌が好きだったり文章を書くのが好きだったり、わりと楽しくやっていたなという自覚もあります。

 父親が単身赴任を終えて実家に帰ってきてからは凄絶な性的虐待などなどななど(これを書くと気分が悪くなる方もいると思うので、ここまでに留めます)様々な虐待をされていて、振り返ってみれば
「母親より親父のほうがヤバかったんだ。てことは、逃げ場がなかったのも当然か」
 と痛感します。
 祖母や曾祖母は離れたところに暮らしていましたし、とても助けを求められる状況でもなかったんですね。

 そんな時期から、もう随分長い時間が経ちました。

 あの時期のことについて、私はずっと心に蓋をしていたような状態で、一度も泣くことはなかったですし、粛々と警察や役所に行って戸籍の閲覧制限(これをしないと、どこに引っ越してもバレてしまうので)寧ろ父親と母親の笑顔をもう一度見たいな、という、呪縛のような愛着に苛まれていました。

絶縁しても尚、親の姿を追い続ける。
 これが「親子の縁」「血の繋がり」の、ある意味「厄介な部分」でもあると感じています。

 おかげさまで現在は「親がどうなっていようが、本当に興味がない」というところにいますが、それもここ数年でようやく辿り着いた境地といった感じです。
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 話は冒頭に戻りますが、これは私の中の「癒されていないインナーチャイルド」に他ならないような気がしています。

 大人になった今でも
「なんでこんな小さいことでストレス感じるんだろう」
「今、私はこの人の何に怒ってるんだろう」
「さっきの言葉、なんでこんなに虚しく感じるんだろう」
 といったことが多々あります。

 自分でもよく分からない感情ですし、そういう感情をすぐに持つこと自体が非常に生き難いなとも感じます。

 今になって、周囲の「少し遠くから私を見る目」から、あの頃の自分を救ってあげたいと考えることが度々あります。
 そんなことを考えていたら、先日始めて、涙が落ちました。
 どこか他人事のようでしたが
「あの子、可哀想だよ」
「なんで誰も助けてあげないの」
 と、心の底から、生まれて始めてそう思ったんです。

 団地の傍ら、ひとりで歌っていたあの子に、本当の意味で手を差し伸べる人物はおらず「君子危うきに近寄らず」そのものだったのではないかなと思います。

 今、あの頃の私の第二の親になれるのは自分だけだとも感じます。
 タイムマシンがあれば
「大丈夫、大人になったら信じられる人もたくさんできるから」
 と頭を撫でて、抱きしめてあげたいなとも思います。
 多くの人が、様々な悩みを抱えながら
「生きづらい、しんどい」
 と感じておられるのではないかと思うと
「今日も頑張った! 偉すぎる!!」
 そう声をかけて回りたいぐらいです。
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あなた様の過ごす日々が、平穏で笑顔に溢れますようにと願いながら、私はこの仕事をしています。
 それでは、また次回のブログでお会いしましょう!

Raula🐢
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