打ち明けられてばかりの人へ

打ち明けられてばかりの人へ

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「どうして私のところには、人の打ち明け話ばかり集まるのでしょう」という問いを、季節の変わり目にいただくことが増えました。頼られて嬉しい気持ちと、少し息が浅くなる感覚が同居していて、どちらが本当の自分なのか分からないと書かれる方が多いように感じます。今日はこの問いだけを手元に置いて、いくつかの角度から見てまいります。

波動を見せていただくと、打ち明けられる側の方には共通して、受け止める前のひと呼吸があります。相手の言葉を正そうとする動きが、ほかの方より半拍だけ遅いのです。その半拍の静けさを、人は無意識に探しています。ですから選ばれているのであって、強いからでも、都合がよいからでもありません。まずここは、ご自身で認めてよいところだと思います。

そのうえで、別の見え方をいくつかお伝えします。はじめに、順番の話があります。聞く側に座り続けると、自分の話をする順番が構造として回ってきません。遠慮しているというより、席が用意されていない状態に近いものです。次に、疲れの出どころです。重く感じるのは聞いた内容そのものより、預かったものを戻す先がないままでいることのほうに関係している場合があります。言葉は預けられた時点で、聞いた方の内側で少し熱を持ちます。もうひとつは、調律です。相手の速さに合わせて呼吸を落としていると、自分の速さへの戻し方を忘れることがあります。もとの速さを思い出す時間が、一日のなかにどれくらいあるでしょうか。

手当てとして大げさなことは要らないように見えます。すべてを断る必要もありません。預かる時間に自分なりの区切りを置くこと、そして人の話を聞いた日は湯船や短い散歩のように言葉を使わない行いを一つ挟むこと、そのくらいで戻りが早くなる方を何人も見てまいりました。断るかどうかを決めるより、戻る道をあらかじめ用意しておくほうが、現実にはよく効くように感じます。

それから、これはお伝えしておきたいのですが、聞ける人がいつまでも聞く人でいなければならない決まりはありません。役が固まって見えるときは、周りがそう扱っているだけで、ご自身の内側ではもう別の季節が始まっていることがあります。その気配は、秋の空気がよく運んでくれます。打ち明けられる日々のなかで、自分のほうの声がどこへ行ったのか分からなくなったとしても、消えてはいないと私は思います。

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