無責任な占い師の話を聞いた私の末路

無責任な占い師の話を聞いた私の末路

記事
占い
はじめて占いに行ったのは、私が高校2年のときだ。

当時の私は、ただ家に帰りたくないという理由で、
学校帰りに吉祥寺駅周辺を歩き回っていた。

吉祥寺は、実家の最寄りの隣駅だ。
東京の住みたい街ランキング上位にランクインする
吉祥寺は、ほぼすべてのジャンルを網羅するお店が
新旧入り交じって立ち並び、洗練されているが
同時に生活感もある。

多様性がぶつかることなく混在するいい街だなぁと
今でも思うが、
自意識過剰の頂点にいた思春期の私は、
私を受け入れてくれる場所はこの街しかない、
などとのたまい、自分が「何者か」である夢の中で
長いこと酔っぱらっていた。

どれくらい酔っぱらっていたかというと、
一人でジャズ喫茶に行き、バイトの時給が
飛ぶくらいのコーヒーを飲みながら、
「なんのために生きているのか」と溢れんばかりの
バイタリティーで悩む時間をわざわざ設け、
なんなら架空の彼氏とそれについて語りあったりしていた。

ひどく、徹底的に、現実から目を背けていた。
目を背けずにはいられないほど、自分の存在が、
くだらなくて恥ずかしくてたまらなかったのだ。

勉強はおろか、最低限の身の回りのことすら
まともに出来ない。
なのにプライドだけは一丁前で、
誰にも弱みを見せられなかった。
どれだけまわりからバカにされても、
「それが私」と開き直って平気な顔をしていた。

活気あふれる吉祥寺は新陳代謝の良い街で、
かなりの移り変わりがみられる。
吉祥寺駅に直結するファッションビル、
今は「アトレ」となっているその場所は、
当時「ロンロン」という名のビルだった。

ロンロンには、どことなくパッとしない
雰囲気のテナントが揃っていた。
見栄を張らずにいられる優しい空間を、
私はひそかに気に入っていた。

確か、ロンロンの一階、
花火の広場の近くに占いのブースが二つあった。

私は、知り合いから見られていないことを
入念に確認したのち、
母親くらいの年の女性が待っているブースに、
えいっと飛び込んだ。

私と目が合った占い師さんは、
狐につままれたような顔をした。
ルーズソックスの女子高生が飛び込んできたら、
そりゃ何の用かとも思うだろう。

「私、どうしていいかわからないんです。」
開口一番、私はそんなことを口走った記憶がある。

情けなかった。
でも情けない私が、情けない私のままでいられる場所を、
私は無意識に求めていた。
そして、情けない悩みを打ち明けることを、
3,000円という対価を払うことで、
自分に許可することができた。

「大丈夫よ、あんたかわいいんだから。
泣かないの、元気出すのよ。大丈夫、大丈夫。」

ろくに私の未来を占おうともせず、
占い師さんは大丈夫と繰り返した。

私は泣き続けた。
一切の感情が湧かなかったのに、
不思議と涙が止まらなかった。

あれから20年以上の歳月を重ね、
まあ色んなことがあり、私は随分と骨太になった。
どれだけ情けない自分と出会っても、
しゃーねえなと笑い飛ばせるし、
どんなにダメそうな感じになっても、
「大丈夫」と自分で自分に率先して
言い聞かせられるようになった。

でもあの頃の私は確かに、
「大丈夫」と言われただけで泣けてしまうほど、
ちっぽけな世界であがいていた。

ある時は本の一節の、
ある時は通りがかりのおばあちゃんの、
ある時はたまたま受けた占いの。

無責任な「大丈夫」は、
私にときどき手を差し伸べてくれた。

そして「大丈夫」が自分の人生を通して証明された今、
私は占い師をしている。

「大丈夫、きっとうまくいく」
私は無責任にも、
これを伝えずにはもういられないのである。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら