ブルドッグってさ。
かわいいのかもしれない。
いや、かわいいんだと思うんだよ。
見方によっては、かなりかわいい。
でも、美人ではないよね。
そこはさ、さすがに言っていいと思うんだ。
ブルドッグには申し訳ないんだけど、美人ではない。
きれい系ではない。
シュッとしていない。
涼しげでもない。
小顔でもない。
なんなら、顔だけで言うと、だいぶ渋い。
いや、犬に小顔とか言うなよって話なんだけどさ。
でも、人間ってすぐそういう見方をしちゃうじゃん。
かわいいのか。
美しいのか。
モテそうなのか。
整っているのか。
いや、なんやろそれ。
犬を見てまで、顔面偏差値みたいなこと始めるなよっていう。
自意識の審査員、勤務範囲広すぎるんだよね。
灼熱の昼下がりに、渋すぎる顔で歩いていた
この前、灼熱の昼下がりに、夫婦とブルドッグがお散歩していたんだよね。
ちょうど太陽の方向に向かって歩いていてさ。
もう、暑いわけ。
人間でもちょっと嫌になるくらいの、あのジリジリした日差し。
その中で、ブルドッグがめちゃくちゃ渋い顔をしていたんだよ。
もうね。
完全に映画だった。
灼熱のアスファルト。
強すぎる日差しに、
黙って歩く夫婦。
そして、すべてを知っているような顔をしたブルドッグ。
あの顔は、絶対に何かをぼそっとつぶやいていたと思う。
「暑いな」
とか。
「また昼か」
とか。
「人間はなぜ、この時間に歩く」
とか。
いや、知らんけど。
でも、顔がそう言ってたんだよね。
声は出していない。
でも、顔が完全にしゃべっていた。
しかもブルドッグって、前から見ても渋いんだけど、後ろ姿もなかなか独特なんだよね。
お尻も、別にきれいとは言えない。
これも本当に申し訳ない。
犬のお尻に美醜を持ち込むなという話なんだけど。
でも、見えてしまったものは仕方ないじゃん。
あの、どしっとした体。
むちっとした後ろ姿。
地面に近い重心。
もう、全部が「私はブルドッグです」って言っている。
その存在感に、ちょっと笑ってしまったんだよね。
ブルドッグにもメスはいるじゃん、という当たり前の発見
そこでふと思ったんだよ。
ブルドッグにもメスはいるじゃん。
当たり前なんだけど。
でも、そこを急に考えると、ちょっと変な感じになるんだよね。
じゃあ、ブルドッグのメスは、自分が美人かどうかを気にしているのかなって。
いや、気にしてないだろうけど。
でも、もし気にしていたらどうなんだろう。
あの顔で、かわいい声で、
「今日ちょっと顔むくんでるかも」
とか思っていたらどうしよう。
いや、顔は常にむくんでる感じじゃん。
ごめん。
でも、そういう話になってくる。
「あの子、しわの入り方きれいだよね」
とか。
「鼻息に品があるよね」
とかさ、
「歩き方に余裕あるよね」
とか。
ブルドッグ界では、そういう美しさがあるのかもしれない。
人間にはわからないだけでさ。
しわの深さ。
体の詰まり具合。
口元のたるみ??
地面を押すような歩き方。
いや、なんやろそれ。
ブルドッグ品評会の審査員みたいになってきた。
でも、考え始めると少し面白いんだよね。
美しいって、一体誰の基準なんだろうって。
人間はすぐ、自分を外側から採点する
人間はすぐに、美しいとか、かわいいとか、モテるとか、スタイルがいいとか、そういう言葉で相手を見る。
で、自分のこともそうやって見てしまう。
電話相談でも、けっこうそういうお話もいただく。
今日の顔はどうか。
服は変じゃないか。
太って見えないかとか、
場違いじゃないか。
変に思われていない??
ね、
いや、なんやろそれ。
どんだけ自分を24時間監視してんねん、っていう。
自意識の警備員、ちょっと働きすぎじゃん。
電話相談を受けていても、見た目とか、年齢とか、場に合っているかとか、どう思われたかとか、そういう話はけっこう出てくる。
もちろん、わかるんだよね。
人間は社会で生きているからさ。
完全に見られ方から自由になるのは難しい。
でも、それにしても、自分を外から見すぎている人は多い。
今の私は変じゃないか。
浮いてないか。
笑われないか。
ちゃんとしているか。
好かれそうか。
いや、もう、面接官を何人住まわせてるんだよって思う。
頭の中に審査員席が多すぎるんだよね。
でも、あのブルドッグはたぶん何も気にしていない
でも、あのブルドッグは、おそらくそんなこと1ミリも考えていない。
ただ、暑い。
ただ、歩く。
ただ、息をする。
ただ、ブルドッグとしてそこにいる感じよ。
この「ただいる」っていう状態、なんかもう、それだけで勝てない感じがしたんだよね。
人間から見て、美人かどうか。
かわいいかどうか。
お尻がきれいかどうか。
歩き方がシュッとしているかどうか。
たぶん、全部どうでもいい。笑
本人、というか本犬は、何も気にしていないっぽいし。
ただ、その体で、その顔で、その重心で、その日差しの中を歩いている。
暑いなら暑い顔をする。
疲れたなら疲れた顔をする。
鼻息が荒いなら荒いまま歩く。
そこに、媚びがない。
加工もないじゃんね。
「かわいく見られたいです」みたいな演出もない。
いや、演出されたブルドッグもいるのかもしれないけどさー。
少なくとも、あの日のブルドッグはしていなかった。
ただ、灼熱の中を、渋い顔で進んでいた。
それが、妙に忘れられないんだよね。
ただそこにいるだけで、成立している生き物
人間はさ、美しくあろうとしすぎて、ちょっと疲れているのかもしれない。
かわいく見られたい。
ちゃんとして見られたい。
変に思われたくない。
嫌われたくない。
その結果、ずっと自分のことを外側から眺めている。
でも、あのブルドッグは、自分を外側から眺めていない感じがした。
自分の顔を評価していない。
自分のお尻を反省していない。
自分の歩き方を改善しようとしていない。
ただ、生きている。
いや、わからないよ?
本当は帰宅後に鏡の前で、
「今日の俺、渋すぎたな」
とか思ってるかもしれない。
ないと思うけど。
でも、たぶん奴らは気にしていない。
美しいかどうかも。
かわいいかどうかも。
人間からどう見えているかも。
ただ、ブルドッグとしてそこにいる。
そして、それだけで妙に完成している。
ブルドッグ禅という、よくわからない結論
なんか、最終的にブルドッグ禅みたいな話になってきた。
いや、何それって感じなんだけど。
でも、本当にそう思ったんだよね。
余計な自意識がない。
説明もない。
反省会もない。
映えもない。
ただ、暑い日の道を、渋い顔で歩いている。
それだけなのに、妙に絵になる。
人間はたぶん、いろいろ考えすぎる。
自分は美しいのか。
ちゃんとしてんの?
受け入れられるかな??
場にふさわしいのか。
誰かに変だと思われないか。
でも、あのブルドッグを見ていると、たまにはそれくらい雑に存在してもいいんじゃないかと思うんだよね。
美しいかどうかは知らない。
かわいいかどうかも知らない。
でも、今日も自分の体で歩いている。
暑いなら暑い顔をしてるし、
疲れたなら疲れた顔をしている。
それで、案外ちゃんと上手く成り立ってるわけ。
あの昼下がりのブルドッグは、たぶん何も考えていなかったと思う。
少なくとも、人間が勝手に背負っている、美醜とか、評価とか、見られ方とか、そういうものの外にいた。
だからこそ、あんなに渋くて、あんなにおかしくて、あんなに妙にかっこよかったのかもしれない。
ブルドッグは、自分が美人かどうかを気にしていない。
たぶん。
そして、その気にしてなさが、なんかちょっと羨ましかったんだよね。
めちゃくちゃ長いブルドック論を
読んでいただき、ありがとうございます。
たまには、ね!