「なぜ、あの人は持っていて、私だけが空っぽなのか」
もしあなた様が今、そんな冷たい絶望の底で立ちすくんでおられるのなら、どうか少しだけ私の昔話を聞いてください。
私は今でこそ、三輪の神気をお借りし、人の御霊(みたま)の歪みや欠損を修復する役目を担わせていただいております。
けれど、最初から澄み渡る境地にいたわけではありません。
むしろかつての私は、誰よりも深く、自らの御霊の底を破り、生きることそのものを呪い続けていた人間でした。
神宿る三輪の杜の気配を間近に感じて育ちながらも、成長するにつれ、私を取り巻く現実は過酷な摩擦と軋みばかりでした。
周りの人々が軽やかに笑い、当たり前のように愛を受け取り、日々の営みを積み重ねていく姿を見るたび、私の胸には冷え冷えとした孤独が積もっていきました。
「なぜ、私はこんなにも生きづらいのか」
「なぜ、どれほど真心を注いでも、最後は奪われすり減ってしまうのか」
他人の悪意や機嫌に怯え、言いたい言葉を喉の奥へ押し殺し、ボロボロになりながら笑顔を取り繕う日々。
家族の葛藤や理不尽な不運が幾重にも重なり心身ともに底をついたある夜、私は暗闇の中で一人、声を殺して泣きました。
どれほど学び、どれほど祈りを捧げ、どれほど前向きに生きようとあがいても何ひとつ変わらない。
注ぎ込んだ気力も、わずかな希望も、隙間からすべてこぼれ落ちて消えてゆく。
「自分という人間は、最初から底の抜けた欠陥品なのだ」
そう天を恨み立ち上がることすら諦めかけていた時期が、確かにございました。
転機は、心身が完全に擦り切れ、逃げ込むように足を踏み入れた三輪山・狭井神社の杜で訪れました。
言葉を失い、冷たい神気の中にただ立ち尽くしていた私の前に、古くから神道と御霊の理(ことわり)に携わってこられた、ある年老いた祈り手の方が静かに歩み寄ってこられました。
その方は、私の乱れた息遣いと沈みきった気配をじっと見つめ、ただ一言、こう仰ったのです。
「お前は、心が足りないのではない。器の底が抜けたまま、水を汲もうとして泣いておるのだな」
その瞬間、何十年と喉の奥に堰き止めていたものが一気に崩れ落ち、私はその場に崩れ落ちるように涙を流しました。
頑張りが足りないのではない。
心が歪んでいるのでも、天に見放されたのでもない。
過酷な日々を生き抜く中で、耐えきれずに御霊の底が抜け落ちていただけだったのだと。
何十年も誰にも理解されず自分自身でさえ責め続けてきた魂の痛みを、初めて正確に見抜かれ抱き留められた瞬間でした。
それから数日間、私はその方の元で神泉の水と三輪の神気に身を委ね、御霊の手当てを受けました。
こびりついた他者の念や過去の澱(おり)を洗い流し、砕け落ちていた底をふさぎ、歪んだ波長を静寂へと調律していただく中で、私は胸の奥底がじんわりと温かい力で満たされていくのを感じたのです。
「人は、底を塞ぎ、正しく修復を施せば、自らの力で必ず光へと還ることができる」
それは机上の理屈ではなく、死にかけていた私自身の魂が息を吹き返した瞬間に得た絶対の確信でした。
その後、長い年月をかけて霊視と神事の術を継承した私は、ご縁のあった方々へ静かに鑑定をお届けするようになりました。
やがて知人の勧めもあり、インターネットを通じて遠方の方々とも御霊を繋ぐ場を設けました。
最初の頃は、「目の前に訪れてくださる数名の方を、静かに導ければそれで十分だ」と、どこかで自分の役割を小さく見積もっていたように思います。
けれど、ある日届いた一通の切実なメッセージが、私の生ぬるい迷いを根底から打ち砕きました。
「他の誰に視てもらっても、現実は何も変わりませんでした。私の人生は、もう手遅れなのでしょうか」
その文字を目にした瞬間、胸の奥を鋭く貫かれたような衝撃が走りました。
画面の向こうに、かつての私がいる。
誰にも言えない痛みに耐えかねて、底の抜けた器を抱え、暗闇の中で震えながら最後の救いを求めている方が今まさにそこにいる。
「私のもとへ繋がってくださる方だけで満足する」などという姿勢は、ただの怠慢であったと恥じ入りました。
遠くに住んでいて直接足を運べない方。
夜中に一人、誰にも言えない重荷に押し潰されそうになっている方。
「もう自分は壊れてしまったのではないか」と怯えている方。
そうした方々にこそ、三輪の冷冽な神気と、御霊を繕うこの施術を届けなければならない。
かつてあの杜で、私のボロボロだった器を繕ってくださった師の温もりを、今度は私が誰かのために手渡さなければならないのだと、魂の底から腹を括りました。
どれほど尽くしても満たされない恋も、
真面目に耐えているのに評価されない理不尽も、
巡ってきた豊かさがすり抜けていく虚しさも。
あなた様の御霊が「もう耐えきれない」と叫んでいる軋みの音に他なりません。
どうか、ご自身を責めることだけはやめてください。
あなた様は何も悪くありません。
ただ、器の底が抜けてしまっただけなのです。
底が抜けたのなら、ふさぎ直せばよいのです。
かつて人生の暗闇を這い蹲り、御霊を修復して息を吹き返した私だからこそ、あなた様が今立っているその冷たい場所の痛みが、手にとるように分かります。
私は、気休めの甘い言葉で誤魔化すような鑑定はいたしません。
どこに欠損があり、何が運気を漏らしているのかを冷徹に視極め、三輪の神気をもってお預かりした御霊を健やかな器へと修復いたします。
どれほど長く暗闇にいようと、関係ありません。
その切実な苦しみを、そのまま私にお預けください。
あなた様が本来宿すはずだった光と、穏やかに満たされる温かな日々を、私の全霊をかけて取り戻しにまいります。
御諸斎月(みもろ いつき)