貴方の人生に伴走します!
所持資格:薬剤師・子育て支援員・ベビーシッター
発達障害を持って生まれ(診断は成人後)、両親からの暴力に脅えながら毎日を過ごす。
小学3年生の下校時、ダンプカーとの接触事故に遭い、後遺症としてCRPS(スコア化した研究では、末期がんの倍以上の数値を示す難治性疼痛疾患)を発症。
以来、一瞬たりとも痛みから解放される瞬間はない。
様々な治療法を試したが、効果はほとんどみられず、大量のモルヒネを使って痛みを抑えながら生活をしている。
発達障害の中に感覚過敏という特徴的な症状があり、味覚過敏のため、食べられない食材が多く、食事と給食は私にとって拷問の時間だった。
中学生になり、少し知恵をつけた私は、暴力を避けるために「食べない」という方法を思いつき、10年以上食べることを拒否し続けほぼ水分だけで生きた。
生きていけるだけの収入を得る手段として、通信制高校・薬学部への進学を目指すこととした。
この頃、治療費の捻出が困難になり、奨学金を治療費にも充てることで治療も維持できた。
しかし、ひとたび留年などしてしまえば、即刻奨学金の貸与は停止され、それは、私にとっては人生の破綻を意味する。
大学入学時、分数の計算すら解けない学力で薬学部をストレートで卒業するには、食事・入浴・睡眠、削れる時間を見つけ出し、私に与えられた24時間×6年間の全ての時間を大学卒業のために充てた。
しかし、医療系6年制大学ですらみえない障がいに対する偏見は根強く、数々のアカハラを受け、なんのためにこんなに辛い思いをしてまで薬剤師になろうと努力を重ねたのか、自身でも分からなくなり、卒業後、賠償金が続く限り引きこもり生活を続けた。
引きこもり生活は合計10年をゆうに超えている。
交通事故による後遺症に対する損害賠償請求を行い、1次訴訟は最高裁、2次訴訟は高裁まで係争することとなり、訴訟にも莫大な時間と労力を要した。
最も興味があるのは乳幼児保育であるが、私の身体では保育士になるのは不可能だと判断せざるを得ず、ボランティアで子どもたちと関わることができる活動を見つけては片っ端から参加させていただいた。
乳幼児病棟での保育・子育てサロンの開催・サンタに扮してのプレゼント配布等、たくさんの子どもたちと関わることができ、家に居場所のなかった私にアイドルになれる場所を提供してくれた。
私は良くも悪くも子どものままなので、子ども同士として遊べる。
長年痛みを避けるための姿勢不良による負担が重なり、5年ほど前に頚椎症性脊髄症を発症。
専門医も驚くくらい変形が強いため手術によるリスクは大きく、更にこの2年で明らかに悪化し、頸髄完全損傷まで悪化するリスクが日々増している。
もう1つの特技は、薬剤師として患者さんと接するとき、医療者としての立場、患者としての立場、両方の立場に立てることだ。
同僚も「スゴい」と評価してくれている。
終末期患者の医療用麻薬使用に対する不安や自殺願望等、様々な苦痛への対応をできる医療者はまだそう多くはない。
私にお話しを聞かせてくれませんか?