遊戯
おはようございます。山の山荘を守り続ける方とお話する機会がありました。自然と共に生きられておられる方は神さまのおかげさまを大切にされておられるようですね。おこじょという生き物が現れると神さまが現れたということで、その日一日休みなさいということだと言い伝えられているそうです。その土地土地に伝えられる先代からの智慧を聴かせていただけることは喜びでもあります。ありがとうございます。最近 遊戯 という表現を目にしました。遊ぶが如くに利他に行ずることができる仏さまの境地のことを表されるようです。それはとても自然にということなのでしょう。最近電車に乗っても、人込み歩いてもなぜこんなに静かでときめきのような感覚なのだろう。そうサラさんの様子に有難く感じることがよくあります。それは私とは何か?の背後の静けさで存在しているひとときが増えたのかもしれませんね。眼が見ているものを見て聴こえてるものを聴いて・・・考えが入らない前の世界はとても静かで穏やかです。それが遊戯の状態でもあるのでしょう。以前はその状態にどこか拘っていたことに気付きました。どこか不自然にな生き方でもあったように感じます。あくまでもサラさんの中で感じることですが・・・私、私はこう思う、感じる、嫌だ、好きだ・・・その私をじ~~~~って眺めて(感じる)みてください。全部静けさの中で起きていることで徐々にこれをしているとそれらの動きから距離が生まれてきます。暑い暑い、嫌だ、人込みは苦しい・・・そういう働きが生まれてきたらそっと、その様子を眺めてみるすると、それらは静けさの中に溶けていくのを感じます。静けさだけになる。ふとしたひとときに私
0