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やり方色々『羅生門』(1/2)

朗読で、よく題材になる芥川龍之介作品。切れ味の良い言葉遣いが音読するのにたまりません!そういえば、自分、大学時代は近代文学ゼミだったなぁ、とか思い出しましたわ…本当に、変な人生。
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7月24日は?「河童忌」!どんな日なの?!

皆様いつもありがとうございます。 7月24日は 「河童忌」 なんだそうです。 河童が何かしたの? 河童をお祀りしたの? って思いますよね! 一体何の日なのでしょうか? 1.「河童忌(かっぱき)」ってなに? 大正時代を代表する 小説家・芥川龍之介 (あくたがわ りゅうのすけ) の1927年(昭和2年)の忌日。「河童忌(かっぱき)」 の名称は、 龍之介が 生前に好んで河童の絵を描き、 また 短編小説『河童』が あることにちなむ。 その他に、 号の 「澄江堂主人 (ちょうこうどうしゅじん)」 に由来して 「澄江堂忌」や、 俳号の 「我鬼(がき)」 に由来して 「我鬼忌」 とも呼ばれる。 2.芥川龍之介について 1892年(明治25年)3月1日東京市京橋区入船町 (現:東京都中央区明石町) に父・新原敏三、 母・フクの 長男として生まれる。 家は 牛乳製造販売業を営む。 母が精神を病み、 母の実家芥川家に 預けられる。 11歳の時に 母が亡くなり、 芥川家の養子となる。 芥川家は江戸時代、 代々徳川家に仕えた 奥坊主 (おくぼうず:職名の一つ。 江戸城内の茶室を管理し、 将軍や大名・諸役人に 茶の接待をした坊主) の家である。 家中が 芸術・演芸を愛好し、 江戸の文人的趣味が残り、 早くから文芸への関心を持つ。 1913年(大正2年)、 東京帝国大学英文科へ進学。 在学中の 1914年(大正3年)に 菊池寛(きくち かん)、 久米正雄(くめ まさお)らと 文芸雑誌・第三次 『新思潮(しんしちょう)』 を創刊する。 1915年(大正4年)、 代表作の一つとなる 短編小説 『羅生門(らしょ
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無職 12日目

アラフィフ 無職男子、次のアテ無しのまぁくんです。今日は、無職12日目。己の腕・スキルで独立独歩に稼ぐだけの勇気も自信も無い中で、求人応募はことごとく見送りになり、今日も頼みにしていた案件が見送り連絡。いよいよ、「はて、どうしたもんか・・・」となったわけです。そんな状況になっている自分を感じた時、ふと、高校の国語の授業だったかで読んだ、芥川龍之介『羅生門』の冒頭を思い出しました。あの話は、雨降る夕方の平安京で、まさに失業した主人公の「下人」が、今の私のように、当てもない中で「さてどうしたものか・・」と途方にくれるシーンで始まります。動乱の世で、生活保護制度も無い当時の下人に比べれば、私など遥かにマシなんではありますが・・・。で、『羅生門』の結末というのが、その下人が強盗になる「決意」をして、まさに初回の犯行に手を染めて闇に染まる退廃した京のまちに走り去っていくシーンで終わるのです。そのことを思い出し、我が身に照らしてゾッとしました。失業してどう暮らすか当てを失ったスタート、強盗になって去っていくエンディング。救いの無いような暗い話に思える『羅生門』ですが、途中に一筋の救いになる人物が出てきます。それが、老婆です。この老婆は、当時、火葬する費用も出せずに捨てられていた行きずりの死体から、カツラにするために髪の毛を抜く仕事をしていました。現代風かつマイルドに解釈すると、街角の空き缶を集めて売るようなものかもしれません。しかし、下人が強盗になると決意を固めたのも、この老婆の行為を目撃してのことでした。確かに、下人の気持ちも少し分かる気もします。人気の無い小雨降る夕闇の中、死体から髪を
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鼻/芥川龍之介

青空文庫より「鼻」芥川龍之介朗読しました。禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻と云えば、池(いけ)の尾(お)で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇(うわくちびる)の上から顋あごの下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰(ちょうづめ)のような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。  五十歳を越えた内供は、沙弥(しゃみ)の昔から、内道場供奉(ないどうじょうぐぶ)の職に陞(のぼ)った今日(こんにち)まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来(とうらい)の浄土(じょうど)を渇仰(かつぎょう)すべき僧侶(そうりょ)の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧(おそれ)ていた。(青空文庫より一部抜粋)
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小説作家アンケートと私の所感①芥川龍之介

近代文学や19世紀欧米文学、やっぱり読んだ方がいいという思いで、Xにて直球アンケートを取りました。 その結果と私の勝手な所感を書きます。 はじめに、芥川龍之介です。前提として、私のXのFFさんは物書きさんや読書家さんが多いです。そこは押さえておいてください。 それから、設問が一貫していないので、答えにくかったり回答がばらけたりしたとも思いますが、どうか大目に見てくださいませ。 さて、現代でも芥川の人気はそこそこ高いようです。 「好きで大体読んでいる」が約4人に一人。 「有名なものは読んでいる」が6割強。 芥川にまったく触れないできた方は少ないようですね。 私個人の話で言うと、芥川は好きで、大概を読んでいます。特に10代~20歳前後くらいに集中して読んだことで、私の「文学の骨」をつくるのにかなりの影響を与えてくれた作家です。 芥川というと孤高の人というイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実際には違う側面もありますね。 文学・小説でいうなら、短編を大量に残しました。 それらは失敗作もあれば傑作もあります。 ただ言えるのは、芥川は小説における挑戦をずっと続けていった作家だということです。 今日書く者としても学ぶところ大だと思います。 人柄は誠実で真面目だったのでしょうね。 かつ、鋭敏な感覚と繊細さを併せ持っていました。 また、どうしてもぬぐえない思い。 芥川は短編作家ですが、もし体力・精神力の余裕があったなら、西洋に匹敵する大作を書き得たのではないかという思いです。なぜなら、当時の日本の知識人の中でも、彼ほど深く欧米の文学をよく理解し得た人物はなかったのではないかと思うから。 ま
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「愛」の文体

もし愛について芥川龍之介がその愛を表現したとな・・・彼女の微笑みは、魂を揺さぶる一瞬の奇跡である。その煌めきは、闇夜を照らす星のように儚く美しい。私はその魅力に魅了され、愛に満ちた言葉を紡ごうとするも、言葉が不十分であることを痛感する。愛とは、繊細な花のようなものだ。それは、儚さと強さを併せ持つ奇跡の花である。彼女との出逢いは、その花が心の庭に咲く瞬間だった。花びらは、風に舞い、香りは心を満たし、私の魂は彼女の存在に染まっていく。 彼女の眼差しは、深淵の中に秘められた星のように輝いている。それは、私の内なる闇を照らし、新たな光を与える。その星が私の心に降り注ぐとき、愛は言葉を超えた言葉になる。それは、魂と魂が交わる瞬間であり、宇宙の神秘と調和する瞬間である。 彼女との愛は、風のように自由でありながら、岩のように堅固である。時には嵐によって揺さぶられることもあるが、私たちの絆は不滅のものだ。彼女との愛は、時を超えて続く物語であり、永遠の誓いである。 愛とは、言葉では形容しきれない奇跡のようなものだ。それは、心の奥底で輝く星のように美しく、時には嵐によって揺れ動くが、それゆえに尊いものとなる。筆から生まれた言葉では、その奇跡の美しさを完全に表現することはできないが、心からの愛を込めて、彼女へと語りかけるのだろう。もし太宰治なら・・・僕は彼女に出会ったとき、人生が一変したと感じた。彼女の存在は、ただの出会いではなく、奇跡のような偶然の産物だった。彼女の瞳に映る世界は、美しさと哀しみが交錯する深淵であり、僕はその深みに引き寄せられた。 彼女の微笑みは、儚くも輝く夜の星のように僕を魅了す
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