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居ないことの感覚

余命4ヶ月の宣告を受けてから1年半命を繋ぎ 母は静かに息を引き取った。朝方だったので立ち合いは医療関係者のみ。母らしいと思った。兄が母を迎えに行き、エレベーターに乗るとき 緩和病棟の医療関係者の殆どの人がずらっと並び、母に敬礼をして見送ってくれたという。緩和病棟には珍しく、自分の痛みや苦しみより 医師や看護師・同じ境遇の患者さんを最後の最後まで励まし続けた母。感謝の気持ちを表し、常に「ありがとう」を伝えていた母。私の心は救われた。父が亡くなった時は、死を受け入れるのに時間がかかりすぎた。それは、地元に戻った時すでに父は認知症で会話らしき会話が出来ていなかったから。あれだけ迷惑をかけ、心配をかけてきた父に心を通わすことが出来なかったから、後悔だけが残っていた。母とは最後に、濃い時間を過ごし親子であるからこそ理解しあえる時間があったから、母の死は誇りに思う。私は、母の亡き後 しばらく体調を崩した。過剰睡眠に陥り、何度も夢を見るそこには母がいて、父がいて、小さい頃の思い出が繰り返し出てきた。家の中でも、母の存在があちらこちらに現れ 「今はゆっくりしていなさい」そう言ってくれた。娘の子供も母が見えるらしく、私から見える母の方を指さし「あーあー」と声を出し微笑む。私は子供や孫に何を残してあげられるだろう・・・思い切って、FacebookもTwitterもインスタも削除した。もっと大切なものがあるような気がした。確かに、私は一人ではない。一人では何もできない。そばにいなくても、常にだれかに支えられ、何かに支えられ、孤独を感じる日でも、宇宙の中で私を必要としてくれている人がいる事は確かだと思
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