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知りたい事が多すぎる件

こんにちは皆様。昨日はバイトで忙しくて、去年(ほんの半月くらい前)は忙しかったんだなーと実感。昨日はそこまでの仕事は無くて、これで良いの?状態で仕事をしていました、帰って娘が買ってきた物について疑問が有って、つい写真を撮ってしまった。見て貰っても分って貰えないかもしれないのですが、グレーのまな板とホワイトのまな板の模様が反対になっている。何で?こんなのは大抵プラスチックの型で作るから一緒になるんじゃ無いの?模様は一緒なのだから反対になる道理が無い、娘にどう思う?どう思う?と言っても、いろんな型があるんでしょ、との答え何だか腑に落ちない。こんな疑問は私だけじゃないよね、きっと大勢の人が思っている疑問、でも通り過ぎるんだよね。子供の頃から疑問は頭の中で渦巻いていて、きっと答えを見つけるまで無くなる事は無い。この頭の所為で親にはいつも何考えてるか解らないと言われていて、それが悪いと思っていたので質問もせずに答えが分かってから、ああー成程となっていた。子供の疑問の目を摘むのはどうなん?今の大人なら云うのでしょうが、昭和の時代はめんどくさいと考えて答えなかったのだろう。今でも色んな疑問は有って、人と自分の違いって私が物を知らない人だってことなのかと思っていたら、知りたい事が多すぎる事だったのに気付いた。他の人もそうなのかな?いつも、有難う御座います。
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まな板の上の超新星爆発と存在の疑念

こんにちは!石田大顕です。予言しよう。今日、あなたが夕飯の準備のためにまな板を取り出したとき、その平らな表面で一つの宇宙が終わりを迎える。私はいつも通り、木製のまな板の上に野菜を置こうとした。しかし、その乾いた表面に包丁の先が触れた瞬間、そこには食材ではなく、目が眩むほどのまばゆい閃光が走った。それは超新星爆発だった。まな板という限られた境界の中で、巨大な星がその一生を終え、凄まじいエネルギーを放出して霧散していく。飛び散った星の破片は台所の壁を透過し、私の体をも通り抜けて、世界の裏側へと消えていった。この現象を目の当たりにしてから、私の中に拭い去れない存在の疑念が芽生え始めた。これは単なる心理的な違和感ではない。超新星爆発の余波によって、私自身を構成している素粒子が、この現実とは別の座標へと書き換えられてしまったような感覚だ。自分の腕を見つめても、それが確かに自分の意思で動いているのか確信が持てない。鏡に映る自分の輪郭が、まるで古い映像のノイズのように絶え間なく細かく震えている。超新星爆発は、破壊であると同時に新しい命の源でもあるという。しかし、私のまな板の上で起きたそれは、ただ純粋な無への回帰だった。私が切ろうとしていた人参も、それを握っていたはずの記憶も、すべては爆発の熱に焼かれて蒸発してしまった。存在の疑念は次第に広がり、今ではこの部屋の床や天井、そして私が今こうして綴っている言葉さえも、爆発が見せている一瞬の幻覚なのではないかという問いが、頭の中から離れない。ココナラでやり取りされる多くの願いや悩みも、このまな板の上の出来事に比べれば、あまりに儚い瞬きに過ぎないのかも
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