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なぜ話したくないのか?

人は誰しも自分の話をしたい、人は話したがる生き物だ。だからこそ、人の話を聴ける人は重宝されるし、「傾聴」する力が重要視されている。それでも、話したくないときがある。それは、「話さなきゃよかった」という経験や思い出が脳裏によみがえるときだ。自分の話をするのが苦手という錯覚私は自分の話をするのが苦手だ、今までそう思っていた。周りの人には、「もっと話してほしい」とか「何考えているのかわからない」言われることが多かった。そういった言葉を聞くたびに、自己開示の大切さ、言葉にすることの重要性を感じてはいた。自分にできていないことだと思った。だけど、違っていたんだなこれが。ものごころついたときから、今に至るまで自分のことを話してきた人達は確実にいた。友人は多い方ではなかったが、自分のことを話せる人は必ずどの年代でもいてくれた。だからこそ今まで今まで生きてこれたのだと思う。自分のことを話せるひと、(以下話せる人)には私自身や私の話を否定されたという思い出がない。うんうんと頷いて、いいねいいねとは言ってくれなかったかもしれないが、それでも私が彼らに安心し自分の話をするには充分だった。なので、彼らからは「もっと話してほしい」とか「何考えているのかわからない」とは言われない。聴いてくれるから話せたのか、話したら聴いてくれたのか今となってはわからない。話したくない人たち一方で話したくない人達の存在が明らかになった、なんというか好きとか嫌いというより、単純に自分の話をしたくないという人がいる。いきなりそんな人が現れるのでなく、関わっていく上で、「話したくない」カテゴリに分類されることに近い。そういった人
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