「右が大きく下がれば、左は大きく上がる」シーソーして成り立つバランス。
私は昔、0か100かと極端な思考でした。「適度な」というものが分かりにくく、
やり過ぎて逆に良くない結果になりがちでした。
過去には、上手くいかない社会との接点を、
極端に痩せることで埋め合わせていました。
ダイエットのやり過ぎ、極端なダイエットで、
摂食障害を長く患うこととなりました。
痩せるという誰もが羨ましく憧れる殻をかぶることで、
自信がなくて、
生きていくことを躊躇うような自分であっても、
なんとか社会で生きることができました。
過食症という摂食障害に悩まされていたので、
大量の食べ物を食べては吐いて、
下剤を乱用して、
身体はボロボロでした。
けれども、
心と身体は本当に上手く働いていて、
身体はボロボロである変わりに、
身体を代償とする変わりに
精神は社会に掴まって、生きていくことができました。
何とか社会適合できていた代償は、
年月を経ても私の身体にしっかり留まっていて、
1度体内に入れたものを強制的に戻すという
人間の生理的運動ではないこと
自然の流れとは逆の流れは、
身体にとってはとても負担で、
繰り返され積み重なった負担は、
主に食道と胃の不調と、食道と胃の不調から生じる不調となって、
過去の代償と共に私は生活しています。
身体と心はバランスするなと感じます。
心も身体も穏やかであれば、
もちろんバランスしますが、
過去の私のように、
身体を痛めつけて、心の安らぎを得ることはあると思います。「右が大きく下がれば、左は大きく上がる」
「シーソーのような原理」なんだろうと感じます。
「極端から極端」でも、バランスは取れるのです。
私たちの周囲は、
この「シーソ
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