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テクノロジー「写真転送の起源」

【写真転送】 ファックスもネットもない1930年代 既に写真を現地から遠くの場所に 電波の通信で送る事が出来る技術が 確立されてました。 メールもSNSもない当時 新聞に掲載する写真は現地で撮影し 人間の脚で運ぶ必要があり とても時間がかかりました。 しかしこの時代すでに 電話線が主要都市に通ってたので その電話線を使った通信技術で 映像を通信で送る方があったのです 仕組みがまず写真をその場で 現像できるように必要な道具と 現像室を兼ね備えた特殊車両を 準備するのです。 その車で現地に赴き記者が写真を取り 写真をすぐにその場でネガにして 金属の筒の回りに張り付け 電波で通信する機械にセットします そして機械のについてる電球をつけ 光をレンズを通し細い光にして 筒にセットしたネガに点として当て その光の点を別のレンズに通します 別のレンズを通った光は 点として当てられた光をまた広げて 先にある光の明るさに応じて大小の 電気が発生する金属に当たるのです 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【新時代の幕開け】 写真の黒の所の光りが弱く弱電になり 白い部分が光りが強いので強電になり 当時の写真が白黒だった事もあって これで十分写真と同じ画を作れました 光の強弱で作られた電気も同じように 写真の色と同じ強弱の電気に変換され その強弱の電気が電話線を通り 受け側の会社の機械に送られます。 受け側の機械が受信した強弱の電気は 電球の光の強弱に反映しその光を レンズに通して細くし点の光にされて 感熱紙に当てられるのです。 光が当たった感熱紙は 弱い光の部分の色がうすくなって 強い光の部分の色が
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「夜の太陽」

【小さなアパート】2歳半から3歳半まで西川口に住んでた事がある。住んでいた場所は国鉄西川口駅から5分の所にあるアパートだった。家の家賃は1,500円と凄く安く風呂無し共同トイレのアパート。部屋の大きさは12畳1間の間取りでリビングもダイニングも無い。|ω・`)ショボーンしかもこのアパート電車の真横のアパートで深夜まで電車の音が聞こえ結構騒がしい所だった。でもすぐ目の前に公園がありアパートのドアを開けておけば俺が公園で1人で遊んでいても家の中から俺の姿が見えた。なのでよく1人で公園に遊びに行き砂場で穴を掘って楽しめた。(´∀`*)ウフフ〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【夢の国照明売り場】西川口に引っ越してきた時部屋に電気がついてないので駅前のヨーカドーに照明を買いに行った。そして照明売り場に行くと凄くきらびやかな照明が所狭しと吊り下げられてた!(*^▽^*)俺はその光景を見て「まるで夢の中の世界だ」とこのきらびやかな場所に感動した!もうどこもかしこも照明だらけでまぶしいほどに輝いて凄く興奮してしまう。俺はこのフロアーを走り回り物凄く楽しい気分になれた。°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°この照明が俺の家に設置されると思うと嬉しくてたまらない。そして俺が照明売り場で騒いているといつの間にか買い物が終わり帰る事になった。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【たった1この白熱灯】しかし母親の手にはあの大きな照明の箱が握られて無くカバンを持ってるだけで買った様子がない。そこで俺は「あの電気のどれかったの?」そう母親に聞いてみた。すると母親はカバンの中から白熱灯を出し「これが電気よ
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科学技術「無限電球」

【120年電球】120年間点灯し続けてる電球があります。それは「センテニアルライトバルブ」この電球が点灯し初めたのは1901年の事。この時から現在まで120年間もの間点灯し続けているのです。この電球がある場所はアメリカのカリフォルニア州リバモアにある「第6消防署」しかし現在この電球の明るさはたったの「4w」しかありません。「4w」の明るさと言うと豆電球くらいの明るさです。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【寿命の仕組み】センテニアルライトバルブ電球が120年も点灯し続けられてるには深い訳があります。それは光を発する「フィラメント」が現在の電球の8倍も太いからです。フィラメントとは電気を流すと電子が金属にぶつかりそれが電子の流れる抵抗になって光と熱を発します。そしてフィラメントがその熱でだんだん蒸発していき細くなりその熱に耐えられなくなったら切れます。このようにフィラメントが寿命を迎えるので太くすればその分寿命が持ちます。この電球のフィラメントはカーボンと言う炭素素材で出来ています。今の電球はタングステンという物で出来てますが1901年当時の電球は炭素素材がメインで作られていました。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【独禁法】タングステンフィラメントは1904年に開発されましたが寿命が短くて使い物になりませんでした。そこから10年間研究され続けやっとタングステンフィラメントが商品化できるレベルになりました。しかしなぜ120年も光り続けられる電球が作れるのに一般に作られなかったのでしょう。それは電球の生産と販売を電機業界が支配する為電球の寿命を「1000時間
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