「老いる喜びに満ち溢れる」ことができる人は少数派
もう少し高齢者問題を取り上げます。メディアアーティストで筑波大学准教授の落合陽一氏が、ツイッターで以下の意見を発信しています。「みんな日々老いるのに、どうして老いを憎むかなぁ。私という計算機は、毎日老いと手を取り合って、死に向かって時計の針を進め、人生の経験の中で毎日たくさんの計算を実行している。老いる喜びに満ち溢れる、素晴らしいじゃないか」高齢者に対する厳しい意見があふれる世の中に一石を投じた形ですね。フォロワーからは共感のコメントが寄せられています。「すごく良い考え方ですね。日々、老いていくか。当たり前のことだけど、真剣に考えたことなかったすわ」「どうせみんないつかは死ぬのでそれを憎むとかはないです」「老いることも自然、死ぬことでさえも自然。その感覚は常に持ち続けたい」しかし、私にいわせれば、甘いというか綺麗事というか。落合氏は35歳ですから、まだ実際に老いというものを経験していません。だから「老いる喜びに満ち溢れる」なんて能天気なことをいえるのでしょう。たしかに、世間では「高齢者に対する厳しい意見」があふれています。しかし、前にこのブログで書いたように、それには理由がないわけではありません。人の意見を聞かず、歳を取っているというだけで人生の先輩面し、何かといえば説教しようとする。しかも、今どきの若い者はというくせに、自分たちのほうが社会のルールを守らない。さらにいえば、国の財政逼迫の大きな要因は老人の医療費です。これではお荷物といわれても仕方がない。年をとれば誰でも知力、体力、気力が衰えます体はいうことをきかないし、頭は回らない、いろいろなことにも興味が持てなくなります。
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