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(309日目)「正しく生きる」ことは意外と難しい。

正義感この言葉に悪い印象を抱く人は少ない。もし「正義とは何か?」と問われたならそれを答えることは簡単。『間違っていることを正す』言うてしまえばそういうことです。しかしながら、『間違っている』と言っても誰の基準で?自分基準?ならばその「自分」は正しい存在なのでしょうか?「自分」は正しい判断を常に行うことができるそう言い切れる生き方をしてきたのでしょうか?今日はなぜこの話題にしたのかと言うと、目にし、耳にするニュースが発端です。例えば最近の中東問題・・・まぁイスラエル・パレスチナの争いですよね。日本に住んでいる私たちから見れば血で血を洗うような争いをしている時点で正義とは程遠いものだと感じてしまいます。しかし、当事者からすれば<国を守る><聖地を守る><積年の恨みを晴らす>これらが正義となります。『守り抜くためには命を投げ出すことも構わない』『教義を守り命を捧げれば神が導いてくれる』そもそもの思考が違うのです。国が違えば、文化も違う。 ましてや過去積み重ねてきた歴史に始まり、民族間の対立や因縁が深ければ深いほど、その国(国民)が私たちと異なる正義を持っていてもそれは致し方ないことだとも思います。 どれだけ遠い国から「対話で解決しなければ」「殺しあっても解決にはならない」と、どれだけ綺麗事を述べたところで彼らの耳に届くことはありません。なぜなら、それらの言葉は彼らの考える「正しさ」ではないからです。他にも、Youtuberの私人逮捕も最近話題ですよね。どんな動画かと言うと、痴漢が疑われる人間を取り押さえてその経過や対応を公開しているものです。一見す
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