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「上級国民の雨傘」

【社会の厳しさ】 7歳の小学1年生の時 1クラス42人もいて全部で7組まであり 学校の校舎だけで全学年収まりきらず 6年生が仮設のプレハブ校舎にいた 一応学校を1.5倍広くするための 増築工事が始まっていたけど 今年いっぱいかかってしまう様で 6年生が卒業した後の完成予定だった 6年生は全部で5組まであり 全員プレハブ校舎で勉強してて 夏は暑く冬は極寒の場所らしく もう勉強どころじゃない気がする ヒィー(゚ロ゚ノ)ノ 6年生がプレハブ校舎に移ったのは 我々1年生の入学人数が多すぎて 急遽学校の増築が決まり完成するまで 急増のプレハブに追いやられたから この時俺はやっぱこういう貧乏くじは 年上の人が犠牲になってこうむる事で 世の中の秩序が成り立ってんだと解り 初めてこれが社会の厳さだと知った アワワワワ(((゚д゚; )))ワワワワッ それに今までこんなに子供が多くなく 当時住んでた三郷団地の小学校は 立花小学校1つで団地の端の子は 自転車で15分くらいかけて通ってた 当時の三郷団地は関東で1番大きな 兄弟団地だからもし端から端まで 子供の足で歩くと1時間以上かかり 俺も広すぎて1部しか行った事がない 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【新小学校】 俺は新しい校舎が徐々にできるのを 毎日見続けてるとだんだん新校舎の 新しい教室が気になって見たくなり こっそり工事現場をのぞきに行った すると教室らしき部屋が見当たらず 理科室っぽい所や図書室っぽい所や 畳が敷かれた部屋等があったから 不思議に感じてしまう てっきり俺は全教室に収まらず 6年生をプレハブに追いやった分を 新しい校舎に
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瀧廉太郎没後120年記念 廉太郎と大吉~憾の真実2~

2023年は瀧廉太郎が23歳の若さでこの世を去って120周年。竹田市歴史文化館・由学館では特別展として「瀧廉太郎没後120年記念 廉太郎と大吉~憾の真実2~」が開催されています。少年時代に竹田の城下町で過ごした瀧廉太郎は音楽の道を志すようになりました。しかし、家族は猛反対。そんな時、廉太郎の後押しをして、応援し続けてくれたのが従兄弟の瀧大吉でした。高等小学校を卒業した廉太郎は東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)に進学、優秀な成績で卒業後、ドイツのライプツィヒに音楽留学をしました。ところが留学中にとうじ、不治の病とされていた肺結核を患い、志半ばで帰国。そのまま帰らぬ人となりました。廉太郎の良き理解者だった大吉も、廉太郎がこの世を去る半年前に脳溢血で倒れて、亡くなりました。「憾」は廉太郎の最後の曲。志半ばで病に倒れた廉太郎の無念の思いが込められているといわれています。廉太郎や大吉の生涯・業績やルーツである瀧家について史料や写真、楽譜等の様々な資料で紹介するとともに、この曲に廉太郎が込めた思いを感じながら展示を見て、市内に当時のまま残されている彼が住んでいた旧宅、そして「荒城の月」のモデルになった岡城跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。「瀧廉太郎没後120年記念 廉太郎と大吉~憾の真実2~」開催期間:2023年5月20日(土)~2023年7月23日(日)開館時間: 9:00〜17:00(木曜定休)
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