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「六角堂とは!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳🏊😎😍

💎「紫雲山 頂法寺(ちょうほうじ)」・京都の中心地・六角さん・聖徳太子創建の寺・下京の町堂・本尊(如意輪視世音菩薩様)・長寿、安産、魔除け・親鸞(しんらん)(歎異抄)、聖徳太子を尊敬!・いけばな発祥の地・多角形のお堂の意味・市民の信仰を集め、集会所や公民館のような機能を果たしている。・久留米シティープラザ(六角堂広場)💎聖徳太子とは!・飛鳥時代の皇族、政治家・皇太子・推古天皇のもとで政治に勤務・遣隋使の派遣・冠位十二階・十七条の憲法・三経義疏(さんぎょうぎしょ)・天寿国酋長(てんじゅこくしゅうちょう)・聖徳太子は、日本仏教の祖と言っても過言ではないのです。・日本仏教に多大な影響を与えた人物。・「聖徳太子なくして日本仏教なし」と言ってもいい程なのです。
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「茨城県各地に伝承する民話 第6回」(5作品を紹介)

      「西蓮寺ばあさん」(茨城県行方市での言い伝え)  むかしむかし、今の茨城県行方市塔ケ崎の大きな屋敷に、50人の召使いと数十頭の馬を持つ長者が住んでいました。ある年のこと、八幡太郎義家が欧州征伐の途中、鹿島神宮参拝のため、霞ケ浦を渡っていましたが、高須崎(旧:茨城県玉造町)に吹き寄せられ助かりました。  義家は長者のいることを知り、多くの兵を連れてしばらくの間、厄介になることにしました。義家の兵は1万とも5万とも言われていました。   「奥州へ下る途中だが、しばし世話になりたい」  「さぞお疲れでしょう。どうぞごゆっくり、お休みください」   長者は快く受け入れて、出来るだけの接待をしました。やがて義家は、「長者殿大変世話になったな」と言って、奥州へ出発しました。   義家は「この豪族をこのまま生かしておいては、後々どんなことになるか分からない」と考え、奥州の帰り、塔ケ崎に立ち寄ることを決めていました。   「このたびは、奥州を打たれておめでとうございます。どうぞ、ごゆっくりなさってください」と、帰りに立ち寄った義家は、長者は喜んで迎えました。   長者は、前よりもましてたくさんのご馳走を整え、もてる物を出し切って接待しました。しかし、数日後、義家は帰ることになりましたが、長者の屋敷に火をつけて長者一族を皆殺しにしました。   幸いにも一人、長者の娘は助かりました。やがて娘は、滅びた塔ケ崎長者の菩提を弔うため、近くの曼殊院西蓮寺に身を寄せ、熱心に供養しました。やがて、長者の残した財宝で西蓮寺を修復しました。そして、比叡山から常行三昧会(じょうぎょうさんまいえ)の供養
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