かいらーしゃのインド占星術実践記8

かいらーしゃのインド占星術実践記8

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こんにちは。かいらーしゃです。立冬過ぎて秋が深まる気配がしてきました。

今回はインド占星術の「処方箋」である儀式(プージャー)のお話をしようと思ってましたが、その前に、私が今ここに至る道筋を語ろうかと思います。そのほうが「どうしてそのプージャーが必要だと思ったのか?」「その効果はどうなって、私は結果どうなったのか?」がより伝わりやすいかなと。

私の人生は、インド占星術のチャートにおいて「火星」を抜きに語ることはできません。11室で高揚し、かつ逆行。ラーフと同居。これは私の人生を一定周期で焼き払うだけの十分な大凶意を持っていました。

最初の洗礼は「金星主期の火星副期」
私が33歳~34歳になる頃でした。
24歳で地元の企業に就職して、公共施設管理の仕事を与えられて約10年。その頃の私は26歳頃に1回目のサディサティでキャリア面でひどい目に遭うも、それを乗り越えて会社員としてのキャリアは比較的安定していました。初めて海外旅行に行き、新車を買い、友人知人も増え、女性にもてて、なんだか急に好転した人生に浮かれていましたね。24歳頃と30歳頃に、親しかった友人と幼馴染の友人をそれぞれ亡くしてはいましたが、その傷も少しだけ癒えていた頃でした。ここまでは火星副期に入る前の出来事です。

私は火星副期に入った年の春、突然の異動を命じられました。これは良くある話です。しかしキャリアとは真逆の分野、しかも前任者が突然退職したための穴埋めの側面が強く、事実何の役職も付かないうえでの異動だったので決して「出世」ではありませんでした。
私は慣れない環境で頑張ってしまいました。事務所にかかってくる電話はほぼ全部取り、全て巡回するのに1時間かかる現場を覚えようとしゃにむになってました。でもそんなことは長く続かず、程なくして体調を崩して会社人生で初めて「休み」ました。その後はその職場に復帰できずにまた異動、その異動先でまた頑張るとまたまた異動、私は耐えられずに休職を繰り返し、約2年後に組織変更した会社が実施した希望退職に応じることになり、挫折したまま最初のキャリアが消えました。

でもその時の私はまだ希望を持ってました。「自営業をやろう」
退職前から接触していた会社から機材を買い、ガラス彫刻職人として一旗揚げてやろうと意気込んで、工房を構えました。でも体調不良が足を引っ張り、営業活動もろくにできませんでした。それでも1年くらいは口コミで顧客がありましたが、すぐに競合相手が出てきて私はあっさり負けました。火星副期で焼け野原になった後のラーフ副期、この時期特有の「幻想」に惑わされた結果かも知れませんね。
これをやる前から私はアルバイトもやってましたよ。事実上の無職であるということに耐えられなかったのです。月3万円の収入が命綱でした。うまくいかない自営業に代わって、これが私の本業になっていきました。
アルバイト先は肉体労働です。そこにいる若い先輩たちにバカにされ、のけ者にされましたが、悔しくても辞めることができず、涙ながらに「いつか見返してやる」と誓っていたものです。
こうして金星主期の終盤になり、おそらく木星副期だったと思います。アルバイト先でも一目置かれるようになったある日、福祉の求人チラシが目に留まりました。よくわからないまま早速応募すると、とんとん拍子で採用されてしまい、新たなキャリアが意図せずスタートすることになったのです。これが42歳の頃でした。その頃は両親が別居し、父と暮らしている私が家事全般を担っていました。生活費も満足に入れない父を当てにはできず、その頃から受給していた障害年金とアルバイト代で凌いでいました。もちろん全額リボ払いですよ。意気込んでいた自営業は開業届を出す間もなく、次第に消滅していきました。これは木星副期の次に来た土星副期の影響だと、今は思えます。
ここまで、私が「福祉の仕事」に入るまでのいきさつです。カウンセラーを名乗る方々はきれいで華々しい経歴を持っていらっしゃる方々が多いですが、私はそういうものを一切持ち合わせていません。
次回は「福祉業界に入ってからの出来事」を中心に語りますね。

ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。
またこちらでお会いしましょうね。
かいらーしゃ





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