◆ 視えて、分かったのに、また同じ場所で止まる
鑑定文を読んで、「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちた。
自分の反応の出どころも、どうして同じところで足が止まるのかも、頭ではちゃんと分かった。
それなのに、次に似た場面が来ると、また同じ反応が先に立ち上がる。分かったはずなのに、躰が言うことを聞いてくれない。
これまでのご相談の中にも、そうおっしゃる方が、何人もいらっしゃいました。
◆ 分かることと、動けることは、別の工程
まず、はっきりお伝えしておきたいことがあります。
視えたことが腑に落ちたのに、すぐには変わらなかったからといって、理解が足りなかったわけではありません。読み方が浅かったのでも、受け止める力が足りなかったのでもありません。
「分かる」という働きと、「動ける」という働きは、躰の中で別の場所にあります。
頭が納得するのは、ほんの一瞬です。けれど、躰が新しい反応を覚え直すには、また別の道のりが要ります。この二つを同じ工程だと思ってしまうと、「分かっているのに変われない自分」を責めることになってしまいます。
◆ 躰記憶は、知っただけでは動かないことがある
躰記憶は、過去の経験によって躰の奥に残された、記憶の痕跡です。
頭で覚えている記憶と違って、思い出そうとすれば思い出せる、忘れようとすれば薄れていく、というものではありません。覚えているかどうかとは関係なく、躰の側に残り続けます。
だから、その出どころが分かったとしても、反応そのものが自動的に緩むとは限りません。
地図を手に入れたからといって、足がすぐに別の道を歩き出すわけではないのと同じです。道があると分かったあと、実際に別の道を歩けるようになるには、躰の側にも準備が要ります。
◆ 鑑定が視るもの、施術が扱うもの
私の鑑定は、現実に起きていること、立ち上がる反応、その奥にある躰記憶、そしてそれらの照らし合わせまでを、順に視ていきます。
鑑定が受け持っているのは、輪郭を視ることです。何が、どこで、どんな形で働いているのか。これが分かるから、次にどう動くかを選べるようになります。ここは、鑑定でしか届けられない大切な部分です。
けれど、輪郭が分かったあとに、その反応そのものへ働きかけていく工程は、鑑定とは別のものです。
視ることと、扱うこと。この二つを分けて考えているのは、それぞれに役割が違うからです。
◆ 深層解縛が対象にする、「根」の部分
〖躰記憶・深層解縛〗は、鑑定で視えた反応を対象に、遠隔で整えていく施術です。
特徴は、今回の場面だけでなく、他の場面にも共通しうる「根」の部分まで含めて扱うことです。
たとえば、返信が来ない場面で強く出た警戒が、実は職場で評価を待つときや、家族に頼みごとをするときにも、形を変えて顔を出している。そういうとき、反応は一つの場面の問題ではなく、その奥の一本の根から伸びています。
枝先だけを整えても、別の場所でまた同じ枝が伸びてくる。だから根のところまで扱う、というのが深層解縛の考え方です。
対象は、あくまでご相談者様ご自身の躰に残っている反応です。かつて必要だった反応が、今の選択にまで必要以上に持ち越され続けない状態を目指して、整えていきます。変化の表れ方や時期は、お一人おひとり違います。
◆ 選ぶのは、ご自身です
〖躰記憶・深層解縛〗は、鑑定を読んだあとに「ここから先も扱いたい」と感じたときに、選んでいただくものです。鑑定とあわせて選んでいただくこともできます。
鑑定を読んで、ご自身の力で動き出せると感じられたなら、それで十分です。輪郭が分かったことだけで、次の一歩が変わる方も、実際にいらっしゃいます。
視えたものを、どう使うか。そこから先を扱うかどうか。決めるのは、いつもご自身です。
◆ 結びに
もし、分かったはずなのに、また同じ場所で止まってしまうことがあるなら。
それは、あなたの理解が足りないからではなく、まだ躰の側が、新しい道を覚える途中にいるからかもしれません。
そのとき、視るだけではなく、その先まで一緒に扱うという選び方があることを、頭の片隅に置いておいていただけたらと思います。