「寄り添います」「否定しません」に抵抗がある理由

「寄り添います」「否定しません」に抵抗がある理由

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コラム
以前の記事で「寄り添います」や「否定しません」を前面に出すことには強い抵抗があると書きました。

ココナラでよく見かける言葉ですので、不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。

この強い抵抗には、ある出来事が関係しています。
きっとそうじゃないかなと思います。

職場の面談でのこと。(これは退職後に対立関係になった件とは無関係です)
他の人が関係していることで、仕事に明らかな支障が出ていることがありました。
私は面談でも話し、それ以外の時にも上司に訴えていました。

その上司が、面談の最中にこう言ったのです。

「寄り添って」

寄り添って話聞いていますよ、という自己評価の言葉です。

「自分で言う?」という違和感と気持ち悪さを感じました。
この時の気持ち悪さが、まず一つの大きな原因となっていると思います。

上司はたしかに「そうなんだ、そうなんだ」と否定せずに話を聞いていました。
ではこの人が問題に対して何らかの対応をしたのかといえば、何もしませんでした。

「なぜ何も対応しないのか?」と聞いたところ、うやむやにされました。
はっきりと言語化すると困ることでもあったのでしょうか。
何も改善する必要がないのであれば、その理由を説明してもらった方が私としては余程良かったと感じます。

上司の話を聞く姿勢は、自称「寄り添って」
でも実体は、話聞きます風、聞いて終わり。

実際なぜ何も対応しなかったのかは知りません。
・このままでもいいと判断できる理由があった
・対応して責任を負いたくない
・対応する気はあったが、そこまで手が回らなかった

理由はいくつも考えられます。
でも私はこうも考えます。

共感して話をきいていれば、人はそれですっきりする

そんな考えがあったのではないかと。
そういう部下が一定数いたのではないかと。

だから、私もそれで満足すると。
そう考えたのではないかと。

「寄り添って」
この一言が、上司が自分の対応は満足できるものでしょう?と自己アピールしていたようにしか見えなかったのです。

この上司と話した時間は無駄でしかありませんでした。

職場の面談とココナラはもちろん全く違いますが、それでも、この時の気持ち悪さが私の中で消えないんだと思います。

そしてもう一つ。
単に私の好みの問題。

「寄り添い」という言葉の意味を調べたら、次のように出てきました。

単に距離的に近づくだけでなく、相手の心情に深く共感し、心を通わせる行為を表します。例えば、悲しみや苦しみを抱える人に対して、その気持ちを理解し、そっと支えるような場面で使われます。(ワード辞典より)

一見キレイで素敵な言葉に聞こえるけど、ストレートにいい言葉だなとは私には入ってこないのです。
何かふわっとしたもので全てを包み込んで曖昧にしてしまう、私にはそんな風に感じられます。

共感して心を通わせることだけが寄り添いなの?

占いの対面鑑定の時もそうでしたが、話の方向性などはお客様との会話によっても変えていきました。
その方が何を望んでいるのか、何を求めて鑑定に来られているのか。
そして当然話の中には、無条件で肯定できないようなものもありました。

「来て良かったです」
「話して良かったです」

結果としてこのように感じてもらえれば嬉しかったですし、ココナラでもそのつもりで待機しています。

そして結果として「寄り添ってもらえた」と感じていただければ、それもまた嬉しいことです。





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