今日も、視えない誰かと目が合う。
昔から、人混みを歩くのが少しだけ苦手です。 すれ違う人の後ろに、その人を守っている存在や、あるいは重くのしかかっている「誰かの想い」が、色や形を持って視えてしまうから。
15年もこの仕事をしていると、それが日常すぎて驚きもしなくなりましたが、最近は特にその感度が上がっている気がします。
神様から「今は喋らなくていいよ」と喉をお休みさせられているせいでしょうか。 耳から入る情報が減った分、肌を刺すようなエネルギーの揺らぎや、空間に漂う感情の「匂い」に、今まで以上に敏感になっている自分に気づきます。
例えば、スーパーのレジで並んでいるとき。 前の人の背中から「寂しい、寂しい」という青い霧のようなものが溢れていて、思わずその人の幸せを勝手に祈ってしまう。そんな、おせっかいな毎日を過ごしています。
霊媒体質というのは、時に孤独です。 他の人には見えていないものを一人で受け止め、自分の中で消化しなきゃいけない。 でも、声が出なくなった今の私には、この「静寂」が最高の贅沢でもあります。
静かな部屋で、お香を焚いて、皆さんのメッセージに目を通す。 すると、文字の向こう側にいるあなたの体温や、お相手の頑なな心が、ジワリと指先に伝わってくるんです。
「ああ、この人は今、暗闇の中で震えているんだな」 「あのお相手は、本当は素直になりたいだけなんだな」
声で即答はできないけれど、指先から紡ぎ出す文字には、今の私の研ぎ澄まされた感覚がすべて乗っています。 もしかしたら、対面で喋っていた頃よりも、もっと純度の高い「真実」を届けられているかもしれません。
視えすぎる毎日は少し疲れるけれど、そのおかげで、画面越しのあなたの孤独に気づくことができる。 そう思うと、この体質も、この静かな時間も、悪くないなと思う今日この頃です。
もし、あなたも今、誰にも言えない何かを背負っているなら。 私のこの「静かな鑑定室」に、そっと置いていってくださいね。