【栗山和暉】月曜の朝にだけ現れる謎の影を追ってみた

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月曜の朝になると決まって、家を出て数十歩ほど進んだ場所で、自分の足元に不思議な影が現れることに気づいたのは数週間前だった。影といっても人の形ではなく、言葉にするのが難しい曖昧な揺らぎで、光のいたずらとも思えるし、何かの予兆のようにも感じられた。最初は気のせいだと思っていたが、火曜や水曜には出てこないのに、なぜか月曜だけは毎回その影が自分の横をすり抜けるようにして現れる。週の初めにだけ姿を見せるのがどうにも妙で、次第にその存在が気になって仕方なくなった。

そこで、月曜の朝だけは少し早起きをして家の周りを歩きながら影を探すことにした。影が現れるタイミングは一定ではなかったが、ふと気配を感じた瞬間に足元を見ると、やはりそこに揺らぎのような黒い影が寄り添っている。まるでこちらの動きに合わせて形を変えるようで、観察すればするほど掴みどころがない。けれど不思議と怖さはなく、むしろ自分の中に眠っていた何かをそっと突いてくるような感覚さえあった。

何度も繰り返し追いかけるうちに、その影は自分の心の状態に反応しているのではないかと思うようになった。仕事への不安や、週の始まりに感じるちょっとした重さをまとったときほど、影は濃く見える。逆に前向きな気持ちで歩いていると、その存在は薄らいで見えなくなる。影は外の現象ではなく、自分自身が作り出しているものなのだと気づいた瞬間、月曜日の見え方が変わった。

影を追う行為は、実は自分の内側を丁寧に覗き込む作業だったのかもしれない。普段は流してしまう感情が、影となって姿を現し、ちゃんと向き合うよう促していたのだと思う。そう考えるようになってから、月曜の朝が前より静かで落ち着いた時間になった。影が濃く現れた日は、ああ今日はまだ整っていないんだなと自分を見つめる合図になり、薄い日は自然と心が軽い証拠になる。影は相変わらず言葉を持たないが、それでも確かに何かを伝えようとしているのが分かった。

今では、影の濃さを自分のコンディションのバロメーターにしている。仕事の合間にふと立ち止まって、朝の影を思い出すだけで、少し力が抜けることもある。見えない存在に導かれているような不思議な感覚は、日常に小さな物語を与えてくれる。それがあるだけで、週の始まりが少し楽しみになってきた。影は相変わらず月曜にしか現れないが、その制限こそが自分にとってちょうど良いリズムなのかもしれない。週ごとに、今の自分の状態を確認するためのささやかな儀式になった。

気づけば、あの不思議な影のおかげで、仕事の捉え方や自分への向き合い方が静かに変わり始めている。他の誰にも見えないかもしれないが、自分にとって確かな存在として、これからも月曜の朝に寄り添ってくれるだろう。そう考えると、一歩踏み出す足取りが少しだけ軽くなる。
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