介護はひとりでは無理です。

介護はひとりでは無理です。

記事
占い
こんにちは!ぐらっち道子です。
今日はこちらの天気は不安定で、洗濯ができませんでした…。

夕方になり晴れてきたのですが、お祭りもあるので、遠くから聞こえる
打ち上げ花火が楽しみでもあります!

さて、タイトルの介護の件ですが、わたしは亡き母を
ほぼひとりで看てました。姉もいますが、嫁ぎ先のお義母さんが当時、
入院されていたので、無理に手伝いにきてとは言えませんでした。

また、母は持病もあり、年に1度は入院することもあり、わたしは午前中は病院へ行き、
夕方からコールセンターへ出勤するという生活をしていましたが、
年齢の影響なのか、それとも精神的な疲れのせいなのか、それがだんだんと
苦痛で、出来なくなり、休みがちになってしまいました。

コールセンターで勤務されてる方が多いとはいえ、休みが多いとなると、
だんだんと気が引けてきました。
マナカードでは予想外にペレという破壊と創造の女神が出たのですが、
当時のわたしは、「適職」とはいえ、私の勤める場所はここではない、だけど
すぐに辞めると、お金が尽きてしまう…と、お金の心配ばかりして、カスハラに耐えながら、辞められずにいました。

わたしの給料と母の年金だけのお金、、あと兄から少しの援助。
買いたいものもあまり買えません。
当時、通販で久々にバッグを買ったのですが、
届いたときは嬉しくて、意味なくファスナーをいじって、いました。。

月に1度、持病の病院に連れて行っていたのですが、ある時、私だけ先生に呼ばれました。何だろう? と思い、診察室に入ると、

「よく聞いてください。お母さんの心臓は長持ちしませんので、いつ亡くなってもおかしくありません」

と、言われてしまいました。え? 心臓? 他の病で通院していたはずなのに、いきなり心臓のことを言われ、しかも余命が幾ばくも無い。

そのときは、確か、亡くなる年の5月頃だったと思いまいます。入院ではなく、自宅で無理なことはさせないように、とだけ言われました。

それ以来、わたしはやはりますます寝られなくなり、夜中に起きては、母はちゃんと眠っているかか? と確認ばかりしていました。
介護と病気を見守る。今、考えてもあの頃には戻りたくありません。。

母が亡くなる年の7月の末頃、デイケアの日だったのですが、準備をしてる最中に胸が苦しいと言い、大きく深呼吸するような息の吸い方をしていたので、これはおかしいと思って、119番し、主治医のいる病院に向かいました。

そのとき、兄がまだ小さかった子どもたちの行事があり、到着が遅れていて、最後に到着したころには診察も終わり、特に異常もなく、顔だけでも見れられたので、さぁ、帰ろうかとなったのですが…。

車いすに座っている母が突然、そのまま眠りこんだのです。わたしたちは突然のことで、意味がわからず、看護師さんを呼ぶと、また診察室に戻ったのです。

わたしは、まさか…!と、覚悟をしたのですが、診察室に呼ばれると母は目を覚ましていて、ホッとしました。母は心臓の病から来る症状の「めまい」を
起こしていました。ずいぶん長いめまいでしたが…。

それからは、母は家には帰らずに即入院することになりました。

兄がタイミング悪く、遅れて到着たから判明しためまいの症状でしたが、帰りに母が眠っていたら、きっと「疲れて」眠ったんだ、としか思わなかったでしょう。

わたしはただでさえお金がないのに、バス賃でお金が飛んでいく、、しかも市外線だったので、往復で結構、お金を使いました。

兄から借りたり(未だ返してませんが)して、病院にお見舞いに行ってました。

母の食欲がだんだんとなくなっていき、病院からは、もう

「好きなものは何でも食べさせていいですよ」

と、まで言われてしまいました。母は同時、某コンビニの5個入りのあんぱんが好きで、
少しずつ食べるように、と言っても言うことは聞かず、一気に一袋食べて、
わたしが叱ることもありました。

そのあんぱんも持って行ったのですが、ひとつも食べきれませんでした。

「もうそろそろか…」と覚悟をしなければいけないと思っていました。
しかし、母はリハビリも頑張ったり、食欲も増してきたので、
完全看護だったし、わたしは毎日ではなく、二日に一日のお見舞いでいいかな、
と思っていた矢先でした。

夜中、眠れずに何気なくスマホを見ていたら病院からの着信でした。

「お母さまの脈が取れなくなったので、すぐ来てください」

という内容でした。当時のわたしの所持金、千円。
その病院には千円では行けません。

姉が義兄に頼んで、わたしを迎えに来てくれることになりました。
もし、誰もわたしを迎えに来なければ、タクシーで途中まで行って、
歩くつもりでした。

8月の終わりに母は亡くなりました。眠るように、とはこういう顔なんだ、
と思わせるような、穏やかな顔をしていました。あまりにも突然で、わたしたち家族はすぐには受け入れられませんでした。

kaigo_1.jfif
わたしの介護は途中で病気の看病も入りましたが、デイケアに入ったので、
だいぶ助かりました。ケアマネージャーさんにも恵まれ、忙しいはずなのに母の見舞いにもきてくださいました。

あとは、忌引き休が取れたので、役所の手続き等はその間に全部わたしがやりました。あの頃は忙しくしてないと、気持ちが持たない、と思っていたのですが、それがいけなかったと思います。

介護はひとりではできない…。頼れるところには頼りましょう。
自分がつぶれます。もう何年も前のことなのに、わたしは体調で未だ引きずっているので。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す