人生は「引き寄せ」ではなく「選択」だった
かつて僕は、「引き寄せ」を信じていた。
いや、正確には、
信じざるを得ないくらい、いろんなことが現実になっていったw
アクスイクスに自分の願望をアファメーションとして入れる。
すると、国家資格試験だったり、子どもたちの進学だったり、経営状況だったりと、自分が意識していたことが次々と現実へ近づいていくように感じた。
だから当時の僕は、
「これが引き寄せか!」
と思っていたw
アクスイクスを周知させるときには、安易に「引き寄せ」という言葉を使っていた。
でも、アクスイクスを扱い続け、いろんなクライアントさんを見て、自分自身の人生まで振り返ってみた今、少し違う答えに辿り着いている。
もしかして、
何も引き寄せてなかったのでは?
引き寄せたんじゃなく
ただ、選んできただけでは?
「願えば叶う」は本当なのか?
昔から、
「願えば叶う」
という言葉がある。
そして今では、「引き寄せ」だったり「宇宙銀行」だったり、その表現もどんどんブラッシュアップされているw
ちなみに僕の周りだけかもしれないけど、「宇宙銀行」で超絶盛り上がっている集団もいるw
ネットワークビジネスだけど…
とはいえ、その盛り上がりが10年後も続いているのかには興味があるw
宇宙銀行から豊かさを引き出した人がどれだけ残っているのかも興味津々w
ただ、ここまで好き勝手書いている僕自身も、かつては「引き寄せ」を信じていた側であるwww
だから否定したいわけじゃない。
むしろ、
なぜ「願えば叶った」と感じることがあるのか?
最近は、その仕組みの方に興味がある。
4年間、いろんな人を見てきて分かれたところ
この4年間、僕はいろんなクライアントさんを見てきた。
アファメーションに書いたことが現実になった人もいる。
でも、大半は願い叶わずで、3ヶ月以内に退会。
もちろん、これは僕が関わってきた人たちの話であって、因果関係を証明できるようなものではない。
でも、僕には一つ大きな違いがあるように見えた。
最初の分岐点は、
行動したか、しなかったか。
(アクスイクスは現時点での思考癖を炙り出し、その思考癖を潜在意識レベルで改善に導く)
そして次の分岐点は、
一度うまくいかなかったとき、そこで諦めたか、次の方法を試したか。
ただし、ここでいう「諦めない」は、同じことを延々と繰り返すことじゃない。
失敗して、
「よし!諦めずにもう一回まったく同じことをやろう!」
では、また同じ結果になる可能性が高いw
だから必要なのは、
ブラッシュアップ。
僕自身、たぶんこれをずっとやってきた。
ダメだった。
なぜダメだった?
じゃあ、どこを変える?
違う方法でやってみる。
それでもダメだった。
じゃあ、また変える。
僕は最初から正解を知っていたわけじゃない。
むしろ失敗だらけであるw
ただ、その都度ブラッシュアップしてきた結果が、現在というだけ。
すべては、この繰り返しなんじゃない?
最近の僕の中では、人生って結局これに帰結する。
問題勃発
↓
願望
↓
意識
↓
選択肢を知る
↓
選択
↓
行動
↓
結果
↓
経験
↓
検証
↓
ブラッシュアップ
↓
次の選択
そして、また行動する。
望んだ結果になれば、それも経験。
失敗しても、それも経験。
そこで、
「で、次はどうする?」
を考える。
これの繰り返し。
だから今では、
「願えば叶う」
という表現に、違和感を覚えるようになった。
現実化が向こうから近づいてきたわけじゃない。
願望を意識し行動し続けたことで、選択が少しずつ変わり、
僕の方から現実化へ近づいていったんじゃないか?
と思うようになった。
アクスイクスも「引き寄せ装置」ではないのかも
これはあくまで、長く使ってきた個人的な仮説である。
今の僕は、アクスイクスの働きを「願望を引き寄せるもの」とは考えていない。
もっと地味なんじゃないかと思っているw
自分で設定したアファメーションを、
意識、あるいは潜在意識の中で維持し続けることをサポートするもの。
僕は今、そんなふうに捉えている。
人間って、強い願望を持っても簡単に折れる。
元旦初詣では、
「今年こそ絶対に痩せる!」
と言っていたのが、2月には新しいカフェで自撮りwww
だから、「自分はどこへ行きたいのか」という方向を維持し続けることには意味があるのかもしれない。
でも、アファメーションを設定したら、あとは寝ていれば未来がやってくるわけじゃない。
その次に「選択」がある。
そして、
「行動」がある。
そしてまた、「選択」。
その繰り返し。
ここを飛ばして現実化は不可能。
行政書士は「願えば叶う」の反例だったw
そう考えると、僕自身にものすごく分かりやすい例がある。
行政書士試験だ。
僕は合格をアファメーションにした。
願望によって意識が変わり、選択や行動が変わる
願った。
勉強した。
やり方を変えた。
得点が伸びた。
そして、「行動」「選択」を繰り返した結果、なんとか合格を得た。
「逃げる」だって立派な選択だった
そして、この考え方は仕事やお金だけじゃない。
僕自身の人生にも当てはまる。
僕は50歳になるまで、母親の価値観からなかなか抜け出すことができなかった。
当時は、それ以外の人生が見えていなかったのかもしれない。
現世そのものに辟易して、
「こんなくそみたいな人生なんて50年でいい」
と公言していた。
すると50歳で、本当に死の淵まで行った。
集中治療室で横たわる僕に、母親が言った。
「もう、お酒はやめなさい!」
その言葉を聞いたとき、僕の中で何かがふっ切れた。
ああ、この人の近くにいる限り、これからも「早く死にてー」と思いながら生きるんだろうな。
そう思った。
ところが、救急隊がすでに諦めていたはずの命が、なぜか続くことになった。
「まだやらなきゃいけないことがあるってことなのか?」
だったら、
それを確かめてみようと思った。
そのためには、環境そのものを変える必要がある。
親の生活は利用できる公的制度につなぎ、
僕は横浜へ逃げた。
当時は「逃げた」という感覚だった。
でも今になって思う。
あれは逃げたんじゃなく、
人生を選び直したということ。
昨日までの選択を、今日も続ける必要はない
親の介護のために仕事を辞め、自分で直接面倒を見ている人を知っている。
その人も、同年代だ。
親の介護なんていつ解放されるのかは分からない。
何歳まで生きるのかなんて、誰にも分からないからだ。
親の介護が終わる頃には、自分が要介護者になっているという人生もあるかもしれない。
もちろん、その人にはその人の事情がある。
仕事を辞めたことが正しいとか間違っているとか、外野が決める話でもない。
すべては当事者が決めることだ。
昔の僕だったら、同じことをしていたかもしれない。
でも今の僕なら、別の選択肢を探す。
なぜなら僕自身が、50歳でようやく別のカードを切ることができたから。
そこで思う。
一度選んだからといって、その選択を一生続ける必要はないんじゃない?
昨日まで親を自分で介護した。
でも、
今日も同じ選択をしなければならないわけではない。
少しだけ想像してみて欲しい。
10年後、今と変わらず親の介護を続けている自分を。
その姿に幸せが見えたかどうか。
ただし、「知らない選択肢」は選べない
「どんな状況でも本人が選んだんだから全部自己責任」
という話をしたいわけではない。
特に子どもなら、生まれる家も、親も、経済状況も選べない。
大人だって、病気、介護、家族、経済状況などによって選択できる範囲は違う。
そして何より、
知らない選択肢は選べない。
これが大きいと思う。
だから若いうちに、いろんな世界を見た方がいい。
人に会う。
本を読む。
違う仕事を経験する。
知らない場所へ行く。
失敗する。
今ならAIに聞いてみたっていい。
それは「若いうちに成功しろ」という話じゃない。
人生で使えるカードを増やしておく。
そのための経験なんだと思う。
僕自身、若い頃は運送業界しか知らなかった。
だから「もっと稼ぎたい」と考えたときも、思いつくのは運送業界の中での工夫ばかりだった。
当時の僕の頭の中にあるカードは、
常にトラック輸送がベースだった
そのカードの中では一生懸命考えた。
でも、盤面そのものを変えるという発想はなかった。
知らなかったからだ。
「思考は現実化する」の意味も変わった
アクスイクスには、
【思考は現実化する】
という言葉がある。
僕は今でも、この言葉が好きだ。
ただ、その意味は昔とは変わった。
昔は、
思考 → 現実
くらい安易に考えていたのかもしれないw
でも今の僕なら、
思考
↓
願望
↓
意識
↓
選択肢を探す
↓
選択
↓
行動
↓
結果
↓
経験
↓
ブラッシュアップ
↓
また選択
と考える。
つまり、
「思考は現実化する」の間には、実はこんなにたくさんの工程があったw
ということだ。
宇宙銀行に願うのも自由。
アファメーションを作るのも自由。
僕だってやっている。
でも、
ただ願望で止まっていたら、ずっと願望のまま。
願望は現実を変えてくれる魔法ではなく、
自分が次に何を選ぶかを考えるスタート地点
今はそう思う。
50歳で終わるつもりだった僕が、10年後を楽しみにしているw
ちなみに、一度死にかけたからといって、
「これからは一日でも長く生きたーい!」
なんて思うようになったわけではないw
今でも、何が何でも長生きしたいとは思わない。
老いて、シワシワになってまで長生きしたいという願望も全くなしw
だから最近は身体を鍛えるし、パーソナルトレーニングも始めた。
とにかく、老いに抗っているw
SNS上で加工して若返るのは簡単だが、
リアルの自分を何とかしようと思っているwww
書道について、
毛筆は初等師範をGETしたので卒業するが、
硬筆は最上段位まで続けるつもりだ。
AIを使えば使うほど、
電源を切っても自分に残っているもの
を増やしておきたい。
別に100歳まで生きたいわけじゃない。
でも、
生きている時間は、若々しく自分の好きなことに使いたい。
50歳までは、
「人生50年でいいや」
と言っていた僕が、
56歳の今、
10年後にどんな果実が実っているのかを楽しみにしている。
なぜなら、50歳の死の淵から、このたった5年で、地獄から天国へと激変した経験があるから。
10年後の果実は、今日の種まき次第
もちろん宇宙銀行で盛り上がる人たちの10年後も楽しみだ。
でも同じくらい、
自分自身の10年後も楽しみだ。
10年後、
それぞれの畑にどんな果実が実っているのか。
ただ一つ、今の僕が思うのは、
願うだけでは、決して実らない。
願望が生まれたら、
「で、どうする?」
選択する。
行動する。
失敗する。
ブラッシュアップする。
また選ぶ。
それを繰り返す。
10年後にどんな果実が実るかは分からない。
でも、
今日どんな種を蒔くかは、自分で選べる。
昔の僕は、
「引き寄せた」
と思っていた。
でも今ならこう思う。
僕は未来を引き寄せてきたんじゃない。
その未来につながりそうな道を、その都度選んできただけだ。
そしてこれからも、
結果を見ながらブラッシュアップしていく。
結局、人生って、
「で、どうする?」
そして、
「で、今日もそれを選ぶ?」
この繰り返しなのかもしれない。
だから僕は今日も、
あてにならない宇宙銀行の残高に期待するより、
目の前の自分の人生を選ぶことにする☆