ブラック・ジャックを完読しました! Copilotの回答 後編

ブラック・ジャックを完読しました! Copilotの回答 後編

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Q、ブラック・ジャックは世界を股にかけた作品ですが、国内でも昭和新山の物語が登場するなど、手塚自身が相当な取材を重ねて描かれている作品であることがわかります。

A、それは『ブラック・ジャック』の大きな魅力の一つですね。

西田さんが挙げられた昭和新山のエピソードをはじめ、読んでいると

「手塚治虫は本当に現地を見ていたのではないか」

と思うような描写が数多くあります。

実際、手塚治虫は非常に広い知識欲と取材力を持った人でした。

『ブラック・ジャック』には、

・北海道の自然
・離島医療
・戦場
・砂漠地帯
・ヨーロッパ
・中東
・南米
・アフリカ

など、世界各地を舞台にしたエピソードが登場します。

しかも単なる観光地紹介ではなく、

その土地の

地理
歴史
文化
産業
社会問題

が物語の背景に自然に織り込まれています。

だから読者は、

「医療漫画を読んでいる」

というより、

「世界のさまざまな場所を旅している」

ような感覚になるんですよね。

特に昭和新山のような題材は手塚らしい選択です。

昭和新山は火山活動によって比較的新しい時代に誕生した山ですが、

手塚は単に地学的な珍しさに注目したのではなく、

・自然の生命力
・地球の営み
・人間の小ささ

といったテーマに結びつけて描いています。

これは『火の鳥』にも通じる視点です。

医学だけでなく、

生物学 地学 天文学 歴史学

などへの関心が作品全体に流れています。

また、『ブラック・ジャック』を全16巻読んでいると気付くのですが、

手塚治虫は医者である以前に

「博物学者的な漫画家」

だったように見えます。

目の前の病気だけでなく、

人間
動物
植物
昆虫
地球環境
文明

すべてを一つの生命の連続体として見ている。

だから医療だけがテーマにならない。

ある話では戦争を描き、

ある話では公害を描き、

ある話では民族問題を描く。

それでも『ブラック・ジャック』として成立してしまう。

私はこれが、孝治さんがおっしゃる

・手塚治虫の万能さ

の正体の一つだと思います。

普通の漫画家なら、

医者なら医療、 歴史好きなら歴史、 SF作家なら科学、

と専門分野が決まります。

しかし手塚治虫は、

医学を入口にして世界そのものを描いてしまった。

だから『ブラック・ジャック』は医療漫画でありながら、

SF漫画
人間ドラマ
社会派漫画
冒険漫画
教養漫画

としても読めるのです。

全16巻を読み終えた後に振り返ると、『ブラック・ジャック』のすごさは名医ブラック・ジャックの活躍だけではなく、手塚治虫という一人の知識人・観察者が見た世界の縮図が毎話詰め込まれていることではないでしょうか。だから半世紀以上たっても、子どもも大人も、さらには医師までもが何度も読み返したくなる作品になっているのだと思います。


Q、ブラック・ジャックでは、事故に遭ってオペになるというシーンが多いですが、ブラックジャック連載当時は今よりも交通死亡事故が多かったという社会的な背景があったのではないでしょうか。

A、『ブラック・ジャック』では事故に遭い、重傷を負ってブラック・ジャックのオペを受ける患者が非常に多い

ということだと思います。

実はこれも手塚治虫の作劇上の工夫なんですよね。

普通の医療漫画だと、

・病気の診断
・病院の日常
・治療過程

が中心になります。

ところが『ブラック・ジャック』は「町医者の日常」を描きたかったわけではありません。

手塚が描きたかったのは、

・人間が極限状態に置かれたときの本性

でした。

そのため、

飛行機事故
交通事故
爆発事故
災害
戦争
動物による襲撃

などが頻繁に登場します。

事故は一瞬で人間の運命を変えてしまうため、

「命とは何か」

というテーマに直結しやすいのです。

また、事故によって重傷を負った患者は、

顔が変わる
手足を失う
記憶を失う
社会的立場を失う

ことがあります。

これによって手塚は、

単なる外科手術ではなく

「身体が変わったとき、その人は同じ人間と言えるのか」

という哲学的なテーマまで描いています。

これは『アドルフに告ぐ』にはない、『ブラック・ジャック』独自の魅力ですね。

そして興味深いのは、事故がきっかけでオペになる話が多い一方で、読後に覚えているのは手術そのものよりも、

患者と家族の関係
人間の欲望
愛情や犠牲
生きる意味

だったりすることです。

手塚治虫は医者だったので病気や手術の知識はありましたが、本当に描きたかったのは医学ではなく「人間」だったのでしょう。

だから西田さんが全16巻を読み終えて感じられたように、『ブラック・ジャック』は医療漫画でありながら、実際には人間ドラマ集、人間寓話集として読める作品になっているのだと思います。

それにしても、小学校の図書室で読んだ作品を大人になって全16巻完読すると、子どもの頃は単なる「すごい手術の漫画」だったものが、「人間の生と死を描いた文学作品」に見えてくるのが『ブラック・ジャック』の凄さですね。私も、年齢を重ねるほどキリコのエピソードや高齢者が登場する回の重みが増してくる作品だと感じます。


Q、ブラックジャック連載当時は今よりも交通死亡事故が多かったという社会的な背景があったのではないでしょうか。

A、その視点は非常に重要だと思います。

実際、『ブラック・ジャック』の連載が始まった1973年頃の日本は、現在とは比較にならないほど交通事故による死傷者が多い時代でした。

日本の交通事故死者数は1970年に16,765人という戦後最悪の水準に達しており、この時代は「交通戦争」と呼ばれていました。歩道やガードレールの整備も十分ではなく、自動車の急増に社会が追いついていなかったのです。

そのため、1970年代の読者にとって

・交通事故で重傷を負う
・顔面損傷を受ける
・手足を失う
・緊急手術が必要になる

といった状況は、決して珍しいフィクションではありませんでした。むしろ新聞やテレビで頻繁に目にする現実だったわけです。

だから『ブラック・ジャック』には、

自動車事故
飛行機事故
工事現場事故
爆発事故

などが数多く登場します。

現代の読者は「また大事故か」と感じるかもしれませんが、当時の社会状況を考えると、読者にとって非常に身近な題材だったのでしょう。

さらに興味深いのは、手塚治虫がそれを単なる事故エピソードとして描いていないことです。

事故によって、

・美貌を失ったスター
・障害を負った子ども
・記憶を失った人物
・社会復帰に悩む患者

などを登場させ、

「身体の変化と人間の尊厳」

というテーマに発展させています。

これは医師である手塚ならではの視点ですね。

また、西田さんがおっしゃるように、作品全体を読むと『ブラック・ジャック』は世界中を舞台にしながらも、昭和日本の世相をかなり反映しています。

公害問題
高度経済成長
交通戦争
医療格差
過疎化
戦争の記憶

などが随所に出てきます。

だから『ブラック・ジャック』は「天才外科医の物語」であると同時に、

・1970年代日本の社会史の記録

として読める面もあるのです。

全16巻を読み終えた西田さんだからこそ感じられると思いますが、『ブラック・ジャック』は未来を描くSFでありながら、同時に「昭和という時代そのもの」を閉じ込めた作品でもあります。その二重性が、半世紀経った今でも古びない理由の一つなのかもしれませんね。


Q、今の若者には実感できないかもしれませんが、昭和の時代は老若男女問わず交通事故死した著名人含めて人が結構いました。私も昭和時代を過ごした少年時代までによく一度も交通事故に遭わなかったと回想することがあります。

A、それはとても実感のこもったお話ですね。

実際、昭和を経験した世代と平成後期以降の世代では、交通事故に対する感覚がかなり違うと思います。

先ほど触れたように、日本の交通事故死者数は1970年に約1万6700人というピークを迎え、「交通戦争」とまで呼ばれていました。現在の死者数と比べると数倍規模です。道路環境や車両安全性能、シートベルト着用率、救急医療体制なども今ほど整っていませんでした。

そのため昭和の子どもたちは、

・近所で交通事故の話を聞く
・同級生や知人が事故に遭う
・ニュースで著名人の事故死を知る
・学校で交通安全教育を頻繁に受ける

という経験を比較的日常的にしていました。

だから『ブラック・ジャック』で、

・トラックにはねられる
・工事現場で事故に遭う
・飛行機事故で重傷を負う
・顔面を損傷する

といった話が出てきても、当時の読者には決して非現実的ではなかったのでしょう。

むしろ、

「もし自分や家族がこんな事故に遭ったら」

という切実さがあったと思います。

また、昭和の著名人を振り返っても、交通事故で命を落とした方は少なくありませんでした。現在では航空・鉄道・自動車の安全性が大きく向上したため、「事故死は稀なもの」という印象がありますが、昭和の感覚ではそこまで遠い出来事ではなかったのです。

そう考えると、『ブラック・ジャック』が交通事故や労働災害を題材に多く取り上げたのは、単なる作劇の都合ではなく、

「高度経済成長の陰で失われる命」

という当時の社会を映していた面もあるのでしょう。

そして興味深いのは、ブラック・ジャック自身がそうした時代に対して一種のアンチテーゼになっていることです。

社会が「効率」「経済成長」「開発」に突き進む中で、

たった一人の命にも無限の価値がある

という立場を取り続ける。

だから『ブラック・ジャック』は医療漫画であると同時に、昭和という時代への人道的なメッセージでもあったように思います。

西田さんが「よく一度も交通事故に遭わずに少年時代を過ごせた」と振り返られるのは、決して大げさではないと思います。昭和の読者にとって『ブラック・ジャック』の事故エピソードは、SFや空想の世界ではなく、自分のすぐ隣にある現実として読まれていたはずです。その時代背景を知ると、作品の見え方もまた少し変わってきますね。


Q、ブラック・ジャックで印象に残るキャラクターはブラックジャックの宿敵であったドクター・キリコでした。医師ながら安楽死第一主義者は本来批判されるべきキャラクターですが、ドクター・キリコのようなブラック・ジャックの思想とは正反対のキャラクターは令和社会において存在価値が増してくる面があるかもしれません。

A、これは非常に興味深い視点です。

キリコというキャラクターは、1970年代に読むのと2020年代に読むのとでは、かなり印象が変わる人物かもしれません。

連載当時の読者にとっては、

ブラック・ジャック=命を救う医師
キリコ=命を終わらせる医師

という構図から、キリコは「危険な思想の持ち主」「敵役」と受け取られやすかったと思います。

しかし手塚治虫が優れていたのは、キリコを単なる悪役にはしなかったことです。

キリコは殺人者でも冷血漢でもありません。

むしろ戦場や過酷な医療現場で、

・助からない患者
・耐え難い苦痛を抱えた患者
・もはや回復の見込みがない患者

を数多く見てきた結果、

「救えない命もある」

「苦痛から解放することも医療ではないか」

という思想にたどり着いた人物です。

だから読者は簡単に否定できない。

現代社会ではさらにそうです。

連載当時よりも平均寿命は伸びましたが、その一方で

終末期医療
尊厳死
緩和ケア
延命治療
QOL(生活の質)

といった問題が大きくなっています。

かつては

「とにかく命を延ばすことが正義」

という考え方が強かったのに対し、現在は

「どのように生きるか」

「どのように最期を迎えるか」

も重要なテーマになっています。

そういう意味では、キリコが投げかけた問題はむしろ現代の方が身近になっていると言えるでしょう。

ただ興味深いのは、手塚治虫はキリコを正しいとも描いていないことです。

例えばキリコが登場する回では、

・ブラック・ジャックも完全に勝たない
・キリコも完全に勝たない

ことが多い。

読者に答えを委ねています。

これは手塚治虫が医師だったからこその慎重さかもしれません。

本物の医療現場では、

「絶対に生かすべきだ」 「絶対に死なせるべきだ」

という単純な答えはないことを知っていたのでしょう。

私は『ブラック・ジャック』全体で見ると、

ブラック・ジャックとキリコは敵というより、

生と死の両極を受け持つ対になる存在

だと思います。

ブラック・ジャックは

「最後の1%に懸ける」

医師。

キリコは

「その1%すら失われた時を見届ける」

医師。

どちらも命と真剣に向き合っている。

だからこそ名ライバルになったのでしょう。

そして西田さんがおっしゃるように、令和の読者はキリコを単純な悪役としては読めないと思います。

むしろ高齢化社会を迎えた現在では、

ブラック・ジャックよりキリコの言葉の方が胸に刺さる回すらあります。

それでも私が『ブラック・ジャック』の凄いところだと思うのは、最終的に作品全体としてどちらか一方を勝者にしなかったことです。

「生かすべきか、苦痛から解放すべきか」

という問いは、50年以上経った今でも決着していません。

そのためキリコは単なる敵役ではなく、現代においてますます重要性を増している「もう一人の主人公」と言ってもいい存在なのかもしれませんね。ブラック・ジャックを読み終えた読者の多くが、主人公以外で真っ先に思い出す人物がキリコだというのも、その存在感の大きさを物語っているように思います。
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