自由に描ける人生のいう絵

自由に描ける人生のいう絵

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コラム
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おはようございます♪


しあわせの青い鳥
サラさんの中では、きっと亡くなるとき
あ~、大事なものはここにあった~って
みなが感じるのだろうな。
そんな風な感覚があります。


生きていながらも死ぬ。
そんなことがあって
それは慣れ親しんでる、この私が
無かったことに気づく瞬間というのか。


ただただこの、いま、見える様子だけがある。
しーんと静まり返った
思考も感覚も
見えるものと同じ、
自然に湧いては消えて・・・
その背後のなんだかわからない、し~ん。
というところ。


言葉で感じてることを表現するのって
とても難しいですね。


そうそう、相方さんから
”絵も自由に表現したらいいよ。
何色の太陽があってもいいし、
こどものころからこころにあるものを
なんでも表現できるよ。”
そんな風な表現が届きました。


まだまだ恥ずかしさみたいなのがある感じがします。
人生というものも同じで
起きていることは起きていて
そこにどんな色付け(解釈)するのかは
その人の自由で
良くも描ければ、悪くも描けて・・・


よく、起きることを
自分でコントロールできると
勘違いしてしまうことがあります。


失敗も成功も
両方おなじ、起きたこと


それを失敗、成功という解釈で
世界を色付けている。


「あのとき、こうしていれば」
「自分がいけなかったんだ」と
罪悪感や後悔が生まれることもありますね。


けれど、本来、
起きていることは自然に起きていて。
私たちは、起きたことそのものではなく、
そこにあとから重ねている
罪悪感や後悔という解釈によって
苦しんでいることがあるのですね。


そして、その解釈もまた、
自然に湧いては消えていくもの。


そう気づいたとき、
私たちは、罪悪感や後悔に
縛られ続ける必要はなくなり
自由が内から生まれてくるかもしれませんね。


今日という日常も
どのような解釈で描くのは自由。
でも、根本の起きていることは
私たちの手のくわえられない
壮大な働きの上で起きていることなのだということは
変わらないことなのでした。












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