帰宅して玄関の戸を開けた瞬間、どっと疲れが出る。家の中が散らかっているわけではないのに、玄関だけがいつも重たく感じる。――そうしたご相談を、私たち聖夫婦はたびたびお受けいたします。
玄関という言葉は、もともとお寺の言葉でした。「玄」は奥深いさとりの道をあらわし、「関」はそこへ入るための関門をあらわします。つまり玄関とは、「悟りへ入るはじめの門」。私たちは毎日、その門を出たり入ったりしているわけです。
このお悩みには、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)のお導き」を
禅寺の入口には、よく「脚下照顧」という四文字がかかげられています。足もとを照らして、よく顧みなさいという教えです。同じ意味で「看脚下(かんきゃっか)」とも申します。
これは「履物をそろえなさい」という教えであり、同時に「いまの自分が立っている場所を見なさい」という教えでもあります。玄関が重たく感じるとき、その方は遠くのことばかりを見つめて、足もとに手をかける時間が足りなくなっていることが多いのです。決して、あなたの心がけが足りないからではありません。
私たちがお受けしている御祈祷では、この「家の入口」に焦点をあて、聖天様(しょうてんさま)へ、あなたのお住まいとご家族の出入りが清らかであるようお祈りいたします。あわせて、あなたのお話から感じ取ったことをもとに、今日どこを一か所整えればよいか、お導きをお伝えいたします。
御祈祷とあわせて行っていただく、三つのうちの一つ
ひとつめは、靴の向きをそろえること。全部でなくてかまいません。ご自分の靴を一足だけ、つま先を外に向けて置きなおしてみてください。ここで大切なのは、ご家族の靴が乱れていても責めないことです。「揃えなさい」と言うより、だまって揃えておくほうが、家の空気はやわらぎます。脚下照顧は、人の足もとではなく自分の足もとを看よという教えですから。
ふたつめは、三和土(たたき)を拭くこと。靴を脱ぐ土間の部分です。土と石灰とにがり、三つを和してたたき固めたことから、この名がついたと言われます。家の外と内の境目を、かたくしぼった布でさっと拭く。今日は戸のまえだけでもじゅうぶんです。水びたしにはしないでください。
みっつめは、かさ立てから古いものを一つ手ばなすこと。ほねの折れたかさが何年もささっていないでしょうか。全部でなく、一つだけで結構です。風水でも玄関前のひらけた場所を「明堂(めいどう)」と呼び、大切にいたします。風がとおれば、においがこもらず、帰宅時の重さがへります。
禅のお寺では、掃除を「作務(さむ)」と呼び、おつとめの一部とみなします。すわって手を合わせることだけが修行ではないのですね。聖天様は、このように示されました。
「小さき行いを、軽んじてはならぬ。履物をそろえる手は、そのまま、みずからの心をそろえる手じゃ」
御祈祷は、あなたの手を助けるものです。祈りと、今日の一か所。その両方が揃ったとき、玄関の空気は静かに変わってまいります。
ご相談について
疲れがなかなか取れないときや、気分の重さが長くつづくときは、おいのりだけで抱えこまず、お医者さまにもご相談ください。体と心のことは、専門の方にみていただくのがいちばんです。
家の入口を整える御祈祷をご希望の方は、サービスページをご覧ください。ご不明な点や、ご事情のご相談は、ココナラのメッセージからお気軽にお送りください。あなたとご家族に、おだやかな時間がおとずれますように。