願うことをためらう方へ|聖天様「欲を恥じない」祈りの作法

願うことをためらう方へ|聖天様「欲を恥じない」祈りの作法

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「こんなことを願っていいのだろうか」「欲張りだと思われないか」「私の願いは、願ってはいけない類の願いかもしれない」――願い事を前にして、心を閉じてしまう。そんな遠慮を抱える方へ、私たち聖夫婦が聖天様(しょうてんさま)の教えをお届けします。

願い事を素直に願えない時、心の中では「望むこと=わがまま」「私の望み=常識ではNGかも」などという思い込みが働いているのかもしれません。けれど聖天信仰では、望むことを決して恥ずべきものとはしません。むしろ、望みを持つことそのものを、生きる力のあらわれとして大切にします。

考えてみてください。本当に心が枯れてしまったとき、人は何も望めなくなります。願い事を言う前に心を閉ざしてしまうのは、裏を返せば、あなたの中にまだ確かな望みが息づいているということ。その望みは、恥じるべきものではなく、あなたが前を向いている何よりの証なのです。

聖天様は、このように説かれます。「望むことは、汚れではない。生きたい心の、証じゃ。恥じて呑み込んだ願いほど、そなたを内から重くする。」呑み込んだ願いは消えるのではなく、心の底に沈んで重しになる。だからこそ遠慮なく聖天様に伝えてよいのだと、促してくださいます。聖天様は、大きな願いもささやかな願いも、優劣なく受け止めてくださるのです。

おすすめの作法は「自分が幸せになる願い方をする」これに尽きます。
どんな願い事も人をどうこう、誰かをどうこうなどという願い方はせず、自分がこうなりたい、こうなることで幸せになる、愛されたい、愛したい。あなたの目線であなたが幸せになれる願い方が正しい願い方です。こんなこと願っていいのかな?と呑み込んでしまった、本当に望んでいた願いを望むことを、自分に許すのです。

私たち聖夫婦は、こうしたお気持ちの方へ「呑み込んだ願いを解きほぐす祈願」をお勧めしています。あなたが恥じずに願いを託せるよう、聖天様にお取り次ぎしてお祈りいたします。感じ取ったお気持ちに寄り添い、お導きをお伝えいたします。

なお、切実な悩みを一人で抱えておられる場合は、信仰とあわせて、信頼できる人や専門の窓口にも思いを分けてください。呑み込んだ願いは、言葉にすることで軽くなっていきます。

大きくても小さくても構いません。あなたの望みを恥じずに。願いを言葉にするお手伝いをご希望の方は、まずはお気軽にココナラのメッセージからお声がけください。

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