ケガをした。
自分の身体のことは不思議なくらいわかる。
具合が悪くなりそうな時。
体調を崩してから、悪化しそうな時、そうならないとき。
ケガをするときも、その瞬間、どの程度か、不思議とわかる。
多分これは、祖母の食育とうるさいほどの健康管理の賜物だと思う。
食べたいものが浮かぶ。
浮かんだものがその時の自分に必要な栄養素なんだということを、最近になってわかった。
風邪をひきかけているときとか、胃腸が弱っているときとか、食べたいと思うものを食べることで、悪化しないようになってるらしい。
それが食育なんだと、最近知った。
子供のころ、恐ろしく虚弱体質だった。
だから祖母は私にうるさいくらい「薬だと思って食べなさい。」と言って、あれこれ食べさせていた。
納豆だったり、果物だったり、青魚だったり。
人体実験か?というくらい、身体にいいとされるものを聞いては、しつこく食べさせていた。
おかげで好き嫌いがほとんどない。
「食べてさえいれば大丈夫。」と思っているところがある。
ケガをした瞬間、「これは大丈夫。」と思った。
一緒にするのもなんだけど、息子を妊娠した時も、その瞬間で確信した。
あれは不思議な感覚だった。
後日談があって、息子がまだ赤ちゃんの時、ベビーカーに乗せている息子に、「望まれて、望まれて、生まれてきたのね。」
と、ゆっくり言われた。
ママ友だったのか、知人程度の人だったか、それがどうしても思い出せない。
でも、その時の風景というか、景色というか、それは写真の1枚のように記憶されていて、今思えばそんなことを赤ちゃんな息子に言ってるのがおかしな話なのに、ぼーっと聞いてた。
なんでこの人はそのことを知ってるんだろうと思ってた。
まあ、当時は相当病んでたはずなので、夢だったのか現だったのかも定かでないのだけど。
ケガはやはり大したことはなく、みんなに心配してもらったのに、恐縮しつつ、足首じゃなくて良かったと思った。
痛みはストレスになるし、不自由さは気持ちが落ちる。
小さくケガしたのは、このまま過ごしてたら大ケガしてたぞという警告のような気がした。
祖父と祖母には守られているとどこかで信じていて、いいことはくれないけど、何かで警告することで、最悪の状況にはしないでくれているんじゃないかと思っている。
ちなみに私と息子は生まれながらに墓守の星なんだそうだ。(笑)