表紙で止まる人は、たいてい画像編集を覚えようとしている。
🎨 本文が形になってくると、次は表紙だと気づく。
書店で見かける本を思い浮かべて、あれに近いものを自分で作ろうとする。
無料の画像編集ソフトを入れる。フォントを探す。色の組み合わせを調べる。
作ってみると、どこか素人くさい。何が違うのかは分かるのに、どう直せばいいのかが分からない。
そこから、デザインの基礎を調べ始める。余白の取り方、書体の選び方、色の相性。
読めば読むほど、覚えることが増えていく。
⏳ 1週間かけて2案作り、どちらも気に入らずに保存だけして閉じる。
本文はもう書き終わっている。表紙のせいで出せない状態が続く。
道具そのものでつまずく人もいる。無料の画像編集ソフトを入れてみたものの、使いにくくてそこで止まった、という話は実際に出てくる。
書く作業とはまったく別の道具を、この工程だけのために習得することになる。
📏 しかも、見た目を決める前に満たすべき条件がある。
KDPのガイドラインでは、表紙の推奨寸法は高さ2,560×幅1,600ピクセル。解像度は300DPI以上。ファイルは5MB以下。
形式はJPEGが推奨されている。カラープロファイルはRGBで、印刷用のCMYKは受け付けない。
配置はページの左右上下の中央、上下左右15%の範囲に収める。3〜4ピクセルの薄い灰色の枠線を付けることも勧められている。
短辺が500ピクセル以下だと、アップロードはできてもサイトに表示されない。
価格や販売促進の文言を表紙に入れることも禁止されている。
デザインの前に、この条件表を読むところから始まる。
🤐 人に見せて意見をもらうこともしにくい。
まだ本として出していないものを見せるのは気が引ける。
見せたところで、相手も基準を持っていないので好みの話になる。
自分で判断するしかないのに、その判断の基準を持っていない。この状態で選び続けると、時間だけが減っていく。
🧩 これは絵の才能の問題じゃない。工程の性質の問題だ。
表紙を作るという作業を、自分で一から設計する仕事として引き受けてしまっている。
実際には、本の表紙には型がある。ジャンルごとに読者が見慣れた形があり、そこから大きく外れないほうが本は手に取られる。
ゼロから発想する必要は、もともとない。
それでも自分で作ろうとするのは、表紙は本の顔だという意識があるからだ。中身に自信があるほど、表紙で損をしたくないと考える。
その気持ちは正しい。ただ、手をかけた時間の量と表紙の出来はつながっていない。
基準を持たないまま時間をかけると、迷った跡が残るだけになる。
🔀 もうひとつ、この工程だけ扱う道具が違うのも効いている。
目次も本文も文字の仕事。表紙は画像の仕事だ。
画像生成を使うにしても、どんな指示文を書けば狙った雰囲気になるのかを、また別に覚えることになる。
書く作業からの連続性がないので、ここで初心者に戻る。
表紙は本づくりの終盤に置かれた工程だ。そこにきて急に足が止まる。
📐 段階の感覚も狂う。
この段階まで来ていること自体は、実はかなり進んでいる。本文が書き上がっていて、目次も整っている。
残っているのは仕上げの工程だけなのに、そこが別分野なせいで、全体が止まって見える。
進んだ距離と、残りの距離の感覚が合わなくなる。
🔍 判断の基準がないことは、時間の使い方にも出る。
基準があれば、候補を見て数分で決まる。なければ、何時間見ても決まらない。
表紙にかけた時間が長い人ほど出来がいい、という関係は成立していない。むしろ逆に見えることもある。
迷った時間は、そのまま画面の中に残る。どこかちぐはぐな配置や、決めきれなかった色数として出てくる。
📉 終わりが決められないのも、この工程の特徴だ。
本文なら書き切れば終わる。表紙には、これで完成という線がない。
もっとよく見せられる気がして、いつまでも手が離せない。あるいは逆に、疲れて適当なところで切り上げる。
極端になりやすいのは、良し悪しを測る物差しを持っていないからだ。
⚖️ 技術要件と好みの問題を、分けて扱ったほうがいい。
寸法や解像度は、満たしているかどうかで白黒がつく。調べれば終わる話だ。
雰囲気が合っているかどうかは、基準を持っていないと判断できない。時間をかけても近づかない。
止まっているのがどちらなのかで、次に何をすべきかが変わる。
✅ 今日できることもひとつ。
自分の本と近いジャンルの本を3冊思い浮かべて、その表紙に共通しているものを書き出してみる。
書体の太さ、色の数、文字の量、写真かイラストか。
共通点が3つ挙がれば、それが型だ。判断の基準を持たないまま迷っていた時間が、そこで終わる。