DVされまくり女がタロット占い師になった理由

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新たな人生を歩み始めるためには、過去の経験を乗り越える必要があるかもしれません。特にDV経験を持つ人にとっては、その影響を受けずにはいられないでしょう。何せ私自身がその当人です。
しかし、それを生かして新しい自分を作り上げることは十分に可能だということを知りました。
この記事は全てが私の実体験です。フェイクもほとんどありません。DVをされ続けて生きてきた私にとって、一体何が転機となり、タロット占い師を目指すことになったのか――同じようなつらい経験を持つ方にもぜひお読みいただければと思います。

・プロフィール

改めまして、紫月リコ(しづきりこ)と申します。
まずは自己紹介をしたためようと思います。
女性向けWEBメディアディレクター・記事ライター・広告ライター・インタビュアー等の経験が多数あります。そうして女性に寄り添った文章を書く仕事を続けてまいりました。
また、役者としての経験も長いため、お話しするお相手や映画のストーリーなどに感情移入しすぎてしまうことも多いです。

年齢:30代(細かい数字は……許してくださいw)
性別:女性
出身:カナダ(現在は日本在住です)
趣味:ゲーム、お絵描き、お芝居、占い
経歴:脚本、小説、原案、作詞、海外ゲームの翻訳、WEBディレクター、メディアディレクター、インタビュアー、広告ライター、記事執筆、声優など

さて、ここからは少し重たい話になってしまうのですが、幼少期から20代まで非常につらい経験をしてまいりました。長文ですし、かなり生々しい性的・暴力描写も多いので、そういったものが苦手な方は読み飛ばしていただいて構いません。

・幼少期(2~5歳頃)

私の父は当時まだ珍しい鬱病とパニック障害を患っている人でした。
日によって、時間によって機嫌が全く違い、優しいときもあれば体をぶたれて怒鳴られることも多かったです。私はこの年齢で既に父に対しては敬語を使っておりました。
その父ですが、母が仕事で留守にしている間、私を別の部屋に閉じ込めて、「一人で遊んでいなさい」と言われることがよくありました。初めの頃は特に気にせずお絵描きをしたり一人遊びをしていたのですが、ある日ふと父のことが気になり、部屋の襖を少し開けて向こうの部屋を覗いてみました。
すると父はAVを見て一人で致していたのです。子供ながらにそれが性行為のビデオだということは何故か理解できました。そこで初めて、「私はそのために別の部屋に閉じ込められて一人遊びを強いられていたのだ」と気づいたのです。これは後述する両親が離婚するときまで続きました。しかし、あまりにも日常的に行われていたため、「男の人はそういうものなんだな」と思っていました。

・小学生

8歳頃だったかと思います。少人数の親戚での集まりがありました。数人が外へ出掛けている間、私と祖父は部屋に二人きりになり、昼寝をしていました。すると、ウトウトとしていた私の股間に祖父の手が伸びてきました。どういうことか理解していた私は驚いて硬直しました。返事も何もできませんでした。
しばらくそれが続いた後、祖父は私を馬乗りの状態にし、互いの性器が擦り合わされるよう私の腰を持って動かしました。混乱と恥ずかしさ、血の繋がった祖父からそういった行為をされる気持ち悪さで私はずっと目を閉じて耐えるしかありませんでした。
このことは結局現在まで誰にも告白できていません。祖父は死ぬまで「優しいおじいちゃん」で通っていたからです。きっと今後も一生、親族に話すことはないでしょう。

・中学生
中学ではずっといじめにあっていました。先輩、同級生、後輩全ての学年から暴言を吐かれたり、無視をされる日々でした。耐えられずに不登校になりましたが、我が家は飲食店経営だったので、同級生の数人がお店に食事に来てくれて、「また学校おいでよ」と誘ってくれました。とても嬉しかったです。
それから再登校を始めました。初めのうちは女子グループが仲良くしてくれていましたが、男友達もできはじめると途端に態度が変わり、「男好き」「ぶりっこ」などと言われ、教室で静かに読書をしていると「キモw」などと言われるようになりました。結局は元通り、いじめられる生活に戻ったのです。下級生からも「どけよ○○w(苗字呼び捨て)」などと言われ突き飛ばされたりしていました。

そんな中、中学3年生の頃、一人の男子が私に告白をしてくれました。お手紙に「ずっと可愛いと思ってました。付き合ってもらえませんか」と書いてありました。罰ゲームか何かかと思いましたがどうやら違うらしく、本当にお付き合いをしてくれました。いじめられっ子の私を毎日見ていたはずなのに、こんな風に思ってくれる人もいるのだと感動しました。
ある日彼に、家で音楽でも聴きながらお喋りしよう、と誘われました。もちろん「そういう誘い」だというのはわかっていました。ですがその時丁度私は生理中で、今日はそういうことはできないよ、と伝えました。
ですが実際にはそんなことは完全に無視され、前戯も何もなく、服も着たまま、生理の出血で濡れていたからとそのまま無理やり挿入されレイプされました。ただただ痛くて、恋のときめきなど1ミリも無くて、「早く終わってくれ」と痛みに耐えながら終わるのを待ちました。
ようやく終わったときには服も布団も血だらけで、なぜか私がシーツを洗わされ、血のついたスカートのまま家に帰りました。とても虚しかった。それが私の初体験です。でもやはり、「男の人はそういうものなんだな」と自分を納得させました。

それくらいの頃、祖父の代からの多額の借金と、大家との裁判の結果、自己破産をして店をたたむことになったのです。このとき父は「まだ借金取りが来るかもしれないから離婚してお前たちは平穏に暮らしなさい」と言い、母もそれを承諾して離婚に至りました。お店が無くなることも一家が離ればなれになるのは当然悲しいことでしたが、「親子関係は何も変わらないからね」と言われ安心したことを覚えています。
その頃から母は体が弱くなってしまいフルタイムで働くことができなくなり、私の学生時代は母子家庭で生活保護を受けて生きていました。

しかし事実は違いました。父は不倫しており、別の女性と子作りをしていたのです。それが発覚したのは私が成人したときで、それまで私も母も真実を知らないままでした。ずっと騙され続けていたため養育費もごまかされ、慰謝料を取る隙もありませんでした。

・高校生

高校生になり、中学時代から仲が良かった男友達とお付き合いをすることになりました。「犯されたことがあって怖いから私の心の準備ができるまで我慢してほしい」と伝えていました。
ですが彼のお家に遊びに行くと、結局ベッドに連れ込まれて体を触られ、その時には我慢をしましたが、その日に彼から「エロいことできてうれしー︎^_^」とメールが来たので一気に気持ちが冷めてしまいました。会うのが怖くなり、私からお別れを申し出ました。

高校卒業間近の頃、お芝居という趣味を通じて年上の彼氏ができました。大学生だと聞いていました。流石に覚悟もできるようになっていましたし、相手が年上ということもあり多少は安心していたため、初めてエッチしよっか、という話になった日のことです。彼がコンビニで車を止めたので、飲み物でも買うのかなと思っていたら、「お前がゴム買ってこい」と命令されました。ものすごくびっくりしました。そういうものは男の人が用意しているものだと思っていたのですが、嫌だと言っても譲らないので、とても恥ずかしい思いをしながら一人でコンビニに入り、生まれて初めてコンドームの箱を手に取り、仕方なく買ってきました。
付き合いを続ける中でちょっと不満があったのが、私の地元から彼の地元まで電車で1時間半、電車賃は1,200円ほどかかっていました。しかし、彼の方が私の地元へ遊びに来てくれることは一度もありませんでした。少しおかしいなとは思っていたのですが、実は彼は大学生ではなく、中卒でバイトもしていないニートだと自白されました。中卒に別に偏見はありません、ただ嘘をつかれていたことがショックでした。しかしそれでも嫌いにはなれませんでした。

年齢は20も近くなり、私も母に負担をかけず自立をしたい時期だったので、一緒に同棲して頑張ってみない?と誘い、実家で飼っていた犬も私が連れて、東京で同棲する運びとなりました。
私は実家が飲食店だったので雰囲気の良さそうな居酒屋の面接を受け、無事に働くことが決まりました。料理も好きで自炊していました。ところが彼の方は一向に働く気配がなく、家事も一切手伝ってくれることがありません。私の居酒屋のバイトが終わると電話をかけてきて、「腹減ったからカップラーメン買ってこいよ」と言われました。
お休みの日に自炊をして出すと、私の料理に文句を言い、「こんなの人間の食うもんじゃねえ!」と言って、その後一口も口を付けずカップラーメンを食べていました。別に私の料理がおかしいわけではなく、彼がとてつもない偏食だったのです。焼肉は「焼くのがめんどくせえ」と言い、焼いた肉をお皿に取ってあげないと食べません。魚は骨が嫌なのか食べません。野菜もほとんど食べません。自分の知らない味付けのものは吐き出します。
そうやって私が彼の望むものを出さないと怒鳴り散らし、暴れ、他にも何かイライラするようなことがあるとマンションの公共部分を蹴り飛ばして壊したりもしました。私は実家から連れてきた犬が殺されるのではと怖くなり、親に連絡して逃げるように別れました。
この頃に私は怒鳴られたり暴れられた恐怖で鬱病を発症し、実家でほとんど寝たきりの状態でした。

・21歳頃

居酒屋で働いていた頃の同僚と仲良くなり、私の鬱病のことも理解してくれ、お付き合いすることになりました。最初は楽しく付き合えていて、なかなか外に出られなかった私が遊びに出掛けられるようにもなりました。
しかし、そうやって私が元気になっていくほど、徐々に彼は私への依存が酷くなってきました。会う約束をしていないのに突然家に上がり込んで、「帰りの交通費もらってくわ」と言って、私の貯金箱からお金を取って帰る人になってしまったのです。
鬱病でほとんど働けない中一生懸命貯金箱に貯めていた3万円が全て取られてしまいました。悲しすぎて私からお別れを申し出ました。

・23歳頃

鬱病も良くなってきた過程で一人暮らしを始め、学生時代から仲の良かった役者仲間の男友達とお付き合いをすることになりました。彼は元カノがとてつもない束縛をする女性で、私が束縛しないかを気にしているようでした。「そんなに嫉妬したりしないよ」と伝えました。
するとどうでしょう。驚くほどの浮気三昧です。私とは会ってくれず、休みの日はどこへ行くか教えない、そのままLINEは朝まで返事なし。SNSを調べると女性の家に泊まっている(相手の女性が大喜びでツイートするのですぐわかるのです)。彼の元カノの精神が壊れてしまった理由をそうやって私も知ることになりました。
こんな会話をしたことがあります。

「次の休み会える?」
「無理」
「空いてる日ある?」
「無い」
「会いたいからどっか空けてくれないかな」
「なんでお前のために休み空けなきゃいけないわけ? 友達との予定で全部埋まってんだよ」

絶句しました。何も言い返せず、ただ、そう、と答えたと思います。
ある日彼の家に行ったら(彼は私に会いに来てくれないので私が家に行くしか会う手段が無いのです)、私の化粧品や歯ブラシが隠されており、私とは致していない期間にも関わらずコンドームの数が減っていました。浮気を隠す気もない、それほどまでに私は価値のない女だったということです。
浮気したことを彼に追求すると、「お前が女遊びしていいって言ったから付き合ってやったんだよ、詐欺女」と言われました。初めに伝えたそんなに嫉妬しないよ、という言葉を彼はそう解釈していたのです。
友人たちに相談すると、みんな彼を擁護して「乳が無かったら無価値のくせに彼女ヅラすんなメンヘラクソ女」「付き合ってもらえただけありがたく思え」と言われました。
この頃は男友達にもふざけて首を絞められたり、殴られたり、髪を引っ張られたり、女友達にも顔にビンタされたり、「ブス」「下手くそ(演技のことです)」と言われたりしていました。
間違いなく、この頃の一連の出来事が自分の最大のトラウマだと思っています。

・25歳頃

正直前回の恋愛で疲れ切っていました。しばらく恋愛をする気はありませんでした。ですが、役者仲間の一人が面と向かって「紫月さんのことが本当に好きなんです」と言って泣くほど訴えてきたので、新しい恋愛をすれば変わることもあるかと思い、付き合ってみることにしました。
彼は地方住みで最初は遠距離だったのですが、上京して家族が譲ってくれた広めの家に引っ越すというので、同棲することになりました。

この頃の私は会社を退職し、少し休養を取っていました。ある日友達と遊んでから家に帰ると、彼が「紫月さんばっかり遊んでずるい!」と泣き叫びました。話を聞くに、金銭感覚が相当ずれていたようで、東京近辺でも週4日数時間のアルバイトで生活していけると思っていたようなのです。
ずるいと言われても私は私のお金でお友達と食事に行っただけですので、遊ぶお金が欲しいなら働く時間を増やすしかないんじゃない?と答えたのですが、彼は「そんな正論が言われたいんじゃない!」と叫び、家の中で床や壁を叩き暴れられました。落ち着くまで呆然と見ていました。

後日、出掛ける用事ができたのでいつも私がやっている洗濯を彼に頼んでおいたのですが、私が寝てる間に無理やり挿入され、激痛で目が覚めました。何するの!?と怒ると、「洗濯やってやったんだからヤラせろ!」と怒鳴られました。信じられない言葉でした。当然別れ話をしたのですが、今度は「お前の荷物全部捨ててやるからな」と脅され、彼が外出している間に大慌てで荷物をまとめ、段ボールを何個もコンビニから発送し、大荷物を引きずりながら夜逃げをするように実家へ逃げ帰りました。私が買った家具や両親がプレゼントしてくれた家具は置いていくしかできませんでした。タクシーで実家へ向かう間、虚しくて涙が止まりませんでした。

・26歳頃

私のその別れ話を友人づてに聞いた例の浮気三昧だった彼が、「罪滅ぼしがしたい」「そんなひどい目に遭ったなら自分とやり直してほしい」と復縁を求めてきました。必死だったので信じてみました。

最初はデートに行ったり色々してくれました。外食にすら一緒に行ってくれなかった昔とは全然違いました。これなら結婚してもいいなと思い、婚約まで至ったのですが、突然Twitterに鍵をかけて私を追い出して3ヶ月間音信不通になりました。私の電話やLINEは全て無視。でも友達との飲み会や女遊びはしているようでした。その3ヶ月の間ストレスで体調を崩してしまい食事ができず、胃カメラをしたり点滴をしたり、体重が35kgまで落ちました。

その後急に彼から連絡が来たのですが、「どこ出かけるの?」と聞くと「俺の勝手だろ、なんでお前に教えなきゃいけないわけ?」と怒ってドアを思いっきりバタン!!!と閉めて出ていく日が多くなりました。結局昔の彼に戻ってしまったのです。
彼は声優だったのでR18作品に出るのはやめてほしいとずっとお願いしていました。彼女である私に対し、キャラクターと現実の人間の区別がつかない女性たち(いわゆるガチ恋夢女)から殺してやるという脅迫が止まらなかったからです。それでも結局最後までやめてくれることはありませんでした。

・~現在(24.4)

私は元々肺炎にかかりやすい体質だったため、両親から絶対に外に出るなと言われコロナ禍の間はほとんど自宅に引きこもり、日々の食事ができる程度のお金だけを稼いで5年ほど生活しました。
そしてマスク無しで出掛けられるようになり、友人との旅行のために生理をずらそうと考えて婦人科に行ったときのことです。検診を受けたところ、子宮筋腫が見つかりました。会社で働いていた頃はピルを飲みながらなんとか出勤していた人間ですが、在宅になってからは節約しようとしばらく休薬していたため、全く意図せず急にピルを飲み続ける人生になりました。
まあ過去に飲みなれていたので副作用のこともそんなに気にしていなかったのですが、なんと、人生で初めてとてつもない精神的な副作用に襲われたのです。
理由は素人にはわかりませんが、ピルによってホルモンバランスを調整した結果、5年間すっかり忘れていた「自分は女である」という感覚が蘇ったのでは?と推測しています。
5年間誰ともセックスせず、恋もせず、気が付けば子供を産めるかどうか難しい年齢に差し掛かってきていました。そこにあったのは絶望です。
人間はつらい記憶には蓋をするというのは本当で、思い出さずに生活してきたはずの過去の恋愛の記憶が一気に蘇り、パニック発作を起こして倒れました。
それから副作用が落ち着くまでの3ヶ月間、毎日希死念慮に襲われ、一日中泣いている日もあれば、寝ようとベッドに入ってから大声で泣き喚く日もありました。
ピークが来たのは23年9月末頃で、ベランダから飛び降りようとしました。しかし自宅の階数はそれほど高くなく、上手く死ねないような気がして勇気が出ずに終わり、ただひたすらに泣いて終わりました。

少し落ち着いてから「さっき自殺しようとしちゃった」と仲の良い男友達に話したところ、「紫月さんは対等に雑談できる相手だから生きといてほしいな」と言ってくれました。何ともシンプルな言葉です。それでも、無価値だ何だと言われた私にそんな言葉をかけてくれる男性がこの世に存在すること、自死を考えた人を救える言葉があることを知り、灰色だった私の世界に初めて彩がついたような感覚になりました。私はこの瞬間まで、自分が今までのすべての恋人や血族からDVをされていたことに全く気付いていなかったのです。
誰の何にもなれなかった私です。彼の言葉に救ってもらったその日から、「誰かの何かになりたい」とずっと考えて過ごしてきました。
自分のように親の影響で価値観が歪んでしまったり、苦しい恋愛に日々涙を流されている方々の助けになれることは何だろうか、と考えた結果、ライターという生業を活かしながらできるタロット占い師という選択にたどり着いたのです。
(ちなみに、父は再婚先でも不倫と離婚を繰り返し、介護は捨てられた立場であるはずの私がしています。何故でしょう?)

・おわりに

占い師としては新米の私ではありますが、このような思いを持って勉強を続けてまいりましたので、ぜひ信頼していただければと思います。
恋愛が原因での双極性障害、鬱病、PTSDと戦っている方々も遠慮なくご相談ください。
長々とお読みくださりありがとうございました。


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