はじめまして。
霊能鑑定師・パトラと申します。
現在は、恋愛・仕事・人間関係・ご家族・お子様・人生について、霊視を通してさまざまなお悩みを拝見しております。
今でこそ多くの方とのご縁をいただいておりますが、私は最初から、
「この力を使って霊能鑑定師として生きていこう」
と思っていたわけではありません。
むしろ幼い頃の私は、
「どうして自分には、こんなものが見えるのだろう」
「こんな感覚など、なければいいのに」
そう思い、一度は自分の感覚そのものから離れようとしたこともございました。
今日は少しだけ、
なぜ私が霊能鑑定師としてこの道を歩むようになったのか。
そのお話をさせていただければと思います。
■すべての始まりは、高千穂での体験でした
私が初めて、
「自分は、人とは少し違うものを感じ取っているのかもしれない」
と思ったのは、まだ子どもの頃です。
家族旅行で高千穂を訪れた時のことでした。
家族と一緒に神社の境内を歩いていたのですが、ある場所に差しかかった瞬間、なぜか足が止まりました。
怖かったわけではありません。
ただ、それまで歩いていた場所とは、空気そのものが少し違って感じられたのです。
周囲の音が遠くなったような。
自分の身体の周りだけ、空気の密度が変わったような。
子どもながらに、
「ここは何か違う」
そう感じました。
そして、なぜかその場で目を閉じました。
すると突然、まぶたの裏に強い光が広がり、その中にいくつかの映像のようなものが浮かんできたのです。
その一つにあったのが、
家族の一人が体調を崩している姿でした。
その時の私には、当然意味など分かりません。
誰かに説明することもできませんでした。
ただ、
「変なものが見えたな」
その程度にしか受け止めていなかったのです。
ところが旅行から帰って間もなく、実際に家族の一人が体調を崩しました。
その時初めて、
高千穂で見えた映像と、現実に起きた出来事がつながりました。
偶然かもしれない。
自分の想像だったのかもしれない。
そう思おうとしました。
ですが心の奥には、
「私は、まだ起きていない何かを感じ取ったのではないか」
という感覚が、消えずに残りました。
■「視えること」は、私にとって嬉しいことばかりではありませんでした
それから少しずつ、
人と話している時に、言葉とは違う感情が伝わってくる。
まだ起きていない出来事のようなものが、突然頭に浮かぶ。
場所によって、身体が重く感じたり、反対に妙に軽く感じたりする。
そんな経験が増えていきました。
けれど当時の私は、それを「特別な力」だとは思っていませんでした。
むしろ、
人と違うことの方が怖かったのだと思います。
ある時、友人について感じ取ったことを、そのまま本人へ伝えたことがありました。
私は心配して伝えたつもりでした。
悪気はありませんでした。
ですが、相手にとっては怖かったのでしょう。
それまで普通に接していた友人から、少しずつ距離を置かれるようになりました。
子どもだった私には、その出来事がとても大きく感じられました。
「言わなければよかった」
「こんなもの、分からない方がいい」
そう思うようになりました。
それから私は、
何かを感じても考えない。
映像が浮かんでも気のせいだと思う。
人の感情が流れ込んできても、なるべく受け取らないようにする。
そうやって、自分の中にある感覚へ少しずつ蓋をしていったのです。
■一度閉じた感覚と、もう一度向き合うことになったきっかけ
それから年月が経ちました。
私はできるだけ「普通に生きること」を選んでいました。
何かを感じても追いかけない。
人の感情が伝わってきても考えない。
ふと何かが浮かんでも、そのまま流してしまう。
その方が楽だと思っていたのです。
ところが、不思議なものでした。
見ないようにしていても、その感覚が完全に消えることはありませんでした。
人と話している最中に、言葉とはまったく違う感情が突然入ってくる。
ある場所へ入った瞬間、理由もなく身体が重くなる。
何も聞いていないのに、その方が抱えていることの一部がふっと浮かぶ。
自分から求めているわけではない。
それでも、必要な時に限って強く感じることがありました。
人と話している最中に、言葉とはまったく違う感情が突然入ってくる。
ある場所へ入った瞬間、理由もなく身体が重くなる。
何も聞いていないのに、その方が抱えていることの一部がふっと浮かぶ。
自分から求めているわけではない。
それでも、その感覚だけは完全には消えてくれませんでした。
そしてある時、
そうしたことが何度か重なったことで、私自身も、
「このまま、ただ見ないふりを続けていて本当にいいのだろうか」
と思うようになりました。
それまで私は、自分が感じるものについて、ほとんど人に話してきませんでした。
子どもの頃、友人に怖がられた経験があったからです。
「また変な人だと思われるのではないか」
「話しても理解してもらえないのではないか」
そんな気持ちがありました。
ですが、以前から付き合いのあった知人と二人で話していた時、なぜかその日は少しだけ自分のことを話してみようという気持ちになりました。
最初は、
「昔から、人といると妙に疲れることがあるんだよね」
という程度の話でした。
そこから少しずつ、
人の感情が自分の中へ入ってくるように感じること。
場所によって空気がまったく違って感じられること。
時折、何も聞いていないのに映像のようなものが浮かんでくること。
そして子どもの頃、高千穂で体験したことまで話しました。
私は半分、
「そんなの気のせいじゃない?」
と笑われると思っていました。
ところが、その知人は意外にも否定しませんでした。
しばらく私の話を聞いた後、
「それ、無理に消そうとするより、一度ちゃんと扱い方を知った方がいいんじゃない?」
と言ったのです。
そして、
「そういう感覚について、変に煽ったりせず、瞑想や精神面からきちんと教えている人を知っている」
と、一人の方のことを教えてくれました。
正直、最初は乗り気ではありませんでした。
私はむしろ、そういう世界から離れようとしてきたからです。
それに、
「あなたには特別な力があります」
などと言われることにも抵抗がありました。
けれど同時に、
この感覚を一生ただ怖がり続けるのではなく、一度くらい正面から向き合ってみてもいいのではないか。
そんな気持ちも生まれていました。
少し迷った末、
「一度会うだけなら」
という気持ちで、その方をご紹介いただくことになりました。
それが、後に私の考え方を大きく変えることになる、瞑想と精神修養を教えてくださる方との出会いでした。
その方とお話しする中で、
「一度、きちんと自分自身と向き合ってみなさい」
と言われました。
そしてもう一つ、強く心に残ったことがあります。
それは、
「視えるようになることよりも、視えたものに振り回されない自分を作ることの方が大切だ」
という考えでした。
それまでの私は、
この感覚を閉じるか。
受け入れるか。
その二つしかないと思っていました。
ですが初めて、
「この感覚と正しく付き合える自分になる」
という道があることを知ったのです。
そこから始まったのは、決して華やかな修練ではありませんでした
霊的な修練と聞くと、
ある日突然、何か特別なものが視えるようになる。
不思議な力を授かる。
そんなイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、私に必要だったのは、むしろその反対でした。
瞑想を続けること。
自分の呼吸や感情の揺れを細かく観察すること。
何かを感じても、すぐに意味を決めつけないこと。
自分の願望と、実際に感じ取ったものを混同しないこと。
心が乱れている時には無理に答えを出さないこと。
生活そのものを整え、自分の状態を一定に保つこと。
静かな時間の中で、自分自身の感情と、人から受け取ったものを一つずつ分けていくこと。
そうした地道な鍛錬を重ねました。
時には、
「これは本当に感じ取ったものなのか」
「自分の思い込みが混ざっていないか」
「相手が望んでいる答えに、自分の感覚を寄せてしまっていないか」
と、自分自身を何度も疑うこともありました。
感覚を鋭くすることよりも、
感覚に飲み込まれないこと。
人の苦しさを感じても、
自分まで一緒に沈まないこと。
何かが視えたとしても、
それをそのまま相手へ投げつけないこと。
私にとっては、こちらの方がずっと難しい修練でした。
自分の内側と向き合い続ける時間は、決して楽なものではありません。
時には、
「本当にこの道を進む必要があるのだろうか」
と迷うこともありました。
ですが、その時間があったからこそ、
私は少しずつ、
「何を視るか」以上に、「視えたものをどう扱うか」
を大切にするようになっていきました。
■深い瞑想の中で体験した光
そんな修練を重ねていた、ある日のことです。
いつものように呼吸を整え、深く瞑想へ入っていくと、突然、それまでとは明らかに違う感覚が訪れました。
目を閉じているにもかかわらず、視界の奥から強い光が広がり始めたのです。
最初は小さかった光が、次第に自分の身体全体を包み込むほど大きくなっていく。
白く澄んだ光の中に、どこか金色を帯びたような温かさがありました。
強い光でしたが、不思議と眩しさも恐怖もありませんでした。
むしろ、
「長い間、自分の中にあった迷いや曇りだけが、静かに照らされていくような感覚」
でした。
その瞬間、頭の中に言葉が聞こえたわけではありません。
何者かが姿を現したわけでもありません。
けれど、私の中には、
「この光には、何か意味がある」
という感覚だけが強く残りました。
瞑想を終えた後も、その感覚は消えませんでした。
それまでにも光や映像を感じることはありましたが、この時のものは明らかに違っていたからです。
それでも私は、すぐに答えを決めつけることはしませんでした。
深い瞑想によって起きた一時的な感覚なのかもしれない。
自分自身が無意識に作り出したものなのかもしれない。
だからこそ、その後も修練と祈りを続けながら、時間をかけて確かめていくことにしました。
すると、それからも深く意識が静まった時や、祈りに集中している時に、あの日とよく似た光を感じることが増えていきました。
一度だけではありませんでした。
何度感じても、その光には共通したものがありました。
強いのに、怖くない。
温かいのに、感情的ではない。
何かを無理に与えられるというよりも、
自分の中にある余計なものが取り払われ、本来そこにあったものだけが照らし出されていく。
私には、そのように感じられました。
■そして、子どもの頃の高千穂での体験とつながりました
そんな中、私は後になって、あることを知りました。
それは、子どもの頃に最初の不思議な体験をした高千穂という土地が、天照大神様にまつわる神話や信仰とも深い結びつきを持つ場所であることでした。
そのことを知った瞬間、
私は真っ先に、あの日の光を思い出しました。
家族旅行で訪れた高千穂。
境内を歩いていた時、突然空気が変わったように感じて足を止めたこと。
理由も分からないまま目を閉じると、強い光とともに映像が浮かんだこと。
その中に、家族が体調を崩している姿があったこと。
そしてその後、本当に現実と重なったこと。
当時の私は、天照大神様とのつながりなど考えたこともありませんでした。
霊的な知識があったわけでもありません。
だからこそ私は、その事実を知った時、
「自分が後から都合よく意味を作ったのではなく、もっとずっと前から、同じものに触れていたのではないか」
という感覚を覚えました。
そして思い返せば、
高千穂で初めて感じた光と、
長い修練を経た後、深い瞑想の中で繰り返し感じるようになった光には、不思議なほど共通するものがありました。
ただ明るいだけではありません。
どちらも、
静かで、強く、そしてすべてを照らすような光
だったのです。
高千穂での原体験。
その後、人には説明できない感覚を何度も経験したこと。
一度はそれを怖がり、自分自身で閉じようとしたこと。
再び修練を始めたこと。
深い瞑想の中で繰り返し現れるようになった光。
そして最後に知った、高千穂と天照大神様との深いつながり。
それまで私の中で別々に存在していた出来事が、
一つずつ、一本の線としてつながっていきました。
■何度も疑った末に、確信へと変わっていきました
もちろん、それでも私はすぐに、
「これは天照大神様からのものだ」
と決めつけたわけではありません。
むしろ、何度も疑いました。
「自分がそう思いたいだけではないのか」
「偶然を自分の都合の良いようにつなげているだけではないのか」
そう考えたこともあります。
だからこそ、私は祈りの中で、
何か特別なものを見せてほしい。
何か証明してほしい。
とは願いませんでした。
ただ、
「もしこの感覚を、人のために使うことに意味があるのであれば、私自身が迷わない形で気づかせてください」
そう祈りながら、自分の感覚と向き合い続けました。
それでも、祈りを重ねるたびに戻ってくるのは、同じ性質を持つ光でした。
そしてその光を感じた後には、不思議と自分の意識が静かになり、
自分自身の感情と、相手から受け取っているもの。
単なる不安と、深く意識を向けるべき感覚。
それまで混ざり合っていたものが、以前よりもはっきりと分かれて感じられるようになっていきました。
一度だけなら、偶然だったのかもしれません。
けれど、
子どもの頃から続いてきた体験を何度も疑い、修練を重ね、それでも同じ光へ戻ってくる。
さらに、その始まりとなった高千穂という土地と、天照大神様との結びつきまで後になって知った。
そこまで重なった時、
私の中で、それまでの「もしかしたら」という感覚が少しずつ変わっていきました。
そして私は、
「自分がこれまで受け取ってきたこの光は、天照大神様の御神気と深くつながっている」
と、自分の中ではっきりと受け止めるようになったのです。
誰かから、
「あなたは天照大神様とつながっている」
と言われたから信じたものではありません。
一度の不思議な体験だけでそう思ったわけでもありません。
子どもの頃から続いていた出来事を、何度も疑い、何度も確かめ、それでも同じところへたどり着いた。
私にとって、それは偶然だけでは片づけられない確信へと変わっていきました。
■そして、この感覚を閉じることをやめました
そこに気づいた時、
私はようやく、子どもの頃から抱えていた一つの迷いを手放すことができました。
「なぜ自分にはこんなものが見えるのだろう」
ではなく、
「この感覚を、これから何のために使うのか」
と考えられるようになったのです。
自分を特別な存在に見せるためではありません。
未来を言い当てることだけを目的にするものでもありません。
迷いの中にいる方が、
今、自分はどこにいるのか。
何が見えなくなっているのか。
そして、ここからどこへ進んでいけばいいのか。
その方の中で曇ってしまっているものに、少しでも光を当てるために使っていきたい。
そう思うようになりました。
かつては怖くて、自分自身で閉じようとした感覚。
それを初めて、
「このまま逃げるのではなく、人のために使っていこう」
と受け入れることができたのです。
そしてここから、
私の霊能鑑定師としての歩みが、本当の意味で始まりました。
■一人、また一人と、ご縁をいただく日々
最初から、大勢の方を鑑定していたわけではありません。
一人。
また一人。
ご縁をいただいた方のお悩みを丁寧に拝見し、
その時の自分にできることを、一つずつお伝えしていく。
そんな日々でした。
恋愛。
夫婦関係。
仕事。
人間関係。
お金。
家族。
将来への不安。
さまざまなお悩みと向き合いながら、私は少しずつ霊能鑑定師として経験を積んでいきました。
■ココナラとの出会い
しばらくは、ご縁のつながった方や、ご紹介をいただいた方を中心に鑑定を続けておりました。
当時の私は、それで十分だと思っていたのです。
目の前にいる方。
私を必要としてくださった方。
その方々に誠実に向き合えれば、それでいい。
そう考えていました。
そんなある時、ご縁のあった方との会話の中で、
「今はインターネットで悩みを相談できる場所もありますよ」
と教えていただきました。
それが、私がココナラを知ったきっかけです。
最初は、すぐに始めようとは思いませんでした。
顔も合わせたことがない。
住んでいる場所も分からない。
文章を通していただいたご相談に向き合う。
それまでの私には、まったく新しい形だったからです。
ですが、その方から言われた一言が心に残りました。
「対面で相談できる人ばかりではないですよ」
その言葉を聞いた時、初めて考えました。
遠方に住んでいる方。
小さなお子様がいて、自由に外出できない方。
人には言えない恋愛を抱えている方。
経営者や管理職など、普段は弱音を吐くことができない方。
夜、一人になった時にだけ、不安が押し寄せてくる方。
霊能者に相談してみたいと思っていても、実際に足を運ぶ勇気が出ない方。
そうした方々も、たくさんいらっしゃいます。
それまでの私は、
ご縁のつながった方を待っている側
でした。
けれどインターネットなら、
対面では出会うことのできなかった方にも、自分の鑑定を届けることができるかもしれない。
そう思ったことが、私がココナラで鑑定を始めた理由でした。
■最初から順調だったわけではありません
もちろん、始めればすぐに多くの方からご依頼をいただけたわけではありません。
出品しても、ご依頼がほとんど入らないこともありました。
対面であれば、
話し方。
表情。
その場の空気。
そうしたものを含めて、自分がどんな人間なのかを感じていただけます。
ですがインターネットでは、
文章と画像、そしてプロフィールだけで、
「この人に相談してみよう」
と思っていただかなければなりません。
最初の頃の私は、その違いすらよく理解していませんでした。
それでも、
一件ご依頼をいただけば、そのお一人を丁寧に視る。
それだけは変えませんでした。
すると少しずつ、
再び相談に戻ってきてくださる方。
大切なご家族やご友人をご紹介してくださる方。
「誰にも話せなかったことを初めて話せました」
と伝えてくださる方。
そうしたご縁が増えていきました。
■画面の向こうにも、本当に苦しんでいる方がいる
そして、ココナラで鑑定を続けていく中で、
私自身の意識を大きく変える言葉をいただくようになりました。
「今まで何人もの方に占ってもらいました」
「それでも現状が変わりませんでした」
「もう誰を信じればいいのか分かりません」
「どうしたらいいのか分からなくなってしまいました」
そうしたお声です。
画面に表示されているのは、文字だけです。
けれど、その文章の向こうには、
一人で涙を流している方がいる。
何度も相談画面を開いては閉じ、依頼しようか迷っている方がいる。
誰にも言えない悩みを抱えながら、
「ここなら何か分かるかもしれない」
という思いで文章を書いてくださっている方がいる。
そのことを、強く実感するようになりました。
そして私の中で、
考え方が変わりました。
それまでは、
「来てくださった方を丁寧に視ることができれば、それでいい」
と思っていました。
けれど、
必要としてくださっている方に、もっときちんと自分の鑑定を届けたい。
そう思うようになったのです。
対面では出会えない方にも、インターネットだからこそつながれる。
それが、私がココナラで本格的に活動していく大きな転機となりました。
■ありがたいことに、多くのご縁をいただくようになりました
そこからも、一件一件のご相談と向き合いながら活動を続けてまいりました。
ありがたいことに現在では、月によっては200件を超える鑑定をご依頼いただくことも多々ございます。
また、ココナラのテキスト占い分野において、全ジャンル総合で1位をいただいたことも何度もございます。
もちろん、ランキングや件数は日々変わるものです。
ですから私は、
何件鑑定したから偉い。
1位になったから特別。
そのようには考えておりません。
ですが、多くの方のお悩みに触れさせていただいたからこそ、強く感じていることがあります。
同じ「恋愛」というお悩みでも、苦しんでいる理由は一人ひとり違います。
同じ「仕事がつらい」という言葉でも、その背景にあるものは違います。
同じ「子どもの将来が心配」というお気持ちでも、必要な答えは一人ひとり違います。
だからこそ私は今も、
決まった答えを当てはめるのではなく、
目の前の相談者様を、一人の人として丁寧に視ること
を何より大切にしております。
そして、順位や数字よりも嬉しいのは、
「相談してよかったです」
「何度も占いを受けてきたけれど、初めて腑に落ちました」
「今まで分からなかったことが、ようやくつながりました」
「以前より、自分の気持ちを整理して考えられるようになりました」
そうしたお言葉をいただけることです。
一つひとつのご縁が積み重なり、今の霊能鑑定師・パトラがあります。
■あなたに合う鑑定をお選びください
ここまで私自身についてお読みいただき、本当にありがとうございます。
現在ココナラでは、お悩みに合わせていくつかの鑑定をご用意しております。
「自分にはどの鑑定が合うのだろう」
と迷われる方は、今のお悩みに一番近いものからお選びください。
▪️霊視鑑定
何度も占いを受けてきたけれど、不安が消えない。
鑑定では良いことを言われても、なかなか現状が動かなかった。
そんな占いジプシーの状態から抜け出したい方へ。
未来や結果だけではなく、今の状況が続いている背景や、潜在意識・無意識に働いている反応まで読み解き、
「なぜ今の状態から抜け出せずにいるのか」
を整理していく鑑定です。
▪️仕事鑑定
今の仕事を続けるべきか迷っている。
転職・独立・職場の人間関係・評価・収入など、仕事について行き詰まりを感じている方へ。
現在の仕事の流れだけではなく、今の状況を生み出している背景まで読み解き、
どこで流れが止まっているのか、これからどの方向へ進むと良いのか
を具体的にお伝えいたします。
▪️彼の本音鑑定
連絡が減った。
距離を置かれている。
彼が何を考えているのか分からない。
そんな恋愛のお悩みを抱えている方へ。
表面的な態度だけでは分からない、
お相手様の本音・現在のお気持ち・潜在意識
を読み解き、なぜ今そのような態度を取っているのか、今後どのように向き合うと良いのかまでお伝えします。
▪️ツインレイ鑑定
強く惹かれるのに、なぜかうまくいかない。
離れていても忘れられない。
この出会いに、どうしても特別な意味を感じる。
そんな方へ。
単に「ツインレイかどうか」だけではなく、
お二人の魂のつながり・出会った意味・現在の課題・今の距離や停滞が生まれている理由
まで丁寧に読み解いていきます。
▪️子供の未来鑑定
学校・勉強・進路・友人関係・将来について、お子様のことが心配。
本人が何を考えているのか分からず、どのように接すれば良いのか迷っている方へ。
お子様の性格・現在のお気持ち・潜在意識・今つまずいている背景を読み解き、
これからどのような力を伸ばしていけるのか、親御様はどのように関わると良いのか
までお伝えいたします。
■最後に
ここまで長い文章を読んでくださり、本当にありがとうございました。
子どもの頃、
私は自分の感覚を怖がり、一度はそこから逃げようとしました。
ですが今振り返ると、
高千穂での体験も。
友人との出来事も。
自分の感覚へ蓋をしていた時間も。
もう一度、自分自身と向き合ったことも。
すべてが今につながっていたのだと思います。
あの頃、
「なくなってしまえばいい」
と思っていた感覚が、
今では、誰かが自分の人生をもう一度見つめ直すために使えるものになりました。
だからこそ私は、
ご縁をいただいた一件一件を、これからも軽く扱うことはありません。
もし今、
何を信じればいいのか分からない。
誰に相談しても答えが見つからなかった。
何度考えても、同じところへ戻ってしまう。
そんなお気持ちを抱えているのであれば、
この場所が、ご自身の人生をもう一度整理するきっかけになれば嬉しく思います。
そして、
私がなぜ「視えた結果」をお伝えするだけではなく、その奥にあるものまで大切にしているのか。
現在の私の鑑定に対する考え方については、こちらの記事で詳しくお話ししております。
■私の鑑定が「視るだけ」で終わらない理由
「パトラの鑑定は、普通の霊視鑑定と何が違うのだろう」
そう感じられた方は、ぜひこちらも合わせてお読みいただければと思います。
ご縁をいただいた際には、
霊能鑑定師・パトラとして、
一つひとつのご相談に誠実に向き合い、心を込めて拝見させていただきます。