写真に対する価値観の変化

写真に対する価値観の変化

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シャッターを切る。その瞬間に鳴る小さな音は、昔も今も変わりません。しかし、その音が意味するものは、銀塩写真とデジタル写真とで劇的に変化しました。かつてその音は「記録の始まり」を告げる合図でしたが、今は「結果の完了」を示すシグナルなのです。

「待つ時間」が育んだ一枚の重み
フィルムカメラの時代、写真はシャッターを押してすぐに完成するものではありませんでした。24枚、あるいは36枚という限られたフィルムを使い切り、DPEショップと呼ばれる写真屋のカウンターに預け、数日から数週間後にようやくプリントされた写真とご対面、この「タイムラグ」こそが、銀塩写真の最大の特長とも言えます。
現像から上がってきた紙袋を受け取り、中身を引き出す時のあの高揚感。ピントが甘かったり、暗すぎたりする失敗作も混ざる中で、思いがけず美しく撮れていた一枚を見つけた時の喜びはひとしおだったはずです。失敗が許されないし、結果もすぐには分からない。だからこそ、人々はファインダーを覗き込み、光を読み、息を止めてシャッターを切ったわけです。「一枚にかける真剣さ」や「一期一会の緊張感」が、そこには確かに存在していました。

「即時性」がもたらした写真の消費
対して現代のデジタルカメラやスマートフォンは、撮影したその0.1秒後には液晶モニターで結果を確認できます。気に入らなければその場で削除し、何度でも撮り直すことが可能です。この圧倒的なスピードと手軽さは、私たちの写真に対する意識を根底から覆しました。

写真は「現像を待つ特別な記録」から、「日常を瞬時に切り取るコミュニケーションツール」へと変貌しました。食事の前に、あるいは美しい風景の前で、私たちは無意識に何枚ものシャッターを切ります。そこにあるのは、失敗を恐れない気楽さと引き換えに生まれた、写真一枚あたりの「軽さ」です。完璧な一枚を求めて加工を施し、すぐにSNSで共有して消費していくスタイルは、銀塩時代の「残す」という目的とは大きく異なります。私たちは「記録する」ことよりも、「表現し、共有する」ことへ重きを置くようになったわけです。

不完全な記憶を愛せるか
デジタルによる即時性は、間違いなく私たちから「待つ時間」を奪いました。しかし、近年になって若者を中心にフィルムカメラや「写ルンです」が再流行している現象は、現代人がどこかでその「不便さ」や「遅さ」を求めていることの証拠なのかもしれません

すぐに見られないからこそ、現像を待つ間に記憶の中で風景が熟成され、プリントアウトされた時の不完全なブレやノイズさえも愛おしい思い出に変わります。写真の出来上がりのスピードが極限まで速くなり、誰もが完璧な写真を瞬時に手に入れられるようになった今だからこそ、シャッターを切る重みと、一枚の写真が持つ「時間という魔法」の価値を、私たちはもう一度見つめ直す時期に来ているのかもしれません。
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