神は立派な行いを求めてない

神は立派な行いを求めてない

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コラム
天国に行くために、立派な行いをして、神に認めてもらわなきゃいけないんだと思っている人がいるかもしれませんが、それは間違いです。
もちろん、立派な行いができる人はすればいいと思うし、それ自体はすごく良いことだと思います。ただ、それを他人に強要するのは違うし、立派な行いをしたくてもできない人もいます。たとえば乞食とかですね。
イエスのたとえ話の中に、ラザロという乞食が出てきます、このラザロという人物は、実際にイエスと関りを持った人物で、イエスに蘇生してもらった人物です。ラザロが実際に乞食だったのかどうかはわかりません、ただ、イエスのたとえ話の中では、乞食として出てきます。ラザロは、金持ちの邸宅の玄関から出てくる残飯をあさって生きてました。金持ちはそれを知ってましたが、ラザロが残飯をあさるままにしておきました。さて、時がたち、ラザロも金持ちも、この世から去る時が来ました。
ラザロは天国で目覚め、金持ちは地獄で目覚めました。
金持ちのいる場所から、次元の壁を越えて、天国にいる神と、共にいるラザロが見えました。金持ちは地獄の火の中で、激しい、喉の渇きを神に訴えます。
地獄では、肉体はありませんが、魂によって形作られた偶像の肉体みたいなのがあって、いわゆる霊体のようなものがあるので、地上での肉体が消えて、こっちに意識が完全に移ってる状態なんですけど、それで喉の渇きっていうリアルな感覚は、あり続けるんですね。それで、水の一滴でもいいから、私に下さいと神に懇願します。「ああ、そこにラザロがいるではありませんか、彼を知っています、彼の指先に水の一滴でもつけて、私になめさせてください」と、このように言うんですが、神はこのように言います「そうしてやりたいところなんだが、私たちのいる場所と、お前のいる場所とは、行き来することが出来ないのだ」と。まあ、実際にはできるのかもしれませんが、神がそれを拒否したということなのでしょう。金持ちとしては、生前、乞食に残飯を食わせてやってたんだから、良いことをしてやってたくらいに思ってたんでしょう。だからラザロにそのような頼みごとをしたのでしょう。たぶん、ほかの金持ちだったら、乞食を、しっしっ!と追い払ってたかもしれないのに、私は慈悲深い金持ちだから、残飯をあさらせるままにしてやったのだと思ってたかもしれませんね、でも、結果は地獄行きです。もし、その金持ちが、ラザロを邸宅に招き入れて、普通の食事を振る舞っていたなら、結果は違っていたかもしれませんが、もう地獄行きになったから、手遅れです。
では、ラザロが天国に行けた理由は?彼は何も立派な行いはしてません、他人に施しをしてやることもできません、むしろ逆に施しを受ける立場です。
人間の価値基準で言えば、社会のお荷物であり、役立たずです。じゃあなぜ、そのような人間が天国に行けるのかと疑問に思うかもしれません。人間の価値観と神の価値観は違います。人間の価値観では、社会の役に立つ人間のほうが乞食よりも、よほど価値があると、そう考えるでしょうが、それは人間の物差しであって、神はそう考えてないということです。
ラザロは、神に対してへりくだり、イエスを神と認め自分に憐れみを求めた。
それだから天国に行けた、ただそれだけのことです。
この話を聞いて、あわてて、乞食に何か施しでもしてやらないと・・なんて思う必要はないんですよ、それは立派な行いを強要するような話ですからね、そもそも私もそんなことは、したことがないので、大丈夫です。「いや、それじゃあ、お前も地獄行くだろ」と思う人もいるかもしれませんね。そう、私の魂も、一度、地獄の火に晒されている。だから地獄があることは知っている。

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