偶然の死というのは存在しない

偶然の死というのは存在しない

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コラム
毎日、Yahoo!ニュースなどのニュースサイトを見ていれば、どこかで誰かが死んだというニュースを目にします。その死因は様々ですが、どんな死に方であっても、そこに偶然の死というものは存在しません。
交通事故で死亡、何らかの病気で死亡、過労で死亡、誰かに殺されて死亡、野生動物に襲われて死亡、自殺で死亡、医療ミスで死亡、溺れて死亡、地震、台風、洪水、土砂崩れなどの自然災害で死亡、飢えて死亡、色んな死因がありますが、どの一つをとっても、誰も偶然には死んでいないのです。
そのことがわかる一文をイエスの言葉から引用します。
聖書 マタイによる福音書10章29節
二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、 地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
このようにイエスが言っているように、野生の雀一匹に至るまで、そして人間の髪の毛の一本一本に至るまで、全て神様は把握しておられるのです。そしてその雀の一匹の命さえも、偶然に取られることは無く、神様の命令で死に至るということでありますから、我々人間の命も、神様の命令によって、取られることになるのです、偶然の死はありえません。
偶然という概念は悪魔が作りだしたものです。すべては必然なのです。
イエスもイエスの弟子も、くだらない死に方はしてません、劇的で意味のある死を遂げているのです、もし、偶然の死という概念があるのなら、イエスの弟子たちや、パウロなどの重要人物が、旅の途中で、病気で死んだり、航海中の船が沈んで死んだり、どうでもいい死に方をしてしまうことも考えられますが、そうはなりませんでした。しかし、一般人は、どうでもいい死に方をしてしまうのです、なぜかというと、彼らはどうでもいい生き方をしてきたので、死に方も、どうでもいい死にざまを迎えてしまうのです。
もちろん家族や友人や親しい者同士では、大きな悲しみがあるでしょうが、それは限定されたコミュニティ内での話であって、一般人からしたら、やはりどうでもいい死なのです。いちいちYahoo!ニュースで他人の死に心を痛めてはいないはずです。それが現実ですよね。違うというなら、あなたは嘘つきで、偽善者だ。もし本当に心を痛めるなら、もはや心痛で日常生活は送れないはずだからです、なので一般人の他人の死は、普通、どうでもいいと思っているのです、なぜなら自分には関係ないからです。どこかの誰かが死にました、うん、それで?それが私にいったい何の関係があるっていうんだ?という具合ですよね、もちろん私も、そのうちの一人ですから、ご安心ください。そのことで誰かを責め立てる気は毛頭ございません。
ただし、最近は、どうでもいいを通り越して、誰かの死がエンタメにすらされている現状があったりします。それはyoutubeなどの動画サイトで、過去にあった事件や事故などで、個人の死を取り上げて、面白おかしく紹介していたりするのです、これはさすがにやりすぎです。死者に鞭打つマネはよくないですよ、魂の冒涜ですよ、人間性に問題ありとされますよ。私も人のことは言えませんが、少なくとも人の死を笑うことは控えるべきだ。別に他人の死に無関心なのは、まだ許される、自分の人生で手いっぱいで、他人の死に、いちいち心を動かされている余裕はないでしょうからね。
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