キリスト教徒は死ぬ(殺される)覚悟が必要

キリスト教徒は死ぬ(殺される)覚悟が必要

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コラム
聖書を読んでいればわかることだが、神の御加護があっても、死ぬべきときが来れば死ぬ、殺されるべき時が来れば殺される、その運命が神により定められているならば、それは避けられない。
イエスはこのように言っていた、「私の弟子になりたい者は、自分の十字架を背負って付いてきなさい」これは文字通り、自分の命をも捨てる覚悟を持つ者だけが弟子になれるということである。だから、命根性きたなく逃げ回り、うまく立ち回り生き延びようとする者は、神に嫌われることになります。
この世で、いかに這いずり回り、サバイブしても、結局、人間、いつか死にますよね。今までに死ななかった人間いますか?いませんよね。つまり生きとし生けるもの全て必ず死ななければならない運命です。でも、肉体の死は別にどうでもいいのです、問題は魂の行方ですよ。
死んだ後に、神の前にひき出され、生前の生き方を問われるのですよ、そのとき全てを理解する、生まれる前から、死んだ後に至るまで、全てを神に見られていたということ、そしてその生き方、心のあり方、魂の成長を、見られていて、試されていたのだということ、それが全て、このときわかる、わからされるのだ。神の前にどんな言い訳も通用しない。そして抵抗もできない。もう、まな板の上の鯉ですよ。天国に行くか地獄に行くか、2つに1つしかない。
たかだか35度、36度の炎天下で、暑い暑い言ってますけど、これからあなたがたは地獄の火の中にぶち込まれるんですよ?火の中、入るんですよ?どう考えても熱湯風呂よりキツイですよ?しかも神の許しがあるまで、そこから出られない、魂が浄化されるまで何十年、何百年、何千年でも入っていなきゃいけないわけです・・・考えただけでも気を失いそうです。そんな目にあいたくないから、私は禁欲的に生きてきました。
死ぬのは別にいい、もともとこの世界は悪魔の支配する世界だ、気持ち悪い思考と概念と理論が、まかり通る世界だ。そんな世界にいつまでも留まる方が地獄でしょうが。ただし、どう生きてきたか、何を考えて生きてきたか、言動も心の深みも、全て、はかられている。だから言い訳はできない。覚悟はできてますか?神の前にひき出されたその時に、あなたはどう自分の生き方を説明しますか?
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