それは人にできることではないが、神なら何でもできる

それは人にできることではないが、神なら何でもできる

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コラム
イエスが、真理を教えるため弟子を従えて各地を方々歩き回っているとき、噂を聞きつけた、ある金持ちの青年(または地方議員)が、イエスにこうたずねた、「先生!天の国に行くためには、どうしたらよいでしょうか!」
イエス「モーセの律法に書いてある通りだ、殺すな、盗むな、父母を敬え、偶像崇拝するな、偽証するな・・」
「そういうことは全て守ってきました、他に何かないですか!?」
イエス「・・もし、完璧になりたいのであれば、あなたの持っている財産をすべて売り払って、貧しい人たちに施しをしなさい」
「・・・・・・・・・・・」
この青年(または地方議員)は、うつむきながら(泣きながら?)無言でイエスのもとを去っていった。彼は多くの財産を持っていたからである。
イエスの弟子たちは、「彼は地元の人たちにも慕われている人望ある青年だ、そんな彼でさえ、天国に行けないとしたら、いったい誰が天国に行けるっていうんですか?」と聞いたところ、イエスは「それは人にできることではないが、神なら何でもできる」と答えたのです。

で、この意味を解説していきたいんですが、この青年(または議員)は、別に性格的には普通の人より良い人だったと思うんですよ。たぶん、自分のできる範囲で貧しい人に施しも、してたかもしれません。でも、自分の財産を全て売り払ってまで施しをするなんて、できるわけがないでしょ、とこう思ったんでしょうね、彼だけでなく、イエスの弟子ですら、そう思った。
彼がどのようにして財産を蓄えたのか、それはわからない。一生懸命に働いて財を築いたのか、あるいは親や親族の遺産を引き継いだのか、それもわからない、ただ一つ言えることは、その多くの財産に執着していたからこそ、イエスの言うことより、自分の財産を守るという選択をしたわけです。
彼は、神を目の前にしても、その言うことを聞かなかったのです。
つまり、神よりも自分の財産を愛した、神よりも自分の財産が大事だった、という結論に達せざるを得ません。
でも、これが普通の人間なんですよ。だから人にできることではない、と言ったわけですね。では、神ならなんでもできる、とはどういうことか。
もし青年が素直に「わかりました、では今すぐ財産をすべて売り払って貧しい人に施しをしようと思います!」と言ったならば、もうそれは人じゃなくて神なのです。神の霊が宿ったものは、神と同等と考えてよいのです。
神ならば、人の世に縛られることも、人の常識にとらわれることも、ない。
今までに苦労して蓄えた財産を、躊躇なく売り払い、すべて貧しい人のために使う、それは普通の人間にはできない。でも、神の霊が入ったなら、普通の人間の考えにとらわれないから、できる。ということです。

霊的に生まれ変わる、というのは、こういうことなんですね。
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