自分は能力をどう使っているか? ~本物の真っ暗闇の中で気づいたこと~

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コラム
先日、視覚が全くきかない暗闇で白杖を手に行動するという体験をしました。ダイアローグ・イン・ザ・ダークという体験施設で、視覚障がい者の方のアテンドにより、安全がしっかり確保されています。

期待と不安が入り混じる中、数名の体験者とともに、本当に何も見えない中を一歩一歩慎重に歩き始めます。白杖や周りの音を頼りに歩いたり、グループワークをしたり、アテンドのニノさん(日本語が超絶堪能なネパール人の方でした)の家にお邪魔したり、お茶屋さんでお茶を飲んだり、色々な体験をしました。全部真っ暗闇の中で、目は開いていても全く見えない状態です。今までにない感覚です。

最初は戸惑いしかなかったのですが、次第に白杖の扱いに慣れ、様々に聞こえてくる音の方向やうごめく場の空気のようなものを感じながら動けるようになってきて、不安はなくなってきました。その時に強烈に感じたのは、「誰かがいてくれるから自分がどこにいるかが分かる」ということでした。 

「誰かがいてくれるから」
言葉で書くとそうなのですが、目が見えない中でのこのような感じは初めての経験で、ある意味衝撃でした。誰かがいてくれないと自分が今どうなってるのか分からないのです。だから、体験者同士で声をかけあったり、自分の状態を知らせたり、誰かのからだに触れたりして、確かめます。それはとても思いやりと関心、そして受容に満ちた世界でした。

このことを考えると、目が見えている時の自分の行動とは全く違うことに気付きます。道を歩いていても声はかけ合いませんし、自分の状態を知らせませんし、ましてや他人のからだに触れたりしません。むしろ、自分は視覚を駆使して他者との境界線を強く引こうとしているのではないか、ということに気づき、衝撃を受けました。自分は視覚という力を、「見ないこと」に費やしているのか?とすら思いました。日常、オープンマインドを心掛けているつもりの自分なのですが・・・。

あの真っ暗闇の中で自分の中に起こっていた温かい感じは、自分のどんな力を発揮して感じていたのだろう、と思います。聴覚、触覚、嗅覚、味覚・・・基本的な力を総動員して全ての感覚を大切に扱っていたことは、暗闇の中でニノさんが淹れてくれたお茶をいただいていた時の体験として強く残っています。お茶を淹れる音、手渡された器の形と温かさ、お茶のいい香り、格段に味わい深いお茶の味と口当たり、お茶がからだの中に入ってゆく感じ、忘れられない感覚でした。

私にとってはあの体験そのものが「自分の能力をどう使うか」の壮大なメタファーでした。自分自身に眠っている、知らず知らず抑圧してしまっている力があるということに気づきました。そういう力(五感に限らず)が折角あるのなら、できれば抑圧ではなく開放して、自分自身だけでなく他者との関係においても良い方向になるように使いたいものだと強く思いました。 

みなさんはご自身の能力に対してどのように認識し、どのように使っていますか?ひょっとすると、習慣化されたパターンの中だけでの使い方をしていたり、使わずに仕舞っている力があるのではないでしょうか。そのことに体験的に気づけたとしたら、意外な発見を得るとともに今までとは世界が変わるかもしれませんね!

今回は自分は能力をどう使っているか?についてお話しました。私は会社勤めとの複業でライフキャリアデザインカウンセラーとして個人や世帯の職業生活設計や資産設計のお手伝いを志しております。保持資格としては国家資格キャリアコンサルタントとAFP(日本FP協会会員)をコアスキルとして、これまでの会社生活や人生経験で学んできたことを活かして会社内や地域社会に向けた価値創造につなげてまいります。ご関心を持っていただいた方、ご相談事がある方は、どうぞお声がけください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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