Xのタイムラインを何気なくスクロールしていたらさ、ふと目に飛び込んできたよ、「移民に反対している人は低学歴が多い」っていう香ばし~いポストに、思わずスマホの画面に向かってね「だーはははっ!」と声を出して笑ってしまったよ。
いやあ、お見それいたしました!
僕もまさに「移民」に反対している側の人間ですからなあ、見事に低学歴のカテゴリーに綺麗さっぱり直球で当てはまっていたというわけでございますよ、これはもう「大正解!」と拍手喝采を送るしかないですな。
そもそも僕なんて、学歴マウントの土俵どころか、その周囲を囲むフェンスの外側をうろちょろしている高卒の身分なのだから話にならねーわけですからな。
ドラクエでたとえるなら、まだロトの洞窟のあたりで、スライムに圧倒され死闘を繰り広げて、ようやくレベル13までしか上げられていないような状態だから、偏差値に換算したら綺麗さっぱり13ってトコですな。
学生時代なんて、学校という名の同調圧力製造装置を華麗にサボってはアルバイトに精を出していた生粋のドアホウだから、テストの成績表を見れば赤点のオールスターズが仲良く手をつないで踊っているような有様で。まあ我ながらご愛嬌というほかない。
ちなみに日本政府の公式見解としては「移民」という言葉は使っていないことになっているけれど(なぜに?)、世間の実態としてまあ実質的にそういうことにしておいたほうが話が早いわけです。
この「移民」も、世の中の統計や各種の意識調査というデータが示す「傾向」を覗いてみると、これがまたなかなかに興味深い現実を映し出しているらしく。
国内外の社会学的研究などを見渡してみても、学歴が高い層や所得に余裕のある富裕層ほど、「移民の受け入れ」に対してポジティブで、比較的寛容な回答をする傾向がはっきりとデータとして表れている。
ありがたいことに、そのあたりの統計データやグラフを親切に画像付きで引用して解説してくれている投稿もありました。
ふむ、ふむ。
高学歴層や専門職に就いている人たちは、自分自身の職が外国人労働者によって奪われるという低技能労働者特有の雇用競合リスクにさらされることが少なく、むしろ安価な外国人労働力のおかげで、日々の生活を支える各種サービスのコストが低下するという経済的な恩恵をダイレクトに享受しやすい立場にある、と。
その一方で、日々の現場仕事に汗を流すブルーカラーの職種や、実体経済の最前線で働く人々にとっては、外国人労働者との直接的な雇用枠の奪い合いや、それに伴う賃金の伸び悩みといった生活に直結するダイレクトなプレッシャーを懸念せざるを得ない構造がある。
で、高学歴層であればあるほど、人生の中で海外留学や長期の海外滞在、日常的な英語でのコミュニケーション、あるいは異文化に触れ合う機会が圧倒的に多くなるため、外国人という存在に対する心理的なハードルや恐怖感が低いという背景も見えてくる。
ふむふむ、なるほど。
確かに構造としてはその通りに綺麗に綺麗に噛み合っているように見える。
が。しかしですな、データ上の大きな傾向としてこうした相関関係が存在しているという事実と、「だから移民に反対している連中は全員低学歴なのだ」「学歴の低さがすべての諸悪の根源だ」という短絡的な論調の間には、埋めがたい溝と雑すぎる論理の飛躍があるよね。
いくらなんでも「低学歴=移民反対」とひとまとめにして切り捨てるのは極端な言説の暴力であって、そこにはもっと切実な現実があるでしょうよ。
個人の学歴や経済的な余裕の有無にかかわらず、僕たちが暮らす地域社会の治安がどう維持されるのか、社会のルールが新しくやってきた人々にきちんと行き渡るのかという治安上の不安は誰しもが抱くものです。
医療費の増大とか生活保護受給のあり方とか、既存の社会保障制度への負担がこれ以上膨らむことに対する持続可能性の懸念も当然のように存在するわけで。
言語や生活習慣、宗教観の違いから生まれる、ごく身近な地域コミュニティでの摩擦や軋轢だって見逃せない問題でしょう。
どれほど頭の良い高学歴層であっても、国家のガバナンスや社会統合にかかる莫大なコスト、そして未整備な法律や制度のまま突き進むことのリスクを冷静に計算すれば、当然のように慎重論や反対論を唱える専門家や一般市民だって数え切れないほど存在するわけで、「高学歴だから無条件で絶対賛成」という単純な図式なんてどこにも成り立たないと思うのですが…?
まあ、SNSの海で万バズを狙うインプ稼ぎの人たちにしてみれば、そんな複雑な背景を無視して分かりやすい対立構造を作ったほうが効率が良いから、分かっていてわざと極論をぶち上げているのだろうけど!
少し前にさ「Skillsの定義って、ちょっと広すぎやしませんかね?」というような投稿をしたことがあるけど、覚えてる?
スキルの時と変わんねえ⋯(笑)
まあ、意見の異なるグループ同士がネット上で殴り合うときってさ、決まって互いが「あいつらは低学歴の世間知らずだ」「いやあいつらは現実を見ないお花畑の高学歴だ」といった極端なラベルをペタペタと貼り合って相手を全否定しようとするわね。
相手の胸の内に巣食う正当な懸念や不安の根っこを真正面から受け止めようともせず、ただ相手の属性という安易なレッテルだけで論理そのものを無効化しようとするその不毛なゲームには、いい加減うんざりさせられる(ことが多い)。
学歴や所得の高さによって移民受け入れに対するスタンスに一定の傾向があるという事実そのものは否定しないにしても、「反対しているやつは全員低学歴の愚か者だ」とひと括りにしてしまうのは、治安、社会保障、雇用環境、地域社会の維持といった、多くの一般庶民が肌身で感じているリアルな恐怖や懸念をすべてきれいにそぎ落としてしまう危険な暴挙でしかない。
ここで一度立ち止まってだ、XなどのSNSで毎日のように繰り広げられている「移民賛成・反対」の終わらない不毛な?大論争を眺めてみてると、
そもそも議論に参加している人々が、頭の中でそれぞれ思い描いている「移民」という言葉の解釈や定義が、国籍も人種も「個」のレベルもあまりにバラバラすぎて、まったく噛み合っていないことが不毛な対立を生み出している最大の元凶ではないかと思えてくるのです。
なので。少し頭の中で整理しようよ。いくつかのパターンに大雑把に分けてみるのも悪くないであろう?
たとえばさ、現実の日本で急増している中国、韓国、ベトナム、ネパールといった特定のアジア・近隣国出身の技能実習生や特定技能、留学生などを思い浮かべる層がいるよね。
彼らが引き起こす治安やマナーに関するトラブル、地域コミュニティでの生活摩擦、さらには安全保障上の懸念と結びつけてこの問題を語る人たちね。
一方で、ニュースや欧州の現状から影響を受けて、クルド人問題や中東・アフリカ系難民といった欧州モデルを頭に思い浮かべる層もいる。
川口市などで取り沙汰される事例や、フランス、ドイツ、イギリスといった西欧諸国で起きた大規模な暴動や治安悪化のニュース映像が脳裏に焼き付いてるね?
文化や宗教の埋めがたきギャップや、難民申請制度の隙を突いた悪用に対して強い警戒心を抱くケースよな。
で。賛成派や高学歴層が心地よくイメージしがちな、アメリカや欧州出身者、あるいはインドなどに代表される優秀なIT高度人材といった、自国の経済成長にダイレクトに利益をもたらしてくれるエリート層を想定している場合もある。
これなら反対派からも表立って批判されにくいと思うが、そもそも日本という国が彼らに選ばれるのかという別のハードルが存在する気がするけどね。
さらに踏み込んで、「個」のレベル、つまりどういう属性や目的で日本という土地を踏むのかという切り口で解体していくと、認識のズレはさらに複雑な迷宮に入り込むのよ。
日本の法律やルールを平気で無視する不法滞在者や、過激な政治的運動に走る者、難民制度の抜け穴を悪用する一部の過激な個人を指して「こういう連中は絶対にお断りだ」と怒っているケースがひとつ。
次に、日々の低賃金で過酷な現場を支える出稼ぎ・単純労働者としての側面で、日本の賃金水準全体を押し下げたり、社会保険料の乗り逃げを企むのではないかと懸念の対象になっている層。
そして単なる一過性の労働力ではなく、永住権を取得して日本に自分の家族を呼び寄せて、一人の生活者として地域社会の住民のなかに根を張ろうとする人々であり、彼らにどう日本語や日本の生活習慣を教育し社会統合していくかが大きな課題になる層。
最後が、多額の税金を納め、日本の停滞した産業構造をアップデートしてくれるような圧倒的に優秀な実務家やビジネスパーソンたち。
これらを掛け合わせるだけでも膨大なマトリックスができてしまう。
一口に「移民」という二文字で片付けようとするから、議論のレイヤーが完全にバラバラのまま空中戦を続けることになってしまうのだ。
反対派が恐れているのは、欧州のような深刻な文化摩擦や、ルールを一切守らない一部の不法滞在者が増えることの恐怖であり、安易な低賃金労働者の流入がもたらす賃金破壊への警戒心である、と。
それに対して、賛成派が期待しているのは、深刻な人手不足にあえぐ現場を回すための労働力の確保であり、高度人材を迎え入れなければ日本の国際競争力が完全に地に落ちるという焦燥感である…。
お互いが「最悪のケースとしての欧州の暴動や違法滞在者の影」と「理想のケースとしての有能で真面目な納税者」という全く別の幻想を頭のなかに投影しながら議論しているものだから、「低学歴だから視野が狭いんだ」「おめでたい理想論を語るな」という低次元のレッテル貼りに終始してしまう。
そんなことは外野から見れば的外れに見えるかもしれないが、まあそれぞれの立場で勝手に独り言を叫んでいるうちは平和とも言える。
「移民」というあまりにも抽象的で巨大すぎる言葉を一度徹底的に解体して、
「一体どの法律のどの制度を使って、どのようなスキルと背景を持った人間を、どういう厳格な条件と期限で受け入れるのか」
という、具体的な「個と制度」の実務のレベルにまで話を落とし込まない限り、SNSの海で繰り広げられる議論は永久に噛み合うはずもなく…。
もっとも、SNSで発信している人たちの多くは真面目な政策論争なんて求めていなくて、単にインプレッションを稼いで承認欲求を満たしたいだけなのだろうから、他人の思惑に首を突っ込んでも仕方がないのだけれど!
アメリカの大統領選挙や議会で繰り広げられる、あのような徹底的でアグレッシブな「論争・バトルスタイル」みたいな「リアルタイム見える化」機能を X に導入してくれないかなあ…
じゃあ、次。話の舵を大きく切って、明後日の方向に飛ぶな。
少し前にね X のタイムラインをふらふらと漂っていたときに見かけた、もうひとつの香ばしいバズワードについても触れておきたいのだよ。
それはな、「最大のリスクはリスクを取らないことである」という、フレーズなんだけどさ。
うん、理屈としては分かるし、言わんとしている方向性も理解できなくはないのだけれど……
どうにもこうにも、読んだ瞬間にだな、心の奥底からじっとりと嫌なモヤモヤが湧き上がってくるのを止まらないのだよ。
その言葉の裏ってさ、「常にリスクを冒して果敢に挑戦し続けている人間こそが正義であり、現状維持に甘んじている人間は愚かだ」という、なんとも息苦しいまでの押し付けがましさと、独特の選民思想めいた強いニュアンスがぷんぷんと匂い立ってくるんですけど!?
少し冷静になって考えてみたいのだけれど、そもそも世の中のビジネスパーソンたちが軽口のように口にする「リスク」という言葉って、一体具体的に何を指してんの?
言葉の定義や、受ける印象、頭の中に広がるイメージは人によって全く違うじゃん。
個人的な感覚で言えば、「リスクを取れ」と言われるたびに、なぜか脳内ではそれが「全財産を賭けたスリリングなギャンブルに身を投じろ」という命令のように聞こえてしまって仕方のないのだが⋯、これは僕のひねくれた性格のせいなのだろうか?
もちろん、会社経営やビジネスの現場それ自体が、ある種のギャンブル的側面を帯びていることは否定しないけれど。
だってそうだろう、「リスクを取れ」と声高に叫ぶ人たちは、あたかも目の前にはあらかじめ結果が保証された正解のルートが存在していて、あとはそこを駆け抜ける際にかかる心理的な恐怖や一時的な失敗の痛みを「コスト」として支払うだけで確実に果実が手に入るとでも言いたげな語り口をする。
「リスク」って、「不確実性」じゃないの?
僕たちが日々直面している現実世界のほとんどは、綺麗な計算式で片付くようなものじゃなく、明日何が起きるかまったく見えない深い霧に包まれた「単なる不確実性」の塊ではないのかい?
きちんとした「リスク」であれば、過去のデータから発生確率を厳密に計算し、損失が出たときの「損切りライン」をあらかじめ設定したり、保険をかけてダメージを最小限に抑えたりすることが可能だよね。
まあ、僕らが向き合っている不確実性⋯たとえば目まぐるしく変わる時代の うねり とか、突如として現実社会をひっくり返すAIの進化とか、あるいは明日どうなるか知れない国内外の政治・経済情勢などは、変数が多すぎて誰にも正確な予測など立てようがないさ。
だからこそ、だよ。上で言った「最大のリスクはリスクを取らないことだ」というスローガンを聞いたときに、どうしようもないモヤモヤ感が胸に残るのだよ。
だってそれは、霧が一片も晴れていない真っ暗闇の中で、「いいから目隠しをしたまま全力で前に走り出せ!」と言われているようなものであって、そこにあるのは勇気でも何でもなく、ただの無謀な博打(ばくち)に身を委ねる自殺行為にしか感じられないのだよ!
まあ⋯「リスクを取る」という言葉があまりにもフワッとした空気感のまま便利に使われすぎているせいで、どこか胡散臭さが漂うのも当然の帰結だけどさ。
そもそも、僕たちが日常で直面するリスクの正体は一体いくつに分解できるんだろうね?
ざっと思いつくだけでも、
自分の限られた命の時間を削る「時間(機会費用)のリスク」、
手元にある資金や事業の継続性を左右する「資本(お金・リソース)のリスク」、
世間に対する自分の面目や評判を賭ける「プライド・信用(対人関係)のリスク」、
常に先の見えない不安を抱え続ける「認知リソース(脳の帯域・精神力)のリスク」、
そして使い慣れた快適な環境を手放す「現状の安定(コンフォートゾーン)のリスク」
⋯あとは何だ?、挙げ出せばきりがないわな。
じゃあ少しだけ⋯解剖してみよう。
まず「時間(機会費用)」のリスクってのは、文字通り自分の貴重な命の時間と、もし別の道を選んでいれば得られたはずの無限の選択肢を差し出す代償だ。
成果が出るかどうか五分五分のプロジェクトや難解な勉強に、自分の人生の半年や1年という貴重な期間をフルスイングで突っ込むとき、「この1時間を別のことに使っていればもっと確実に稼げたかもしれない」という見えない損失を受け入れる覚悟が求められる。
次に。「資本(お金・リソース)」のリスクというのは、文字通り自分の銀行口座の残高やビジネスの信用を削る行為であり、返ってくる保証のどこにもない開発費や設備投資、広告費を前払いでドブに捨てる覚悟で財布の紐を緩めること。
さらに厄介なのが「プライド・信用(対人関係)」のリスクで、これは自分の面目や周囲からの評価っていう、人間にとって最も守りたいプライベートな領域を公の晒し台に上げる作業に他ならないわけね。
新しいプロダクトを作って世間に「これどうですか!」と差し出すとき、冷淡に無視されたり、SNSで嘲笑されたり、盛大に滑ってダサいレッテルを貼られたりするかもしれないという恥ずかしさを自ら引き受けなければならないし。
あとは「認知リソース(脳の帯域・精神力)」のリスク。先が見えない宙ぶらりんなストレスを慢性的に抱え込んだまま日々の雑務をこなす精神的な負荷であり、まるで時限爆弾をポケットに入れたまま満員電車に揺られているような不快感をやり過ごす耐性が求められるもの。
最後?「現状の安定(コンフォートゾーン)」のリスクは、長年の経験で手垢のついた使い慣れたやり方を捨てて、不慣れな新しいツールや手法を無理やり現場に導入して、すべてが自分の責任として跳ね返ってくるプレッシャーに耐えること。
ねえ、どの「リスク」取るの?
ひとつ?ふたつ?全部?もっと?
SNSで見かける「とにかくリスクを取れ!」という威勢の良い言葉みてるとさ、その大半は「理由もなく全財産(とまでは言わないけど)を突っ込め」といった無謀な投資とか、「明日会社をすべて投げ出して路頭に迷え」といった極端な暴走を美化していることが多くて、ますます胡散臭さの極みを感じてしまうのである。(はい、偏見です)
SNSにいる人がターゲットだから⋯、まあ何となく⋯わかる、けど。
ただ、現実主義のプレイヤーたちが実践している「筋の良いリスク」というのは、決して無謀な飛び込みではなくて、
最悪の場合にすべてが全滅したとしても、自分の身体や生活の根幹が破産したり死んだりすることのない安全な範囲内で、時間とプライドと小さな慣れを少しだけ差し出して、市場からのフィードバックという名の切符を買いに行くこと
の積み重ねにほかならない気がするよ?
「死なない程度の安いチケット代を払って、不確実なガチャを1回だけ落ち着いて回してみる」という現実的な初期ステップを踏むことに尽きるんじゃないかな。
はじめの一歩!漫画じゃねーからな?
(いやカイジの方が良かったか⋯。ま、いいや⋯)
物語の世界の主人公じゃないんだから、最初から大金を張って大勝負に出る必要なんてどこにもないし。
それにさあ、そんな大勝負、大博打みんな毎回打ってんの?
忙しいねえ…称賛に値するよ、本当。
まあ、SNSじゃなくてリアルの世界でも、「リスクを取る!」と威勢よく宣言する人たちっているのね、
「それ計算した?」ってツッコミ入れたくなるとき、あるよ。
「ちょっと待て〜、それ本当に計算しました?えーと、ただのロシアンルーレットの片道切符ではありません?」とツッコミを入れたくなる衝動に駆られる。
なんかさあ、いつの間にか「リスクを取るという行為」が、「何も深く考えずに勢いと根性だけで未開の荒野に飛び込むこと」という美談にすり替わっているってのが、現代のビジネス言説におけるタチの悪いところじゃない?(偏見です。2回目。)
長年、泥水をすすりながら…とまでは言わないけどさあ、
生き残ってきたプロの経営者やシニアプレイヤーたちが水面下でやっている「リスクの計算」って、気合や根性といった精神論の欠片もなく、数学的な…算数の世界じゃないの⋯かもしれないけど。
まあ、まずは、「自分にとっての最悪の死に方」がどこにあるかを計算して、ダウンサイドを徹底的に限定することから始めるよね。
事業や挑戦において、「ここまで負けたら会社が即死する、再起不能になる」という致命傷のラインがどこにあるのかを最初に見極めて、そこを決して超えないセーフティネットの範囲内に損失を収められるのであれば、いくらでも小さな試行錯誤を繰り返していいわけだよね。
逆に、その致命傷のラインすら把握せずに「男は黙って全財産をオールインだ!」と息巻いているのは、リスク管理でも何でもなく、単なる怠慢な博打打ちの所作でしかない。
次に、リスクとリターンの非対称性、いわゆるアシンメトリーが綺麗に設計されているかの計算。
負けたときに失うコストは極限まで小さく抑えられている一方で、運や実力が噛み合って勝ったときのリターンは何倍にも跳ね上がる構造になっているかどうかが勝負の分かれ目になる。
要するに、「何度でも少額のコインでガチャを回し続けられる設計になっているか」を確認する作業で、これをすっ飛ばして1回コケたら二度と這い上がれない大勝負を打つのは、愚の骨頂。
で、「撤退ライン」の計算も欠かせないよね。物事が思い通りに進まなくなったとき、「ここまでやってダメなら、未練を断ち切って綺麗に撤退する」という損切りのトリガーを、始める前の最も冷静な頭で事前に設定しているかどうかが命取りになる。
人間という生き物はね、いざ大金を投じて失敗しそうになると、「もう少しだけ粘れば流れが変わるはずだ」っていう認知の歪みやサンクコスト効果に囚われちまって、泥沼の底へと沈みがちになるからこそ! 最初に冷徹な撤退の数式を組んでおけるかがプレイヤーとしての寿命を左右する。
結局ね、何の計算もしていないリスクテイキングは、ただの運試しや身投げと何ら変わらないわけよ。
きちんと事前の数字を弾いて、最悪のシナリオが目の前で現実化したときのダメージまで想定した 「上」 で、それでもなお期待値がプラス側に転じているからこそ、周囲の雑音や批判に微動だにせず淡々とチケットを買い続けることができる。
事実として、手元のファクトからどう緻密なロジックを組み立て、どのような数式を導き出すのか。
そこに都合の良い願望という名のゲタを履かせていないか、徹底的にストレステストをかけて、デビルズアドボケイトの視点で自分の思考をボコボコに疑って、脳が焼き切れるほどのシミュレーションをやり抜いたか。
そこまでのプロセスを血眼になってやり遂げたヤツだけが、勝負所で静かにカードを切ることができると思いますぞ?
「リスクを取る」という言葉の裏側でプロが淡々とこなしている作業は、綺麗事や精神論の入る余地など一切ない、作業そのものだと思うんだけどなあ。
世間の言説にあるような、勢いだけで飛び込む軽さと、現実のビジネスやシステム設計の現場にあるこの途方もない落差があまりにも激しすぎてさ、思わず白目を剥きそうになるわ。
ファクトから幻想を完全に排除して、因果関係の数式を厳密に組み立てて、最悪の条件をわざわざ設定した上でシステムが耐えられるかをストレステストして、
自分自身の思考の甘さを徹底的に自己論破して追い込んで、その果てにあるのは⋯、
「これだけ考え抜いて、最悪のシナリオすらも許容範囲内に収まっているなら、あとは淡々とボタンを押すだけだ」という静かな境地⋯
なんていうかなあ、本当に勝負所でリスクを取れる人間というのは、「そこに至るまでの思考の総量が常軌を逸している人間」のことにほかならない気がしてる。
十分すぎるほどのファクトを集めて、精緻な数式を組み上げて、最悪のシミュレーションを潜り抜けて、自分自身を徹底的に論破し尽くした末に、「ここが限界値だ」と納得できる状態を作る。
その事前の知的労働をすべてすっ飛ばして、「さあ、皆で手をつないでリスクを取って飛び込もうぜ!」と言われても、「いやいや、お前がやっているのは単なる目隠しダイブだろうが!」と思っちまうわ。
なのでな、「リスクを取る」っていう行為は、根性論でも精神論でもなく、明確な目的と構造を持った交換取引にほかならない。
他人が威勢よく「リスクを取れ!」と叫ぶときは、そのほとんどは言葉のパッケージだけで中身の構造化が綺麗に抜け落ちてんじゃないのかなあ..
リスクテイクを成立させるためには、事前にいくつかの必須変数が組み合わさっていなければならないと思うのよ。
簡易版だけどね。
まず「何のために(目的)」という期待値の定義であり、単なる精神的な成長というふわっとしたお題目のためではなく、「この市場で確実にこのポジションを獲得する」という狙うべき果実の明確化が必要でしょ。
次に「何に対して(標的)」という、自分がコントロールできないどの不確実な変数に身を晒しているのかの特定する。
で。「何を差し出し(代償)」という、時間や資金やプライドのどれを切り捨てる覚悟があるかを決める。
さらに、です。「どこまで耐え(限界)」という、最悪の死線をどこに引くかの数値化をやるわけ。
で。最後に「どう逃げるか(出口)」という、仮説が外れたときにどう綺麗に撤退して次の打席に立つかという退路の設計図。
この構造化が一切なされていない状態で「リスクを取る」と叫ぶのは、行き先も燃料の残量も計算せずに目隠しで高速道路の追い越し車線をアクセル全開で爆走するようなもん。
それは勇敢でも何でもなく、単なる無計画な暴走でしかない。
ビジネスでもシステムの設計でも、この基本の数式がカチッと噛み合ったときに、「よし、ここは計算通りのリスクを張る価値がある」という決断を下すことができる。
なので。僕の違和感の正体って、「で、お前のその威勢の良い決断、肝心の変数や構造はどう定義されてんだよ?」っていうシンプルなツッコミ程度のもの。
とまあ、大した実績もない一介のオッサンがここまで勝手にグダグダと独り言を垂れ流してきたわけだけれど、先ほど挙げたような簡易のチェックリストを、日々の頭の中のフレームワーク代わりにちょこちょこ使っているわけですよ。
世の中がクラウドや最先端のクラウドAIツールへと華麗に移行していくなかで、時代遅れのオッサンである僕はねえ…
未だに手元の Thinkpad でエクセルを叩き、SPSSの統計ソフトをこねくり回してシミュレーションに没頭しているという 時代遅れの昭和男児なのだよ!(だーはははっ!)
さーて。ここで前半に放り投げたまま放置していた、「話」を回収してみようかね。
さっき散々語った、ビジネスや挑戦における「リスクを取るための5つの必須変数」。すなわち、
「何のために(目的)」×「何に対して(標的)」×「何を差し出し(代償)」×「どこまで耐え(限界)」×「どう逃げるか(出口)」
という簡易な構造式を、そのまま国家レベルの「移民政策」という巨大な変数にガチャンと当てはめてみると⋯
世間のSNSのタイムラインを眺めているとさ、賛成派は「人手不足だからとにかく入れろ」と叫び、反対派は「治安が乱れるから一切入れるな」と。
が、しかし!
この不毛な殴り合いを先ほどの5つの変数というレントゲン写真で透かして見ると、彼らが議論しているつもりの土俵が、いかに骨組みの抜けたハリボテであるかが一発で透けて見えてくるのだよ!っていうのは言い過ぎか(笑)
たとえばさ、最初の変数である「何のために(目的)」という期待値の設計ね。これが「単にコンビニのレジが回らないから」という目先の現場の都合なのか、「国家の長期的な産業構造をアップデートするため」というマクロな生存戦略なのかによって、張るべきリスクの性質は根本から変わるはずだよね。
それなのに目的が曖昧なまま、ただ「労働力が足りない」というお題目だけでアクセルを踏むのは、行き先も決めずに霧の中の高速道路に飛び乗るようなもの。
じゃあ次の「何に対して(標的)」という変数もそう。一言で「外国人労働者」と言っても、それがどの国の、どの文化的背景を持ち、どのスキル層のインフラに依存する集団なのかを特定せず、ただの「統計上の数字の穴埋め」として扱っているのだとしたら、それは標的を狙撃せずに散弾銃を暗闇に向けてブッ放しているのと何ら変わらないわけで。
そして、最も香ばしく、かつ誰も直視したくないのが「何を差し出し(代償)」というコストの計算だよねえ?
安価な労働力という甘い果実を買い取るために~、私たちが差し出さなければならない代償は~、地域社会の小さなコミュニティの摩擦であり、言語やルールの壁であり、場合によっては治安のコストという目に見えない無形の信用だ。
賛成派はこの代償の存在を綺麗にワイプアウトし、反対派はこの代償の重さだけに怯えて思考停止している。
さらに恐ろしいのが「どこまで耐え(限界)」というデッドラインの不在。
犯罪率がどれくらい跳ね上がったら、あるいは社会保障の赤字がどのラインを超えたら、この実験は失敗だったとみなしてシステムを緊急停止させるの?
その致命傷のラインを最初から設定せずに「お友達感覚で多文化共生だ」などと謳っているのだとしたら、それはリスクテイキングではなく、ただの国家ぐるみの「ロシアンルーレット」のような気がするんですけど?
極めつけが「どう逃げるか(出口)」という撤退基準の欠如よ。一度国内に迎え入れた人々の生活や権利を考えれば、後から「やっぱり失敗でしたあ~、全員お引き取りください~」なんてリセットボタンが簡単に押せるわけがない。
いや、政府が「リセットボタン」押せるならいいよ?
その取り返しのつかない不可逆性すら計算に入れないまま、勢いだけで扉を開け放つことがどれほどスリリングな博打であるか、少しでも頭を冷やしてエクセルを叩けば一発で分かるはずなのだ。
とまあ、こんなふうに古い統計ソフトをいじりながら国家の運命を勝手にシミュレーションしてみるわけだけれど、
これを読んでいるあなたなら、この複雑怪奇な移民という方程式に一体どんな数字を放り込み、最終的にどんな損益分岐点を弾き出すだろうか?
そもそも、人間社会の摩擦や歴史のうねりという膨大な変数を、僕らのちっぽけな脳みそやエクセルのセルの中に綺麗に収められると本気で信じているのだろうか、それとも最初から考えることを放棄して、目の前の感情的な大合唱に加わっているだけのほうが楽だと気づいてしまっているのだろうか?
⋯分かってると思うけど、ここまでの5変数は、受け入れる側の設計にだけ当てはめてきた。
本来は『受け入れない』選択にも同じ問いを立てるのがフェアで、代償は何か、何を超えたら方針転換か、人手不足で現場が止まるリスクをどこまで許容するのか、になる。
僕は「差別主義・排外主義」ではないにせよ、以前からポジション・スタンス的には移民に「反対」の立場を表明している。なので片側から使っているが、使えるなら(利用価値があるなら)、アナタ方がより健全な議論にしてくれることを期待するよ。
さて。あなたは、この計算不能な不確実性の「大」海原を前にして、いったいどこまで本気でリスクを背負う覚悟がありますか?
ああ、そうだ。
以前「政治と権力」の話をした時、「5階層」の話をしたね。覚えてる?
リスク5変数に5階層を組み合わせるだけでも、また違った景色が見えてくるかもしれないね。
ーー再掲ーー
1階層:政治=社会運営
2階層:政治=資源配分
3階層:政治=利害調整と主導権争い
4階層:政治=価値観の主導権争い
5階層:政治=暴力を使わずに権力を移動させる仕組み
ーーーーーー
今回の話でいうと、こんな感じかな。
1階層:社会運営(インフラ維持、現場を回すこと)
2階層:資源配分(税金や労働力の配分、パイの取り合い)
3階層:利害調整と主導権争い(業界団体、既得権、ロビイング)
4階層:価値観の主導権争い(多文化共生か、ナショナリズムか)
5階層:暴力を使わずに権力を移動させる仕組み(法治国家、選挙、法改正)
で、これを当てはめてみるとね。
賛成派は「1階層(レジが回らない)」や「2階層(労働力の配分)」から語ることが多い。
反対派は「3階層(社会保障の奪い合い)」や「4階層(価値観・共同体の線引き)」への不安から語ることが多い。
SNSを眺めていると、だいたい4階層のレスバになってますな。
ところがです。実際の制度設計や国家の舵取りは、2〜3階層の泥臭い分配と利害調整で形になって、最後は5階層の「法改正」でしか決まらない!
しかも一度決めた制度は、あとから簡単には巻き戻せない。その不可逆性まで計算に入れて話している人は、賛成派にも反対派にも、そして僕自身も含めて、ほとんどいないんじゃないかな~(笑)。(はい、偏見です。3回目)
階層(レイヤー)すら揃っていないんだから、議論が噛み合うはずもないよねえ。
どっこらしょっと。いつもの悪カエルに変化しよう。あのね、どんなに国民がSNSで叫んだところで、デモをやったところで、あんまり意味ないと思ってる。(無いとは言わないけど、実現という意味では、ね。)
日本国内において移民を積極的に推進するスタイルをとるにせよ、あるいは鉄の扉を閉ざすように徹底的な排除に向かうにせよ、
さらには司法の手続きを厳罰化したり、より重いペナルティを課したり、さまざまな加重措置を講じるにせよ、僕らが生きるこの厳格な法治国家という枠組みの中では、すべては「法律」で成り立っているわけで。
もし本当に今の法律や制度のあり方に不満があって、自分たちの手でそのルールそのものを根本から変えたいと本気で願うのであれば、
SNSのコメント欄で匿名で愚痴をこぼしているだけでは1ミリも社会は動かないのだから、自らが泥をかぶって「政治家」の椅子を目指して立候補する以外にまともな道なんて残されていないのではないか?
「法治国家」なのでなあ、「法律」作るものも変えるのも「政治家」のみだから、ねえ?
政治家⋯かあ…
次の選挙。曇りなき眼(まなこ)で、次代を担う「器」を見極めようぞ。選挙行けよ。
それでは、これ以上とりとめもない独り言を続けていても仕方がないので⋯、今日のところはこの辺で。
あばよ!(今回はルパン三世な!)
【四方山話】
僕が個人的に「移民」という政策に対して反対している理由を少しだけ付け加えておこうかな。
一番の理由はね、政府の制度設計が納得がいかないということもあるけれど、何より安価な労働力に頼るビジネスモデルが、企業の経営者から「どうやって生産性を上げるか」という本来持つべきインセンティブを綺麗さっぱり奪い取ってしまうし、結果的に国内で働く人たちの賃金上昇圧力を根本から抑え込んでしまう側面を持っているから、かな。
経済合理性の観点から見れば、人口が減少していく縮小社会の中で、国内の限られたパイを奪い合ったところで、最終的には国内の購買力がすり減って共倒れになるか、美味しいところをすべて外資系プラットフォームに根こそぎ持って行かれるのがオチ。
おまけに、外国人労働者が稼いだお金を母国へ送金したりする構造も含めて、外貨をしっかりと稼ぎ出さなければいけない国なのに、気づけば外貨がどんどん海外へ流出していくばかりでは、何をやっているのか分からない。
たとえばさ、日々の買い物で何気なく使っているクレジットカードにしても、VISAやMastercardといった米国の巨大な決済網を使えば使うほど、国内で発生した取引手数料の一部がドル建てなどで本国へロイヤルティや手数料としてジャブジャブ流出していくわけじゃん。
だから個人的には、別にJCBの回し者でもないけれど、なんとなくJCBでも使ってくれよ!と思ってしまうのだよ。
英語もロクに喋れねえ僕が言える立場ではないが、本当に目指すべきだったのは、国内の小さなパイを削り合うような内輪のショボいビジネスではなく、
例えば国産のAIや独自のシステムに日本人ならではのきめ細やかなデータや文脈をこれでもかと盛り込んで、
日本市場に進出したいグローバル企業や、日本の複雑怪奇極まりないサプライチェーンと協業したい海外勢に対して、この『ジャパンAPI』を使えば圧倒的にビジネスが捗るぜ!
と売り込んで、外貨をゴッソリと稼ぎ出すような高付加価値なデジタルインフラの構築に知恵を絞ってほしかったなあ。
移民は最小限のセーフティネットの範囲内に留めつつ、適度なインフレと円安基調で、「日本国内の労働環境や商流を歪めずに、外から外貨をガッツリ稼ぎ出して国内に富を還流させる仕組み」をどう作るか。
策を練らねばな…
「下界の人間が?いやカエルが?」って?
言うなや。
なので。自分の足元で稼ぐ力を育てつつ、身近な決済手数料という小さな外貨流出の穴を塞ぐために、JCB 使おうぜ!
って言ったものの、総金額や賃金の影響は数字に出さねえと弱いか。(苦笑)
これからの若者には、「世界市場を獲る! インフラを牛耳るぞ!」っていう外部に向かう矢印にこそ向けさせたいものだね!
そう考えるとさあ、日本という国は、良くも悪くも人口がそれなりに多かったせいで、昔から大企業も「まずは国内市場のパイを……」と、内向きの足し算に囚われてきたフシがあるよなあ。
もしかすると、このまま人口が縮小していくという圧倒的な不便さや切迫感こそが、甘えた日本人の目を覚まさせる最高の起爆剤になるのかもしれないですぜ?
なにせ、日本人は昔から単純だから(失礼!)、いよいよ首が回らなくなるまで追い詰められないと本気で勉強しない生き物だし、いっそこのまま人口縮小の波に思い切って乗っかってみるのも悪くないのかもね。
⋯暴論?(だーはははっ!)
――っと、ここまで偉そうに持論を展開していると、どこからか「おいおい、お前だってレッテル貼りしてるじゃないか。
それじゃあ結局、お前も相手と同じ穴の狢(むじな)なんじゃないのか?」という冷ややかなツッコミが飛んできそうだけれど。
ふっ、安心せえ。百も承知だ。
そもそも僕には立派な学歴なんてもの自体が存在しないんだから、同じ「穴」になんて入れるわけがない。
そう、僕が入っているのは穴なんかじゃなくて、「井の中」であるからな!
ケ〜ロケロケロ!(あばよ!)
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さいごに
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